星さんぞう異文化きまぐれ雑記帳

異文化に接しての雑感を気ままに、気まぐれに

ケロウナ便り(59) 横断歩道

2007年06月29日 10時35分15秒 | Weblog

運転者の注意を喚起するとともに、車に徐行ないしは停止して「もらう」ために、日本では歩行者が手を挙げて横断歩道を渡る習慣があります。それを無視してすっ飛ばすマナーの悪いドライバーもいるので、横断歩道を渡っても安全かどうかを歩行者が確認しながら注意深く渡っているとういのが実情だと思います。こちらが横断歩道に入って明らかに歩き出そうとしている姿を見ていながら、一向にスピードを落とさない悪質なドライバーには、懲らしめのために、こちらもわざと早足で横断するようなフェイントをかけてやることがよくあります。焦って急ブレーキを踏み、こちらを睨みつけますが、こちらも睨み返しながら運転マナーを教えてやっています。ある意味「命がけ」の指導です。

カナダでは人が横断歩道に入ったら(横断歩道に入ろうとしていたら)、横断を始めていなくても車は止まることが道路交通法で義務付けられています。つまり、運転者は横断しようとする人がいるかどうかに常に注意を払い、横断しようとする人がいたら必ず停止して、決して歩行者の邪魔をしてはいけないのです。

交通量の多い道路でも安全に横断するための横断歩道ですが、そこまで行くのが面倒くさいので、適宜判断して歩道以外の場所で自己責任のもとで横断しているのは日本でもカナダでも同じことです。

横断歩道を巡る「異文化の衝突」のお話です。

午後9時半を過ぎても「薄暮」より明るさの残る真夏のケロウナ。ゴルフ場に沿って住宅の並ぶリゾート内の道路。我が家に向かって左折する丁字路近くで4~5人の男女がブラブラ散歩しながら横断しているらしい姿を手前から認めました。横断歩道ではありません。二人は急ぎ足に横断したものの他は左側に残っています。「車が来るから早く渡ろう」というはっきりとした横断の「意思」が感じられません。私の車をやり過ごすために横断を中断したようなので私は徐行しながら左折しました。ルールに叶った行動で、非の打ち所がありません。

すると、左折している私の車にゴルフクラブを二本持った爺さんが近づいてきてクラブで車を叩きます。グリップ部分であったから損傷ありませんが、こちらもムッと来て車から飛び出し、道路を挟んでの異文化間コミュニケーションです。

Excuse Me?」(語尾を精一杯高く上げ、『おいおい、なんだっつうのよぉ!』)

We are crossing the road, don’t you see? 」(『横断してるの見えないのかよぉ?』)

No pedestrian’s crossing here! 」(『ここは横断歩道じゃねーじゃねーかよぉ!』

Are you going to kill us? (『汝は我等を殺す気なりや?』)

「ハア?(語尾上げ)アホらしい、くそ爺ぃ!バ~カ!」(英語が面倒くさいのと、表現方法に自信が無かったので、最後は日本語での捨て台詞でした。)

むかっ腹が収まった後の冷静な分析結果は次の通りです。

     横断歩道の無い道路での対処の仕方には、当方には落ち度は無く、違法行為は無い。

     交通量の多い一般道路とは異なるリゾート住宅地内の道路には「横断歩道」は無いものの、交差点には眼に見えない「横断歩道」があるとも解釈でき、交差点をブラブラ渡っていた連中を責めきれない。

     リゾート内道路でもあり、一旦停止して「横断させてあげる」ゆとりが欲しかった。法以前の道徳、マナーの範疇の問題。カナダ人なら停まったと思われる。

     爺さまは「自分なら停止して横断させてやる」状況で、停止しなかった車に怒りが爆発。但し、クラブで車を叩くのは暴力行為。この点はキッチリと言ってやる必要あり。

それにしても、とっさの一言は日本語でも難しく、「あの時ああ言えば良かった」と反省したり後悔したりするものです。同文化の中でのコミュニケーションでも難しいのに、上の分析内容を現場でとっさに英語で意思疎通しなければならない異文化コミュニケーション、難しいものですねぇ!


