星さんぞう異文化きまぐれ雑記帳

異文化に接しての雑感を気ままに、気まぐれに

ケロウナ便り(36) 松茸うどん

2006年10月02日 14時10分34秒 | Weblog

いよいよケロウナ滞在も残り二日、帰国が秒読みに入りました。今夏のケロウナ便りはこれを最終号といたします。最後の最後に極めつけの自慢話で申し訳ありませんが、おつきあい願います。

先週の「松茸空振り旅行」のリベンジに出かけてまいりました。今度は友人Hさんがとっておきのスポットに出かけるのに同行させていただいたものです。Hさんの経験と知識を武器に早朝6時の出陣です。

朝9時のフェリーでアロー湖を渡り「松茸街道」を進むこと数分、森の中に我が愛車サイドキックちゃんを停めて、松の倒木がいくつも横たわる、いかにもそれらしいスポットに分け入りました。が、それらしい松茸の姿にめぐり会いません。歩き回るうちに白い大きな傘のキノコを発見!Hさんに確認してもらうと、イタリア料理には良く使われる「シャンテレール」というキノコで、カナダ人には松茸より珍重されているとのこと。エリンギに似て歯ざわりも良く、ソテーにしたりスパゲッティに入れたりと利用範囲は広いとのことなので一応キープ。

二年前にはあっという間に数十本の松茸が採れたスポットではあるが、8月の雨量が少なかった影響で今年は不作とのこと。Hさんの袋にも入っているのはシャンテレールだけ。「よし、もうちょっと動いてみよう。沢山採れる年、ダメな年いろいろあるんだから、次でダメなら今年は運が無かったって言うだけの話よ」。進むも退くも即断即決の江戸っ子Hさんらしい、小気味のいい発言です。

最初のスポットから数分移動して、今度は胸突き八丁の急坂の森に踏み込み歩くこと数分。「あったぁ!」とのHさんの声に私と女房は大急ぎでHさんに合流。よくよく見ると土の中に埋まりこんで白い頭だけを僅かに地表に出した若い松茸に初見参。「これじゃ初めての我々にはわっからないやぁ!」と戦意は萎えて行くばかり。シャンテレールの量ばかりが増えてゆくのでした。

さしものベテランHさんをして「やっぱり今年はダメなんだな」と言わしめ駐車場に向かって下山をしている途中、駐車場近くの平坦な地面に横たわる松の倒木の脇にまたまたシャンテレールらしきもの発見。でも、傘の丸みがちょっと違うような・・・・。大事に掘り起こして鼻先に持ってくると・・・、憧れの強い香り。興奮気味に「Hさ~ん!これ、まさか・・・」。ビンゴ!!紛れも無く「松茸!」とのご託宣。「へぇ~、これがマツタケなんだぁ」とうとう敵の首根っこをおさえたような安堵感で放心状態です。

その周辺に目を這わすと・・・右奥にも1個、その先にも更に1個と同じような大きさの白い物体が目に入るではありませんか。我が女房までもが「あっ、ここにもあるぅ!」と放心状態から一瞬にして興奮状態に早変りです。

最後の最後の10分間で写真のような見事なマツタケを収穫して見事リベンジを果たし、勝ちどきをあげ意気揚々と引き上げたのは言うまでもありません。

二日後の帰国予定にあわせて冷蔵庫の中の食材は綺麗に整理し終わっていて、今夜はうどんを食べるべく準備してあったので、不謹慎にも、贅沢にも、申し訳なくも、今晩は「松茸うどん」とシャンテレールのソテーが食卓を飾ってくれました。

肉厚の松茸が放つ香りと、耳にコリコリと心地よく響く歯ごたえ・・・、松茸の姿を目にすることなく一足先に帰国した仲間にこの感動をどう伝えたものか・・・、悩みます。

(完)

勝手気ままに綴った「ケロウナ便り」。愚にもつかない無駄話を愛想も尽かさずにお読みいただき有難うございました。また次の機会があれば続編をと愚考しております。暇な折りに立ち寄ってみてください。

 


ケロウナ便り(35) New Denver 日系センター

2006年10月02日 10時15分42秒 | Weblog

松茸街道(と私が勝手に呼んでいるだけですが)沿いに点在する温泉めぐりの間にNew Denverという古い町に立ち寄りました。かつてはEl Dorado(宝の山)と呼ばれた町で、銀鉱脈を擁する隣町Slocan Cityへの人・物・金の補給基地として栄えた歴史があるそうです。アメリカコロラド州DenverにあやかってNew Denverと命名したそうですが19世紀が終わる頃この銀山は最盛期を迎え、本家のDenverを凌ぐ勢いであったとか。今でも往時を偲ばせる建造物がいくつか残ってはいますが、今は林業と農業とで細々と成り立っている、なかばゴーストタウン化寸前の小さな集落と言うのが実の姿でした。

東のクートニー湖(Lake Kootenay)、西のアロー湖(Arrow Lake)に挟まれたこの地域はWest Kootenayと呼ばれブリティッシュコロンビア州でも一番奥まった地域で、長い冬は深い雪にとざされる気候の厳しい地方です。ここから東に少し行けばアルバータ州に入る地区で、カナディアンロッキーの麓の盆地のような地域です。

銀鉱山の最盛期1890年代にはNew DenverのほかにもSandon, Kaslo, Three Forks, Codyその他の近隣集落も殷賑を極めていたそうですが、20世紀に入って生産量も落ち込み、大恐慌を経て1930年代には凋落の一途をたどったのでした。1897年には8000人であったSandonの人口は1930年にはたったの50人に激減したとの新聞記事がありました。

