星さんぞう異文化きまぐれ雑記帳

異文化に接しての雑感を気ままに、気まぐれに

日本語教師養成講座

2008年04月11日 01時29分56秒 | Weblog
折角初歩のスペイン語を習ったのだから、これからもチャンスを見つけて勉強を続けたいという意欲がわいてきました。スペイン語圏の旅行先でなんとか飲み食いが出来、身の安全が確保出来る、「サバイバル」のためのコミュニケーションが出来る程度のスペイン語会話力(mas o menos espnol)を身につけるのが当面の目標です。

私の住む佐倉市にも多くのスペイン語圏の人々が住み働いているので、彼らとの交流を通すなどして生きたスペイン語に慣れ親しむ方法を模索してみようかと思っています。スペイン語に親しむ機会を貰うだけの一方通行では申し訳ないので、give and takeの精神にのっとって私が彼らに日本語を教えるのはどうだろう?mas o menos Japaneseを身につけたいと思っている外国人もいるはずです。

日本語なら60年以上の使用経験があり、かなりの早口であることを除けば、日本語によるコミュニケーションには相当の自信もあります。「これだっ!」と私は直感しました。しました・・・・が、どうやって教えたら良いのか?

こんなこともあろうかと、かねてから日本語教授法の勉強はしていたのです。正確に言えば、10年ほど前に通信教育を受けたことがあるのです。もっと正確に、かつ正直に言えば、受け始めて数ヶ月は続けたものの、講義内容に大いなる疑問を感じて途中で放棄したのです。教授法の歴史、理論とかなんとかどうでも良いような、面白くもなんとも無い周辺のナンセンス知識ばかりを並べ立てて、一向に核心の「具体的な教え方」に入っていかないのです。こちらから見限ってやったというのが実態です。ついて行けなかったのだとは断じて思っていません。

日本語教師養成学校は巷間に掃いて捨てるほどあり、そのカリキュラムを調べると、多くは私が見限ってやった通信教育の中身と大同小異の講義内容です。免許等の公的資格の無い「日本語教師」ながら、お上が定めた一定基準をクリアするために400時間以上の勉強が必要らしいのです。私が身につけたいのは「外国人への日本語の教え方」そのものなのです。それだけなのです。資格やら免状なんて要らないのです。

ありました、ありました。調べてみるものですねぇ!私にピッタリの学校がありました。青山スクールオブジャパニーズ!!「地獄で仏」「渡りに舟」ですね。

http://www.aoyamaschool.com/japanese/index.htmlにあるとおり、同校が30年余りにわたって開発・蓄積した実践的ノウハウを短期間に伝授してくれる(というか講師のガイダンスのもとで受講生が一緒になって実践・体験しながら、蓄積された教授法を真似て盗み取る)面白そうな学習プログラムのようです。

せっかちな私は早速申し込み、先週から通い始めました。

今度は見限らなくて良さそうな予感がしています。

コルドバ便り(最終便) オッハラー Ojala!

2008年04月09日 14時55分34秒 | Weblog
学校のテストもなんとかパスして修了証書を頂きました。帰ってから勉強を続けてみる張り合いも出ようというものです。いや、もっと切実な問題として、どうしても私はスペイン語を上達させなければならないのです。どうしてか?

ブエノスっ子の妹には現在スペインに留学中のもう一人の娘が居ます。この母娘も大変な仲良し親子で、毎日パソコンでチャットをしているのです。チャットなんて面倒なことせずに「スカイプで何時間でも話せば?」とお節介にも私が当家のスカイプ環境を整えてあげたのです。そしてサンフランシスコに居る私の娘やら、日本で亭主の留守中に羽を伸ばしている女房とスカイプで通話してみせて、スカイプが如何にスグレモノであるかを立証して見せたのです。翌日からはスペインの娘とはスカイプとチャットの両面作戦で常時接続状態で、妹は大喜びです。

っていうことは・・?。そうなんです、アルゼンチンから日本へも何時間でもタダで通話できることを教えてしまったのです!専業主婦の妹は私の知る限りテレビのメロドラマでも観ていない限り、結構閑をもてあましているのです。電話でのスペイン語会話が苦手だからと携帯電話を断った私が、ご丁寧にも無料のホットラインを敷いてあげてしまったのです。

話がくどくなりました。要するに私とホストファミリーとの間にはお互いに何時でも話せる手段があるので、イタリア訛りのアルゼンチン語の嵐は簡単にアンデスを越え、太平洋をまたいでこちらに押し寄せて来られるのです。その波に飲み込まれないための備えとして、こちらの語学力のアップを図るしかないのです。