ケロウナ便り(58) 話せば分かる

2007年06月29日 00時42分43秒 | Weblog

ゴルフに関する今年の落ち着きぶりには我ながらビックリしています。去年は事前に納めた年会費の回収のためにシッチャ気になったということなのでしょうか、目の前に広がるコースのグリーンを見ても去年ほどガツガツと血が騒がないのです。けちな貧乏人根性なのでしょうか?

腕の調子も完全ではないし、去年ほどのペースではゴルフはやらず、滞在二年目の今年は他の楽しみも見つけ出そうと自分に言い聞かせてきたことも、この「落ち着き」に貢献しているようです。

とは言っても、ゴルフが中心の生活であることに変わりは無いので、早速会員権の相談にゴルフ場に行って来ました。バッグドロップエリアで働く若いアルバイトの坊や達を除くと、去年の顔見知りのスタッフが今年も残っていて、こちらの顔を覚えていて笑顔で挨拶に来てくれるのはなんとも気持ちのいいものです。それだけここに入りびたっていたと言うことなのでしょうね、去年の夏は。

去年はBear, Quail二つのコースを無制限に使える「正会員」だったのを、今年はBearだけを月曜日から木曜日に限定して利用する「週日会員」を試してみることにしました。正会員の年会費2350ドルに対して週日会員は年会費1640ドルと割安です。週末はゴルフ抜きも良し、よそのコースでプレーするも良しと選択の幅が広がります。昨年の「正社員」から今年は「パート社員」への切り替えみたいなものです。でも、仕事は仕事です。

7月~8月猛暑の時期の企画として昨年あった999ドルの「期間限定平日会員」の存続を期待して来たこと、シーズン開始から既に2ヶ月が過ぎていること、外国人はビザの関係でそうそう長期にも滞在できずシーズン最後までは居られないこと等を理由にそれなりの配慮は出来ないものかと相談したら、さすがカナダ、「おっしゃることは分かる。上とも相談しますが、私の権限で2割引かせてもらいます」と大人の対応。第一関門突破です!

とりあえず2割引で週日会員契約の手続き完了。でも、これで終わってしまうと「上とも相談」のネタがなくなってしまうではないか。何か上と相談する材料を考えてあげなくては、彼女の立場がありません。そこで私、返す刀で、「週末のプレーは去年ほどのペースではないが、皆無でもない。そこで相談だけどさぁ、上司と相談して何某かの週末優待券なんてのも考慮してくれない?わざわざ太平洋越えて来たんだしさぁ。来年も来るからさぁ。友達も来ると思うけどなぁ。 枚数は任せるけど”The more, the better”って感じ? 」

「週末招待券4枚を出させていただきます」と翌日電話が入りました。話せばわかる大人ですねぇ、カナダ人!


ケロウナ便り(57) 油断

2007年06月28日 16時20分31秒 | Weblog

到着初日にやるべき事が自動車保険の更新とケーブルテレビの再接続(reactivation)であることは、長期滞在2年目ともなると、常識として身体に染み付いています。ケーブルテレビが開通すればインターネット、スカイプと「頭脳」にあたる情報インフラが整備され、自動車保険さえ更新されれば即刻「手足」が動き始めるのです。

留守中の面倒を見てくれているTさんが保険代理店に連れて行ってくれて、10分ほどで手続き完了。前回と同じ条件での更新であれば代理人による手続きも出来るのですが、今回は保険料セーブのため付保内容を見直したので、私と女房の両方の署名が必要でした。次回からはTさんに事前に代理手続きしてもらい、更新手続きに保険屋に行かなくて済む方法に切り替えられます。だんだん便利になります。早くも次回が楽しみです。