かつてはSilver Rushを謳歌した町が凋落して人口が激減したため、空き家が相当数確保できたのがその理由の一つと聞くと驚かされますが、実はこの地域に日系カナダ人強制収容所が設けられたのです。

1941年12月7日真珠湾攻撃が開始されると同時にカナダ国内でも日系人への疑念とパニックが広がり、2万2千人におよぶ日系カナダ人の財産を没収し、人権を剥奪し、「敵性外国人」のレッテルを貼るというカナダの歴史に汚点を残す事態に立ち至ったのです。7割近くはカナダ生まれのカナダ人であるにもかかわらずです。およそ1万2千人の日系カナダ人がこの周辺地域に急造された小さなバラックに収容され、戦後、強制収容が解かれた後も、この施設には1957年まで日系人が住んでいたと聞かされてまたまた驚きました。

日系カナダ人強制収容の歴史・資料を集めて展示する「日系強制収容記念館」(Nikkei Internment Memorial Centre)がこのNew Denverの町外れにあり、カナダの忌まわしい歴史の1ページへの理解を深めようと多くの人々が訪れています。
http://www.newdenver.ca/nikkei/nikkei.php  および
http://www.sd36.bc.ca/frshts/departments/japanese/jpncan_kyowakai.html参照)

1988年マルルーニ首相の時代にカナダが国として正式に謝罪して、関係者のこうむった損害を賠償する手続きがそれなりに完了したとのことです。

日系カナダ人が戦時中こうむった苦難の歴史を見た後にしてはやや不謹慎との自省の念を抱きながらも、この後足を伸ばしてWest Kootenay随一との呼び声高いAinsworth Hot Springs(http://www.hotnaturally.com/)に立ち寄り入浴してまいりました。ここの温泉の洞窟風呂は正真正銘の「源泉かけ流し」で、洞窟内は熱気が充満してサウナ状態。久しぶりに温泉らしい温泉に浸かり気持ちのいいひと時を過ごしました。

Slocan Valley地区に強制収容されていた日系カナダ人がこの温泉を利用していたのかどうかは聞きもらしてしまいました。

 


ケロウナ便り(34) 紅鮭

2006年10月01日 09時06分23秒 | Weblog

砂漠性気候と年間2000時間の日照時間を誇る、さすがのケロウナも9月に入ってすっかり秋の気配を濃くしています。日中の最高気温が17~8℃、夜間は5℃以下に下がる日も珍しくありません。9月に入ってからインディアンサマーと呼ばれる残暑のきつい日があっても良さそうなものですが、一向に気温が上がりません。ワシントン州北部の山火事の煙がケロウナまで流れ込んで来て、日中の空を曇らせていた9月の初旬ころから、どうやら秋が訪れ始めていたようです。

酷暑が過ぎ去り涼しい気候が来るのを待っていたのか、何処のゴルフ場も真夏以上の混みようです。殆どのゴルフ場が10月末にはクローズされるので、駆け込みゴルファーも多数居るに違いありません。われわれが長袖長ズボンでプレーしていても、カナダ人は半袖半ズポンが相変わらず大多数です。何食べてるんでしょうかねぇ!?

北国の秋は短く、あっという間に冬がやってくるとのことで、スキーシーズンに備えてスキー場のシーズンパスも既に発売されています。乾燥した気候特有のパウダースノーが降り積もる本格的スキーシーズンは毎年一月になってからだそうで、ゴルフシーズンと本格的スキーシーズンに挟まれた11~12月は特にやることが無く、ケロウナで一年のうちで一番退屈な季節だそうです。

この時期に当地の日本人(日系人も含む)が楽しみにしているのが「松茸狩り」です。ケロウナから300キロほど離れたナカスプ(Nakusp)近在の山に入り込み、1日かけて収穫した松茸をその場で焼いたり鍋にしたりで堪能し、近くの温泉で汗を流すのが無上の楽しみと「荻さん」も告白していました。

われわれも聞きかじりの情報を基にナカスプに出かけて、松茸のありそうな場所をほっつき歩いて見ましたが、結果は残念ながら「坊主」。来年の課題がまた増えました。松茸探しのついでに近くの温泉だけはしっかりとハシゴしておきましたけどね。

その途上に紅鮭の溯上で有名なアダムス川に立ち寄ってみましたが、こちらもピークシーズンには2~3週間早いとのことで鮭の大群にはお目にかかれませんでした。異常気象で水温が変化したり、餌になる動植物の生態系に変化が出たのも影響しているようです。それでも日曜日の午後でもあり、多くの見物客が川べりに集まり午後の陽射しを楽しみながら紅鮭探しをしていました。写真のように真っ赤な婚姻色に染まった紅鮭のカップルが川べりの産卵スポットを探しながら右往左往している姿がそこかしこに見受けられます。

生を受けてからキッチリ4年後に産卵のために生まれ故郷の川に戻るのが鮭の習性だそうで、今年は相当な大群が遡上してくるとの予想です。浅瀬には鮭の大群の跳ね上げる水しぶきが飛び交い、川が赤く染まるような光景も見られるとのことです。でも体力の限りを尽くして川を溯上して生まれ故郷に戻り、産卵とともに4年間の命を閉じる姿は凄絶な、悲壮感漂う光景のようですから、「空振り」で済んで後味としては良かったのかもしれません。

日本もすっかり秋めいてきたようですし、松茸、紅鮭のピークを前にして、そろそろ荷物を纏めてケロウナを発つ日が近づいてきたようです。