40数年前に一年間のAFS留学を終えてホストファミリーと涙ながらに別れた時のことを思い出しました。果たしていつかまた会えるのか、何時になったらその日が来るのか・・・アメリカが実に遠かったものでした。二回目のAFS留学を終えての今回の別れは、距離こそアメリカの倍以上離れているものの、「いつ帰ってくる?」「スカイプするからねっ!」と隔世の感があります。

お世話になったホストファミリーをはじめとして私が目にした一般家庭の日常生活は、思ったより以上に地味というか、変化の少ないもので、隣近所との付き合いや、仕事仲間との付き合いは殆ど無いに等しく、それだけに親類縁者との関係の濃密さが際立つものでした。親子孫三代に加え叔父伯母、甥姪、従姉妹まで広げた親戚が比較的近くに住んでいれば、二週間に一度くらいの頻度で何らかの記念日が巡ってきます。その都度大勢の身内が集まって、一同の絆と健勝を確かめあうアサド・パーティーなんて光景がよくみられます。

当地に住む親戚の少ない我が家は、平均以上に「静かな」日常であったはずです。そこに降って湧いたように割り込んで来た留学生(実は遊び人)を受け入れてくれた一ヶ月は、家族みんなにとって相当に刺激的な「非日常」の連続であったはずです。「どんな人が来るのか心配だった」と正直に告白した妹が「今度は帰った後の日常が心配」と言ってくれたので救われました。遊び人、いやAFS留学生冥利に尽きます。

哲学者でもある弟は、これまでの研究をベースにして700ページに及ぶサスペンス仕立ての歴史小説を書き上げたとのことです。アルゼンチン人には理解し難い内容であること、アルゼンチンで出版すると盗作される恐れがあること、などからニューヨークで出版したい意向であると熱く夢を語り、現実派のブエノスっ子の妹は「でも出版社のコネもないのよねぇ!」とクールなコメント。弟の夢をなんとか実現させるためにも、スペイン語をもっと磨いて弟の夢をもっと深く理解してあげたいと思っています。

早い話が、お世話になったホストファミリーに恩返し出来るかどうかは、私のスペイン語能力の上達にかかっているのです。

弟「これが大当たりしたら日本に行くから!」
妹「いつになるやら?」
兄「Ojala! オッハラー!」(そう願いたいもんだ! そうなったら良いねぇ!)

あっ、言い忘れるところでした。最後に一言!
ホスト夫妻と私の関係は共同生活者の枠を超えて兄・弟・妹であり続けようと、この前の週に確認済みであったのです。もちろんmas o menosエスパニョールでですが。

ダラダラと長くなったコルドバ便りにお付き合いいただいて有難うございました!
Muchisimo gracias!!

コルドバ便り(9) 実力お試しツアー

2008年04月05日 11時55分44秒 | Weblog
長かったようで短かった学校生活。もう既に最終週に入りました。過去形の勉強もし、未来形も少しだけ習ったので、現在形だけに過度に依存しなくてもすむようになりつつあります。前にも書いたように過去形の活用が複雑なので、現在形だけで堂々と過去を語っていた時の方が言葉数は多かったような気がします。なまじ知ってしまったばかりに、過去形の規則に縛られて自由奔放さが影を潜めてしまったと自分でも感じます。ゴルフの「100の壁」みたいなものでしょう。

まあ今回は規則・ルールの理解ができたから上々で、応用は帰ってからの勉強に委ねざるをえまい、と、地に足の付いたきわめてクールな状況判断をすることによってこの壁を乗り越えることにしました。

アルゼンチンでの滞在が残り2週間を切る頃ともなると、「真面目な留学生」より「貪欲な旅行者」としての自分が顔をもたげ、「あそこは行っておきたい」「ここも外せない」と、尻がムズムズして来ます。

学校が終わってから丸々一週間は、ファミリーと一緒にすごすもよし、適当に旅行するもよしと自由時間が組み込まれています。日本から一緒に参加した前途洋洋の若いお嬢さん二人は、最後の一週間を利用して更にスペイン語の勉強を続けるとの健気な選択。留学生の鑑です。前途が限られていて将来の展望があまり期待できない私は、これから先の勉強は日本に帰ってからと割り切り、旅に出る選択をしたのです。