前回の経験から学習したもうひとつのこと。留守中はバッテリーのマイナス電極を外しておけばバッテリーが「あがる」のを防げるとのこと。これまたTさんのご協力を仰ぎ、到着直前に繋いでもらって充電したので、「手足」はスムーズに動き出しました。

滑り出し順調!さすが2年目! 次は「頭脳」の番です。これまた電話一本でOKです。なんてったってカナダですから。・・・・・そのはずだったのです・・・・。

顧客番号、住所・氏名を伝えて「中断してあったラインを即刻繋いでもらいたい」「なんでも承知してるんだい、こちとら長期滞在2年目のベテランだい、べらんめえ」てな調子で言ったわけでもないのですが、電話口からは「再接続の為にはエンジニアが現地に赴く必要があります。いまのところ一番早くて6月29日です」との落ち着いたお嬢さんの声。

これから十日ものあいだ頭脳無しで生活しろということ?取り付く島もなさそうなお嬢さんの口ぶり、頭をトンカチでガツンとやられたらこうなるんじゃないかと思うくらいに目の前が真っ暗になりました。「だ、だって、新規契約じゃないのよ。既に加入している者が、『解約』『切断』じゃなくて『中断』の手続きを事前にやってるじゃん!前回は即刻できたじゃん!」「はい。仰るように中断です。前回も中断でした。前回は再開日時を事前に連絡いただいていたので、間に合うように事前に現地に赴いていたのです。今回はこれが初めての連絡ですから、これからチェックして一番早くエンジニアをそちらに向かわせます。ただ現時点では一番早いのが29日なのです。もし早くなるようであれば連絡差し上げます。」このお嬢さん何処までも正しく、何処までも冷静なのです。

要するに、事前に電話一本、メール一本入れて「何月何日から再使用するので、それまでに再接続しておいてくれ」と言えば済んだ話でした。到着当日の電話一本で前回も再接続されたと思い込んだ「油断」があったとしか言いようがありません。今度という今度は完敗です。

その後の連絡で、二日早まり27日の夕刻までには開通するとの有り難いご案内。それまでは友達のパソコンを使わせてもらうか、Wireless LAN の看板の出たホテル、コーヒーショップなどにモバイル・パソコンを持ち込むかして、かろうじて他人さまの「頭脳」を使わせてもらうしかありません。

たかがインターネット、されどインターネット。無いと淋しく不便なものですねぇ!


ケロウナ便り(56) 一勝三敗

2007年06月28日 15時01分40秒 | Weblog

電気系統のトラブルにより出発便が約一時間遅れて成田を出発、バンクーバー到着が11時半を過ぎました。入国審査場はこれまで経験したことのないような長蛇の列で通過に一時間半を要す。税関の手荷物検査を済ませて表に出た瞬間に「あっ、もう一つ手荷物忘れた!」。冷凍した魚の開きと和食材を容れた保冷バッグが無いのに気づき、今通ったばかりの税関で係員に事情を説明するも、「航空会社の人間に言え。検査場への単独での逆流は一切ご法度。」と木で鼻をくくったような応対。たまたま通りかかった航空会社の職員に事情を説明して一緒に中に入ってもらい事なきを得たが、ケロウナ行きの国内線接続カウンターでまたひと騒動。

チェックインの係員が先ほどから銀色の外装の保冷バッグに盛んに視線を送っているのに気づいていたのでいやな予感がしていたが、「中身はスモークサーモンか?」と来た。「いや。半冷凍の魚である。ご覧の通りドライアイスも無ければ水漏れも無い。ノープロブレムでしょ?」と応じたら「手荷物として受け付けられるかどうか確認するから暫し待て。」「おいおい、いつも機内持ち込みしていて問題なしよ。匂いも無いことだしさ。」この最後の一言が余計だったみたい。「Oh, yeah!! It smells a lot. You must be used to it.」回りのカナダ人からも保冷バッグから魚の匂いが漏れている証言の連発。多勢に無勢と状況判断して一歩後退、「じゃ、どうすりゃいい?」とトーンダウンして係員の顔を立てる算段。

