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ルーツ探しの旅・その1  正八幡大神宮

2024-05-07 11:59:22 | 日記
ルーツ探しの旅・その1  正八幡大神宮

今回の旅のテーマはルーツ探し。

家の家系伝説では、約200年前の1820年ごろに、富山県のこのあたりのどこかからやってきたというのが伝説。

この時期、石川・富山両県から推定500~1000世帯が移住しており、それらの人々が、栃木県南部から茨城県西部にかけて、盛大に散らばったらしい。

おそらくは、分家の分家だろうけど、自分の代で7代か8代目くらいだろうか。

石川県金沢市と富山県南砺市の県境にある「正八幡大神宮」に行ってみた。

住所は富山県南砺市蔵原169

穏やかな里山の景色の残る静かな田舎という感じ。

茨城県結城市の地元にも各地に八幡宮が分祀されていて、おそらくはここの正八幡大神宮おおもとではないかと推測。

200年前のことなので、いろんな根拠のないことをひたすら想像してのことだけど。


正八幡大神宮は、江戸時代は加賀藩の祈願所として、それなりの影響力があったらしい。

今は、かなりの過疎化した村という印象で、冬はとてつもない豪雪地帯という印象。

旧蔵原トンネルというミステリースポットが有名なくらい。

周辺を散歩していると、あちこちで雪解け水が噴出していて、関東に住む自分には不思議な感覚。

南砺市は名水の街でもあるので、うらやましいくらい。

なんといっても、立山連峰があるし。

八幡神は機織りの神様でもあり、渡来人の神様とも。

中国の秦氏、トンデモ話としてはユダヤ系渡来人を秦氏と呼称したという伝説はロマンがあって楽しそう。

現実的な話としては、源平合戦の時代、木曾義仲の「倶利伽羅峠の戦い」に代表される源氏一党の勢力圏で、この源氏が八幡神を信仰していたため、源氏を棟梁とした土豪たちが、負け戦ののちに各地に散らばって八幡宮を祀ったという推測でいいのかと。

地図で調べていても、周辺の各地に八幡社が乱立していて、ドキドキするくらい。

戦国時代で考えても、この地方は上杉謙信に負けて、豊臣秀吉に負けてと、近隣の弱小の土豪たちにとっては負けっぱなしの一族の歴史だったのでは。

もう一つ考えられるのは、「八幡大菩薩」信仰。


奈良時代の聖武天皇のころに広まった信仰で、大仏建立とほぼ同時代とか。


八幡神と仏教がいつの間にか融合し、全国に広まったらしい。この時代くらいから金が採掘ができるようになり、経済も高度成長で一気に広まったと考えられそう。

八幡宮は全国に44000社あるといわれるほどで、この時期は、日本にとっても数百年に一度しかやってこないバブルの時期だったのかも。


ちなみにこのエリアに多い苗字は、吉田・山本・西村・伊藤・前田・山崎・山口・そして私の苗字の加藤さん。
みんなメジャーな苗字過ぎて参考にはならないけど。


正八幡大神宮 https://kt-hub.com/28476/shouhachihatadaijinmiya/


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