ファミリーと一緒といっても、私の場合は、弟は仕事だし、姪っ子は学校だし、もう一人の姪っ子は寝たきりだし、ブエノスアイレスっ子の妹と二人だけでスペイン語会話を一日中続けるなんて想像もできないし、その実力も自信もありません。旅に出るしかないでしょう。私のエスパニョールがどの程度通用するのかを実地に試す機会も必要なのです。

折角ここまで来たのだからアンデスの最高峰アコンカグアをこの目で見てみようと決め、2泊5日の旅を計画しました。コルドバの南西800キロほどのMendozaと言う街から出るアンデス見物日帰りツアーが良かろうと、姪っ子の大学生が3年前に滞在したホテルも予約してくれて、旅行の手配を手伝ってくれました。

メンドーサの往復は片道12時間の夜行バス、メンドーサでのアンデス見物ツアーが12時間の日帰りバス旅行。べッドに寝るのが2回、バスに寝る2回を含めて足かけ5日で36時間バスに乗っている計算です。

アルゼンチンの広大な国土への驚きよりも、ここまでの時間とエネルギーを使ってブエノス娘のエスパニョールの嵐から逃げ出そうとしている自分に・・・複雑な気持です。

初めての一人旅に息子を送り出す親のように、出先でのことを心配してくれて、万が一に備えて携帯電話を持って行けと言ってくれるのです。目の前で話していてさえ難しいのに、電話で話をするなんて10年早い・・・、そうは言えないので、「子供じゃあるまいし、何かあったら電話するから安心してくれ」と丁重にお断りしたものです。それにしても、弟・妹と思っていたホストが完全に父親・母親の配慮をしてくれている、有難いことです。

頻繁に行き来している大の男がバスで遊びに来る時でも停留所に迎えに出るとか、予定の時間に家族が帰って来ないと「電話ぐらいかけてくれば良いのに」と気を揉んだりと、気持ちの優しさのゆえか、保安、防犯意識の高さのゆえか、我々の想像以上に「心配性」な印象を受けます。私のファミリーにしてこれですから、高校生や若い女性を預かるホストファミリーでは、予定より遅くなるような時は15分刻み程度でポジションレポートをしないとハラハラドキドキしているようです。

いくつであっても、ホストファミリーにとって私は「若い学生」なんでしょうね?

コルドバ便り(8) 息抜き pasatiempo

2008年04月04日 00時14分30秒 | Weblog
語学の勉強だけにとどまらず、アルゼンチンの文化にも触れさせようと言う学校の配慮で、息抜きに各週2回ずつ午後に文化交流プログラムが組まれました。

タンゴ、クアルテット、フォルクローレのダンス教室は若い人たちについてゆくだけで精一杯。息抜きどころか息はあがるし、冗談じゃなしに「カンゴ」一歩手前の状態であったので写真は省略。

アルゼンチンの郷土料理、餃子の親玉のようなエンパナーダとウミータを調理する料理教室も開かれました。料理がからっきしダメな私は食材の下準備のお手伝いをしてお茶を濁し、専ら食べる方に力を注ぎました。これまた証拠写真はありません。

学校の用意した息抜き策では思うように活躍する場面はありませんでしたが、ブエノスアイレスっ子の妹と挑戦したカジノでは予想外の成績を収め、自慢話が印象的だったのか、ダウン症の姪っ子は私のことをcampion(チャンピオン)と絶賛し、結局滞在中ずっと私を「カンピオン」と呼び続けていました。彼女の中では私は日本から来た英雄であり続けることでしょう。

我が家のあるカルロスパスはコルドバ市の背後に控えるリゾート地で、特に夏場は州内各地やブエノスアイレスから訪れるリゾート客で賑わいます。ブエノスアイレスからコルドバまでの間は平原と牧草地だけが無限に広がる平地の連続のようで、コルドバに来て始めて山らしい山と湖とが現れるので、昔からこのあたりは保養地、富裕層の別荘地として発展してきたそうです。カナダでのバンクーバーとケロウナの関係に似ていなくもありません。

リゾートとは言っても温泉が出るわけでもなく、名物の美味い物があるわけでもないので、客集めのために市当局が関与するそれなりのカジノがあります。もうひつつの目玉イベントは3月末に毎年開かれるラリーが有名だそうですが、今回はタイミングが合わず観戦できませんでした。