「上の階のチェックインカウンターで水漏れ防止用のシートに包んでチェックインするように。5個目の手荷物になるので超過手荷物料金が発生するかも知らないから、そのつもりで。カウンターには連絡しておくから」フライトの時間も迫ってきて、ゆとりをなくしつつある人の気持ちを逆なでするような最後の一撃。ムッとしながら無言でカートを押してチェックインカウンターへ。案の定下からの連絡は来ていなくて、再度事情を説明。「水漏れ防止シート??」何のことやらチンプンカンプンです。上司と相談して結局、大判のビニール袋に入れてチェックインし、「今回はOKですが、次回からは超過手荷物料金80ドルを申し受けます」で一件落着。心変わりしないうちに急ぎ足でゲートに向かう。

一難去ってまた一難!ゲート前でのセキュリティーチェックで「飲みかけの水?」「いや。あつ、しまったぁ!」機内で買った焼酎をそのまま持って歩いていたのでした。

「カウンターに戻って他の手荷物と一緒にチェックインしたら?捨てるのも勿体無いからさぁ。」階下のカウンターでチェックインした自分の手荷物に入れることは不可能と知りつつも、ただ捨てるのも勿体無いし、何らかの策があるかも知れないと、親切な保安検査員の忠告に従って先ほど離れたチェックインカウンターに戻って、先ほどの上司と相談です。

「機内持ち込みのバッグに入れてチェックインするより他に手は無いね。ゲートに戻って取って来たら?」さすがに、「その場合も追加料金見逃してくれる?」なんて悠長なやり取りをしている時間も無い状況でもあったので、「あんた、酒は好き?これ機内で買った超高級の酒なんだけどさ、今日はすっかりお世話になったからあんたにあげるから、なんかの時に使ってよ。じゃぁね。」と太っ腹のところを見せてやりました。「おいらの顔よく覚えておいてよ。次のときもまたヨロシクね!」と付け加えるだけの余裕が無かったのが悔やまれます。

おさらいしましょう。

出発遅れ1時間、入国審査遅れで1時間、手荷物のゴタゴタで1時間。合計3時間がつぶれたので、3時間半もある乗り継ぎ時間があっという間に過ぎ、退屈しないで乗り継げました。一勝三敗と負け越しにみえても物は考えようです。実は勝っていたのです。 負け惜しみかな?

 


日本語オタク

2007年06月15日 12時43分58秒 | Weblog

言語オタクとまではいいませんが、私は言語に関して関心が強く、特に最近の日本語の乱れには眉をひそめている人間の一人です。日本語についてはメディアでも最近取り上げることも多く、「日本語」をチェックするクイズ番組がテレビで人気を呼んだり、「問題日本語」なんて「問題の多い」タイトルを敢えてつけた本がベストセラーになったりしています。

いずれも最近の日本語の乱れを取り上げつつ、その乱れがどうして起こったかを分析し、ある年代の者が「乱れ」と感じても、他の年代の者にはなんの違和感もなく受け入れられているように、コミュニケーションの道具である言葉は時代に応じて変化・進化する生き物であり、「乱れ」は目くじらを立てるべきものでもないのかなとのトーンが目立ちます。

若者言葉や、いわゆる「マニュアル敬語」に違和感を感じる年代の私ではありますが、「日本語力」なんて変な造語まで生まれて日本語が注目を集め、ブームになっているのは、日本語にとっては悪いことではないのかなと思っています。乱れているかどうかを自分なりの経験・知識・意見で主体的に判定できるので、「脳」の向上にも資するのかなとも思っています。

因みに、「日本語」のように、なんでも名詞に「」をつける造語が最近特に目立ちます。「語学力」「英語力」はOKですが「日本語」には違和感ありです。「能力」は良いとしても「脳」はどうですかな? 「会話力」までは分かりますが「面接」と言われるとチョット抵抗がありますよね。ところで「抵抗」は勿論オッケーです。

こうみてくると、何が良くて何が悪いじゃなくて、コミュニケートするのに何が一番理解されやすい表現かが決め手になるのかな?よく分かりません!まさに生き物ですね。

「えっ、こんな言い方あり?」と違和感を感じた日本語に出会った時に私が必ず訪れてみるサイト、「平成ことば事情」をご紹介します。関西のYテレビ現役アナウンサーで、正しい日本語を守ることに情熱を傾けている(と私が思っている)、言語オタクっぽいまでにディテールにこだわる方の日本語分析サイトです。おもろいでっせ!http://www.ytv.co.jp/announce/kotoba/

ところで、最後に私のこだわりを一つ。

私がいつも聞くたびに違和感を拭いきれない言い回しは「~かな?」です。上の文章中「~のかな」と太字で表記した五つの「のかな」のうち、?マークつきの「かな?」だけは、疑問形であったり、どちらとも断定できない曖昧な場合に使う「~のかな」で正しい用法です。それに対して上の三つの「のかな」はそれが無くても意味の充分に通じる、余計で不要なシロモノです。自分の意見としてはっきりと断定するかわりに、なんとなくぼやかした、いつでも責任逃れが出来る余地を残したような、曖昧な表現です。ソフトな表現だとでも思って使っているのでしょうか?

サラリーマン時代に接したお役人が頻繁に使っていて気になったものですが、最近は大人も子供もフツーに使っていて、だんだんと市民権を得てきた表現なのでしょうが、そんな持って回った言い方しないで、自分は「こう思います」とはっきり言えよ!と怒鳴りたくなります、っタク!! 

更に悪質なのは、「思う」「考える」なんて自動詞の主語たる自分を放棄したとしか思えない言い回し。「これどう思います?」「良いんじゃないと思うかな?」。思うのか思わないのかどっちなんだ、はっきりしろッ!

おいらも・・・・相当な・・・・オタク・・・かな?


MLBは面白い

2007年06月12日 16時16分27秒 | Weblog

日本のプロ野球をテレビで観なくなってひさしいのに、メジャーリーグは毎日テレビの前にかじりついて観ています。その差は何なのでしょう?

異文化の中で頑張っている日本人プレーヤーの活躍ぶりを追いかけたいのが第一の理由。チームが何処であれ、選手が誰であれメジャーでのプレイを夢見てはるばるアメリカに渡って活躍している彼らを素直に応援してあげたいのです。松坂vsイチロー、岡島vs松井なんてマスコミが騒ぐ日本人対決なんてのはあまり興味はありません。日本人同士での潰しあいは出来れば避けたいくらいです。シーズンを盛り上げるにはヤンキースに勝ってもらいたいけど、松坂にも勝たせたい。

セーフィコフィールドでは去年おととしと連続して観戦しているので親近感もあり、敢えて贔屓チームを挙げるならばイチロー、城島が活躍してもなかなか成績が伸びないシアトル・マリナーズですが、「日本人プレーヤーの居るチーム」なら何処でも応援してしまう、心のひろいMLBファンを任じています。本当は「日本人ファン」ですね。

第二の理由は、文句なく試合が面白いことです。日本人プレーヤーへの思い入れは別にしても、MLBのハッスルプレーはテレビの前に釘付けで観戦していても飽きることがありません。MLBでプレーしていても結果を出さなければ何時マイナー落ちするかもしれないという緊張感、危機感がハッスルさせるのでしょうか。一生懸命さが観る方に伝わってきます。

第三に、老若男女あらゆる種類の人が真にベースボールを楽しみに来ているのが実感できる球場の雰囲気が私は好きです。グローブ片手に、ボールをキャッチしようと目を輝かせている子供たち。テレビに映って友達に、家族に自慢したい一心で、手製のプラカードを誇示したり、派手なダンスアクションでテレビカメラを惹きつけたりとあの手この手の作戦を楽しんでいる観客。まさに「ボールパーク」と呼ぶにふさわしい、ファンの遊び場です。