旦那は人ごみに出て遊ぶより書斎に篭って読書三昧をするほうが好きな学者タイプ。奥さんは小じゃれた洋服でも着て街に繰り出しパーッと羽を広げたいブエノスアイレスっ子。奥さんに付き合って旦那もしぶしぶ外出すると妥協してもGパンにTシャツのいでたちで、奥さんは肩をすくめて不満げ。こちらを見て「やんなっちゃうわねぇ!」のボディーランゲージ。言葉での応答が不可能な私は、触らぬ神にたたりなしとばかりに得意の意味不明なオリエンタルスマイルで反応。

留学生の身でカジノも如何なものかと一旦は思ったものの、高校生じゃあるまいしノープロブレム、家に篭ってイタリア訛りのスペイン語の嵐に襲われるより、万国共通ルールのルーレットで遊んだ方が時間もつぶれるし気晴らしにもなろうと、なんとコルドバに到着したその日に、その足でカジノに乗り込んだのです。

私のルーレットはいつも家族四人の誕生日を中心に張る他愛も無い賭け方で、運の良い時にはそれでも勝つし、ダメな時は早々に引き上げるといった無手勝流なのですが、初日はこちらの共同生活者4人の誕生日が活躍してくれてそれなりの勝利。

祝勝記念に家族全員と娘のノビオ(アミーゴは単なる友達、novioは「彼氏」)をレストランにご招待したものだからカンピオンの名声が一気に上がり、二匹め、三匹めのどじょうを狙って、この後ブエノスアイレスっ子はチャンスを見つけては私をそそのかしてカジノに足を向けさせようとする変な癖が身についてしまいました。

私も嫌いじゃありませんし、ホストファミリーの機嫌を損ねてはならないという使命感も手伝って、ちょくちょく通って市当局の財政を援助しておいたのはご想像のとおりです。留学生のホームステイというより遊び人の居候みたいなことになってきましたが、ファミリーの息抜き、暇つぶし(pasatiempo)のお役にも立っているらしいことに免じて、AFSには目をつぶって貰っています。

えっ?総合成績? mas o menos チャラって感じかな?

コルドバ便り(7) Todo es posible  なんでもあり

2008年04月03日 08時47分45秒 | Weblog
学校での授業も三週間目に入ると、いよいよ待望の過去形のスタートです。これで「現在形過度依存症候群」とお別れできる日も間近に迫って来ると思うと勉強が楽しくなってきました。

と思ったところで大きな壁がありました。「子供の頃はよく野球をやったもんだ」と「昨日午後野球をやった」とでは、同じに野球を「やった」にもかかわらず、別々の活用をしなくてはならないことが判明したのです。

人称の違い、時制の違いによって動詞の活用が変るだけじゃなくて、名詞の性別に応じて、形容詞まで性差をつけたりと、とにかくルール規則が四通八達していて、学ぶ者をがんじがらめにしなくては済まさないのがスペイン語です。

でも裏を返せば、ルールの厳格な論理的言語であるがゆえに、ルールを逸脱した例外が少ない言語かも知れません。考えてみれば、がんじがらめの規則・理屈をを理解してしまえば、理屈抜きで覚えるしかないことの多い英語よりも習得が簡単かもしれない。

と、分かったようなことを書いていますが、「規則・理屈の理解」が容易ではありません。規則の理解がそれなりのレベル(mas o menosレベル)にとどまっていても、もう少しスペイン語でのコミュニケーション能力を高められないかと模索していた中で、経験的に次のことが分かってきました。多分大きくは間違っていないんだろうと思っています。

①英語もスペイン語も元をただせばラテン語でしょ。お互いに似通った表現の言葉がmas o menos 2割くらいはあるのではないでしょうか。自分では使えないけど、人が使っていたり、テレビで使っているのを聞くと「あれっ?英語と同じじゃん!」がずいぶんとあります。

逆に言えば、なんと言ったら良いのか分からない時は、英語をスペイン語風に置き換えてみればmas o menos 2割くらいは理解してくれる可能性が高いということではないでしょうか。実は「充分」(英語でenough、sufficient)を知らなかったのでsufficienteと言ったら、「Oh, suficiente」とちゃんと通じたのです。

簡単な単語ではなく、なるべく長ったらしく難しい英語をスペイン語風に発音してみるのがポイントです。

②station, vacation, condition等々、英語の「~ション」は「~cion」と書き直して「~シオン」とスペイン語風に発音すればmas o menos 8割は理解してくれるし、多分5割くらいは正しいスペイン語になってるんだと感じます。

③最後は副詞です。長ったらしく難しい英単語を再度登場させて、終わりに「~メンテ ~mente」とやると、正解率2割、理解度mas o menos 6割くらいは達成可能です。完璧Perfect→perfectamente(完璧に)、絶対absolute→absolutamente(絶対に)てな具合ですね。

以上総合すれば、mas o menos2割程度のコミュニケーション能力が実力にプラスされるのではないかと確信しています。

若先生にバレたら顰蹙買いそうですが、mas o menosエスパニョールは「何でもあり(Todo es posible)」なんです。分かっていただけましたか? mas o menos?