私が日本のプロ野球から遠ざかった理由はいろいろありますが、主たるものは、

①私設応援団の仕切る、鳴り物入りの騒々しくアホらしい応援。一億総ナントカみたいで個性のかけらが感じられません。

②選手のテレビタレント化。試合のショー化。マスコミの責任大ですが、プレーよりルックスが云々される風潮。大人のMLBに比べて子供集団のような印象を受けます。ホームランの後にマスコット嬢から人形やら花束やらを手渡す、薄っぺらい演出も試合を面白くなくしています。

③試合途中でも試合中継を終了してしまうことに代表されるファン軽視の姿勢。
(「スポンサーのご好意」に対してファンに「感謝せよ」とばかりのスタンス。)
中継アナウンサーの「絶叫」もなんとかならないものでしょうかねぇ?

「日本のプロ野球は観ないけどMLBは欠かさず観る」野球ファンがますます増えるような感じがしています。

個人的な好みの問題ですが、NHK衛星放送MLB解説者、元巨人軍のピッチャーN.T.氏の話しっぷり、なんとかなりませんかねぇ!?
「何とかだからあぁ~っ」「これこれするのはあぁ~」と語尾にやたらと力を入れて伸ばして発音するのがとても気になるのですがあぁ~

 


能楽のススメ

2007年06月07日 16時16分26秒 | Weblog

お能、能楽って知ってはいても観たことがないものの典型ですね。何が嫌いと言うわけでもないけれど、なにがなんでも観てみたいという意欲がわかないものの一つでした。魅力に乏しく敷居が高く、「とっつきにくいもの」の代表格ですらありそうですね。

子供の頃よく観たチャンバラ映画で、サムライの宴席で能が舞われている場面を観た記憶があります。般若の面をかぶっているのが実は「悪者」で、能を舞いながら主役の「善い者」に近づいて、これから起こる一波乱の前触れの役割を演ずるのがよくあるパターンだったと記憶しています。般若の面が気持ち悪かったのと、般若が暗示する一波乱にハラハラドキドキした記憶が頭の隅に残っていて、能を遠ざけてきたのかもしれません。

歌舞伎・文楽と並んで日本の三大芸能の一角を占め、ユネスコ世界無形文化遺産第一号に認定された能楽の「なんたるか」を教えてくれる「能楽のススメ」なる勉強会に行ってみました。異文化交流をライフワークにすると大見得を切った私としては、日本文化の基本の基本たる能楽のことも知らないでは済まされまいとの自覚と、残された時間はあまりないから早いうちに観るものは見ておこうという、より切羽詰った動機に後押しされた、殊勝な行動だったと分析しています。

観世流能楽師、シテ方の小島英明さんが講師兼進行役として、ユーモアを交えたトークで平明に説明してくれたこと、能の音楽である囃子の演奏を担当する囃子方も思っていた以上に若い人ばかりで、歯切れ良い説明と演奏が説得力あったこととがあいまって、これまでは遥か遠い存在であった能が一挙にその距離を縮めて、「へえ~。結構面白そうじゃん。」のレベルに近づいてきました。翁の面なんて要らないくらいに高齢の能楽師ばかりかと思っていたら、実に多くの若い人たちが能を支えている現実には正直驚かされました。

小島英明さんは、敷居の高いと思われがちな能楽をもっと身近に感じてもらおうと、その普及活動に力を入れている新進気鋭の能楽師です。
http://www.geocities.jp/noh_kjm/profile.html )

①能の歴史 ②能舞台の構造 ③能楽師の構成 ④番組表の見方 ⑤能の曲の種類 ⑥能の流れ ⑦能面・能装束につい ⑧能の囃子について

上の内容をトーク、実演を含めて約2時間弱でカバーし、休憩のあとは京都五条大橋での弁慶と牛若丸の出会い「橋弁慶」が演じられました。番組のストーリーの大筋が分かっているのに加え、前半の講義で得た予備知識もあったので、リラックスして橋弁慶を楽しむことができました。他の番組だったらどうだったろうか?

恥ずかしながら、勉強会で新たに次のことを学びました。

①主役を演じる「シテ方」と、演能におけるコーラス「地謡」とはまったく別の訓練を受けた別の役かと思ったら、地謡はシテ方の役割分担の一つ。仕舞と謡を習い、シテを演じない番組では地謡としてまたは後見として番組に参加する。

②大きく分けて「シテ方」「ワキ方」「狂言方」「囃子方」の四役からなり、それぞれ専門の役割分担を持ち、他の役を兼ねることはない。そのいずれもが「能楽師」である。現時点で登録されている能楽師1700人のうちシテ方は約1100人。

演能の後、最後のプログラムは矢来能楽堂の総桧の舞台でのワンポイントレッスンです。勿論コーチは小島先生。立ち居振る舞いのベースは「すり足」で、その基本要領は「出っ尻鳩胸、膝を緩やかに折るも前傾せず」。なんてこたぁない、ドライバーのアドレスポスチャーそのものでした。

スパインアングルを大事にしてスイングプレーンを意識する癖がついている私は、ゴルフだめになったら能楽に転向するかな? ノー!??


中高年「ミクシイ」入門講座 (2)

2007年06月05日 15時16分19秒 | Weblog

招待されてミクシイ・ワールドに入ったひとを便宜上「ミクシー」と呼びましょう。チョットややこしいけど、「ミクシイ」と「ミクシー」を使い分けましょう。ミクシーになったら自分のプロフィールを書き自己紹介をします。なるべく沢山の情報を発信すれば、そのプロフィールを見た他のミクシーからなんらかの連絡が来るかも知れません。お互いに赤の他人ではなく、「友達の友達」が集まるミクシイワールドの一員であるという気安さがありますから。前回の復習ですが直接の友達は「マイミクシイ」略して「マイミク」でしたね。

自分の趣味や関心のあることを扱っているコミュにどんな物があるかと検索してみると、そのコミュの多さに驚きます。誰でも参加できる公開のコミュなら、「コミュに参加」をクリックするだけでメンバーになります。そのコミュの中で話題ごとにメンバー同士のやり取りが繰り返されるのです。この話題(トピック)のことを「トピ」と略して呼ぶようです。

公開コミュには通常「自己紹介トピ」がありますので、そこで「はじめまして」と一言挨拶しながら簡単に自己紹介すれば、管理人なり他のメンバーから「ようこそ。よろしく」なんてレスが入りコミュ・ライフがスタートします。

コミュを検索したり、コミュの詳細を知ろうとする過程で、ミクシーの名前をクリックするとそのミクシーのページに飛び込みます。こうして飛び込んで(足を踏み入れて)来たミクシーが誰であるかは記録に残ります。(ミクシイ用語で「足跡を残す」です。)

マイミク以外のミクシーのページに辿り着いても、挨拶の仕方も知らず、そそくさと逃げ帰るような始末です。他人のお宅の玄関先からチラッと中をうかがって、声もかけずに失礼するに似た、マナー違反・エチケット違反でしょうが、若葉マーク・ミクシーに免じて勝手に許してもらっています。逆に、私のページにもマイミク以外の見ず知らずのミクシーの足跡が残っていることも多いので、オアイコかな?赤の他人なら不法侵入で文句を言うところだけど、お互いにミクシーだからと寛容になっているのでしょうね。これからは足あとを残したら必ず一言ご挨拶(ミクシイ用語で「ゲストブックに記帳」)することにします。