コルドバ便り(6) アサドとマテ asado y mate

2008年04月02日 08時01分07秒 | Weblog
日本人より10倍近い牛肉を食べるアルゼンチン人。その牛肉の食べ方の一番はなんと言ってもアサド(asado)でしょう。一般的には「バーベキュー」と理解されていますが、アメリカやカナダの家庭で見るような金属製のグリルで焼くBBQではなく、家の軒下や庭の片隅にしつらえたレンガ製の「かまど」に薪をくべて、その上のグリルで直火でダイナミックに焼く、「直火焼肉」とでも言うべきものです。

豚肉、鶏肉、ソーセージなども焼きますが、なんと言っても無造作に分厚く切り落とされた牛肉が、肉汁をかまどの火にジュージュー言わせて落としながら焼きあがってゆく過程は、肉の大好きな私にはたまらない光景です。塩コショウだけのシンプルな味付けが肉本来の旨みを生かし、うっすらと焦げ目のついた外側の塩味とジューシーな柔らかな中身とのバランス・・・・・、う~っ、たまらんっ!

コレステロール対策のため、肉と魚を半々に調理するわが家の栄養管理士が目の前に居ないことを幸いに、栄養士の常日頃の指導内容にはこの際は目をつむって、「郷に入っては郷に従う」異文化理解、異文化交流の趣旨を生かして、私も牛肉を食べまくったことは言うまでもありません。あらゆる部位をためしてみましたが、bif de choriso と呼ばれるテンダーロインが私は好きです。

アサドレストラン(Parrilla)で「アサド・セット」をオーダーするとソーセージから始まって鶏、豚、牛(各部位を順番に)とあらゆる肉のアサドが順番にかつダイナミックに運ばれてきます。野菜の摂取を心がけるようにと常に指導するわが栄養士の顔を思い出しながらサラダも食べるものだから、肉の入るスペースがなくなってしまうほどのボリュームには圧倒されます。

アサドがアルゼンチンの食べ物の横綱とすれば、飲み物の横綱はマテ茶(mate)であることは異論の無いところでしょう。テレビを観ながら、読書しながら、勉強しながら、自動車を運転しながら、公園のベンチで・・・と国民的飲み物といっても過言でないほど、あらゆる人があらゆる場面で飲んでいるのを目にします。ただ、食事しながら飲むことは少ないようだし、子供が飲んでいるのを見たことはありません。食事中の飲み物はなんと言ってもコーラが主流。私もこの一ヶ月で生涯で一番コーラを飲んだ気がします。

学校の若先生もマテ茶の通であるらしく、好みのブランドの葉をこだわって愛用し、自分流の飲み方を押し通しているようです。アルゼンチン文化の紹介も兼ねて学校の教材にも取り入れて、マテ茶に関する薀蓄を傾けてくれました。(コルドバ便り《4》)の写真参照)

ひょうたんの殻で作った容器に三分の二ほどタップリと葉を入れその上から90度の熱湯を注ぎ、銀製のストローのような物で吸い込むのですが、吸い上げる時に熱湯が口の端に触ると目茶目茶熱いのと、かなり苦いのとで、好き嫌いを問われると私はそれこそ「mas o menos」と応えることにしています。(どっちかと言うと嫌いとのニュアンスです。)。そんな人のためにティーバッグに入ったマテも売られていて、土産に買って来たらなかなか好評でした。

茶の入れ方、客へのサーブの仕方、客の側の心得等々、「マテ茶道」とでも言うべきルールやマナーもあって奥が深いそうです。マテ茶はみんなで回し飲みするのが基本で、前の人が飲んだ吸い口を拭ったりしないのがマナー。一つの物をみんなで仲良く飲み回すことを通して連帯感を確認し合い、仲間意識を築き上げるのが昔からのしきたりなんですね。

この回し飲みに慣れているアルゼンチンでは、他人のペットボトルの水を通りがかりの赤の他人が「一口お願い!」とばかりにご馳走になって「gracias!」と言いながら離れてゆく光景をちょくちょく見かけるとのことです。