ミクシーになって自慢げに息子・娘をマイミクに登録。すると息子・娘が書いている日記のみならず彼らのマイミクのページにも簡単にアクセスできてしまうのです。子供世代の友達の輪に親が首突っ込むようで、「子供の喧嘩に親の口出し」ではありませんが、なんとなく「あってはいけないこと」みたいな、複雑な気持ちにもなります。子供世代のペースでレスし合っていたのが、親の目にも触れると分かれば、微妙な変化を強いたりはしないだろうかと、余計な気をつかってしまいます。今にして思えば、子供同士のやり取りから感じた「若干の煙たさ」みたいな空気は、これであったに違いないと納得できるのです。 

ま、あまり深く考えるのは先にして、当面はミクシイ・ワールドを楽しみ、自分の役に立つような使い方を探してみることにします。

「星さんぞうのマイミクになりたい!」「ミクシイ・ワールドに足を踏み入れたい!」と思し召しの向きには早速招待状をお送りしますので、お知らせ下さい。


中高年「ミクシイ」入門講座 (1)

2007年06月05日 00時03分09秒 | Weblog

ネット社会の新たな側面を垣間見て、パソコンに向かうのがまた面白くなってきました。若者だけの世界と思っていたミクシイの世界に足を踏み入れてしまったのです。

「父も招待しようか?」「でも、やっぱ止めといた方が・・」、娘と息子が以前交わしていた会話にイマイチ歯切れの良くない空気を察知していたのですが、今回足を踏み入れてみて、ようやくその意味が納得できた気がしています。今にして思えば、「時期尚早じゃない?その時がくれば、どうせ親父のことだから首突っ込んでくるよ」とでも言いたげなニュアンスでしたっけ。

新しい物事には、どちらかと言うと頭で理解してから慎重に接する方であるため、よく理解できないからと慎重になりすぎて尻込みし、食わず嫌いで終わってしまったこともこれまで多々あったと思っています。分からないなりにもまずその中に身を置いて、失敗や成功体験を積み重ねてみることで段々理解が進み、新しい物事を楽しむに至るということは今年の冬のスキーで体験済みです。ソーシャルネットワークサービス(SNS)ミクシイとの出会いもこんな感じでした。

「ミクシイ」の名前は聞いたことがあっても、その何たるかは知らず、知ろうともせずに打ちすごしてきました。メールのやり取りや、ブログのコメントにレスをつけて話が盛り上がって、それで満足していたら、友人Kenkoさんから「ブログのコメントで応酬するより、関係者だけで好き勝手におしゃべりできるようにミクシイにコミュニティーを立ち上げました。どうぞお越し下さい。」と招待状が届いたのです。

パソコン画面に指示されるままに手続きを済ませミクシイ侵入に成功!Kenkoさんの招待によりミクシイ仲間(便宜上「ミクシー」と呼びましょう。ややこしいかな?)になった私は、Kenkoさんの直接の友達で、ミクシイ用語では「マイミクシイ」略して「マイミク」(お友達)と呼ばれます。ミクシイ・ワールドには自分で門を叩いても入れず、誰かから招待されなければ入れません。不特定の誰でもがアクセスできるのではなく、「友達の友達だけの集合体」という安全感・安心感を売りにしているようです。いまや参加者が1000万人を超えるほどのネットワークらしいので、中には悪さするメンバーも居るのでしょうが、「誰が招待した友達か」の素性がたどれる仕掛けに大きな抑止効果があるのも事実なのでしょう。

Kenkoさんの管理するコミュニティー(略して『コミュ』)は非公開だからKenkoさんが承認したメンバーだけの閉鎖社会。そのコミュの中では本名で本音を丸出しのやり取りでもオッケーです。でも、ほとんどの人はハンドルネームと言うか、別の人生を歩みたいがゆえか、本名以外の名前を使っているようです。中には、明らかに実名と思われるプロフィールを見ると「おいおい、大丈夫か?」と他人事ながら心配になります。120パーセント安全であっても、更なる自己防衛策は講じておくに越したことはなさそうです。

長くなったので、続きはこの次に。