このマテ茶にはビタミンAほかの栄養分が豊富に含まれていて、野菜が手に入り難い地方では野菜の代わりにマテ茶を多用して栄養のバランスを取っているとも聞きました。

アサドを食べてマテ茶を飲む、どうやらこれが彼らのネルギー源であるようです。同じ量を食べてもお茶漬けではだいぶ差をつけられちゃいそうですね。

コルドバ便り(5) シエスタ siesta

2008年04月01日 07時39分07秒 | Weblog
大商業都市ブエノスアイレスは別にして、地方都市では今でもシエスタ(昼寝)の習慣があって、観光客相手の土産物屋等の一部商店を除いて午後一時から四時頃まで商店は閉まります。ブエノスアイレスに次ぐアルゼンチン第二の都市コルドバも例外ではありません。特に個人商店はほぼ8割くらいは閉まっている印象です。

日中の温度が高くて仕事にならないからかと思っていましたが、どうやら食生活を含む生活パターンに起因するのではないかと思います。

先ず第一に朝が早いのに、前の晩の食事が9時~11時頃と目茶目茶遅い。しかも食後30分も経たないうちに寝てしまう。(少なくともわが弟は!)

日本では、食べる後すぐに寝ると牛になるとわれわれは信じる。アルゼンチンに牛が多い理由は、あなた方の先祖が夕食後すぐに寝る結果であると私は思う。

とユーモアを交えたつもりで言ってみた(勿論エスパニョールで!)。言っている意味が分からなかったらしく、チカラのない笑顔だけが帰ってきた。そりゃそうだ、まだまだ60点のスペイン語にはほど遠く、10~20点の実力なんだから。

日本では昔から、食べた後すぐに寝ると牛になっちゃうと言い伝えられてきてるのよ。アルゼンチンに牛が多いのは、実はあんたがたの先祖が夕食後すぐに寝ちゃったからじゃないの?な~んちゃってね。

と、こんなニュアンスを言いたかったのだけれど、mas o menosエスパニョールでは過去形は使えないことを忘れていました。

話はそれますが、まだ学校では現在形の勉強中で、過去形や未来形は授業の最後にちょこっと齧る段取りになっています。過去・現在・未来の時制の違いを無視して、全てのコミュニケーションを現在形だけで表現するというのはなんとも歯がゆく、欲求不満の募るものだとつくづく感じます。過去形を正式に習うまでは現在形と不定詞(動詞の原形)と名詞の羅列だけでコミュニケーションを図るしか私には方法は無いのです。慢性失語症を回避するには「現在形過度依存症」もやむをえないのです。

起床7時、朝食8時、お茶11時、昼食2~3時、オヤツ5~7時、夕食10時、就寝12時
これが私の週日の食のおよその時間割です。朝食はコーヒーにクロワッサン2個くらいを軽く食べるだけですから学校から帰ってランチを食べる3時頃には腹ペコ。昼飯をがっちり食べて腹の皮が突っ張ると、もう目の皮はたるむ一方です。牛になろうがなるまいが、欲も得もなくベッドに突進。1~2時間しっかりお昼寝、シエスタです。一時間以上も寝るのは素人で、30分~小一時間でリフレッシュできるようになるのが本物のシエスタだそうです。

要するに、学校に行っている時間以外は「食っちゃあ寝」で、起きている間にわずかばかりの宿題をこなし、テレビを見ながらヒアリングの研鑽に励むというのが週日の生活習慣なのです。

この生活を続けたら体重が一気に増えるのではと心配して、体重計を探してもどこにも見当たりません。こちらの方々は体重だの、体脂肪だのと余計なことを気にしながら食生活をしては居ないのです。美味しい肉料理を腹いっぱい食べ、充分に睡眠をとる。このおおらかさが生活の基本のようです。

やれコレステロールだ、体脂肪だ、尿酸値だ、血糖値だと生活習慣病を気にしながら食べるわが国とは、明らかに食文化の違いがあるようです。

因みに、一人当たりの牛肉消費量はアルゼンチンが年間65キロで世界二位(一位は隣のウルグアイで70キロ)だそうです。日本人は年間7~8キロ程度。日本人の米の消費量が一人当たり年間58キロだから、大雑把に言って日本人の食べる米と同じくらいの量の牛肉をアルゼンチンの人は食べている勘定ですね。

食べて寝て牛になったんじゃなくて、牛食べて寝てたんですね、昔から!