問題に直面したら「なぜ?」「どうして?」と三回繰り返して問題点を掘り下げると解決策が見えてくるとどこかで読んだ記憶があります。私の「急性失語症」を「慢性」にしないために、私もこれを試してみることにしました。
①「なぜ今スペイン語なのか?」
予告編にも書いたとおり、約半世紀前に習ったスペイン語への思い入れが原点。私のもう一つの原点「AFS」が、この時点でスペイン語を習得するチャンスを与えてくれたので、これに飛びついたもの。スペイン語もさることながら、アルゼンチンで異文化を体験するのが主目的だから、スペイン語は言ってみれば「オマケ」。(早くも逃げの口実が見え隠れしているな?)
②「どの程度の習得を目指すのか?」
新聞なんか読めなくて良い、テレビも難しいニュースは理解できなくて良い、スペイン語で飯を食おうなんて気持ちは毛頭ありません。文法的に正しくないと笑われてもかまわない。お前の言いたいことは大体こんなこと?と相手が想像力も駆使して、こちらの言いたいことの60パーセントくらいを理解して貰えればOKです。早い話が、スペイン語圏に行ってなんとか飲み食いが出来、身の安全が確保できるだけの基本的なコミュニケーション能力が身に着けば満足です。
③「そのためにどのくらい頑張る覚悟があるのか?」
ハッキリ言って、体力・気力の衰えは隠しきれず、特に記憶力の減退は日々痛感しているので、この歳になって死に物狂いにシッチャ気になって頑張る気はありません。歳相応に「それなり」の努力は惜しみませんので、それなりの結果は期待したいところです。
とまあ、いくら掘り下げてみても所詮は私の「自然体で無理しない」いつものスタンスがここでも顔を出します。でも、このプロセスを経ることでだいぶ気持ちが楽になりました。40年ぶりに受ける学校教育を前にして登校拒否反応が出やしないかと心配していましたが、このプレッシャーからも解き放たれました。
月~金の朝9時半から午後1時半までの毎日4時間、これを三週間こなして60時間のスペイン語入門講座。30歳代の新進気鋭の先生が、文法的にも正しいスペイン語を身につけさせようと丁寧に教えてくれるのを、私独自のスタンスと尺度で取捨選択したり、100点満点を目指す先生の授業内容をまともに受け入れたら心身に変調を来たしそうだと直感した私は、60点の及第点すれすれに目標をシフトして、なんとかこの難局を切り抜けることが出来たのも、事前のクールな自己分析で自分の目標をハッキリさせたおかげと勝手に納得したものです。
こうして開き直ってみると気持ちに余裕も出来、テキスト内容もよく見れば50年前に習ったことの復習のようでもあり、今の自分に合った「それなりの」物に見えて来るから面白いものですね。
最初耳にしたときは先生の口癖かと思ったら、その後多くの人が多くの場面で使うことに気がついた面白い表現に「mas o menos」があります。耳にはマッソメノスと聞こえます。masは英語のmoreまたはplusで、menosは英語のlessまたはminusです。mas o menos とは英語のmore or lessですね。日本語で言う「多少は、まあまあ、多かれ少なかれ」に近いニュアンスですが、この応用範囲が実に広い。
難しい内容を説明した後で先生が「分かった?」、それでもこちらが自信なさそうな顔をしていると「mas o menos?」と来る。「ある程度は分かった?」「全部とは行かないまでもそれなりには分かった?」「まあまあ分かったかなって感じ?」てなニュアンスです。
「何時に集合するの?」「mas o menos 3時」。つまりキッカリでなくても良いけど、「およそ3時頃」。「あそこまでの距離は?」「正確に記憶はしていないけどmas o menos 2キロ」。
この他にも物事を断定的に言えないときにファジーにぼかしたいとき、好き嫌いを聞かれて率直に答え難いとき、Yes/Noをハッキリ言いたくないとき等々、まあまあ、多少は、よくわかんないけどね、おおよそ、まずまず、大体、約、ほぼ、それなりに、どっちこっちなしに、どっちかと言えば・・・と断定しないファジーな表現でなかなかに用途が広く使い勝手の良いスグレモノで、語彙の少ない私も重宝して多用する表現の一つです。
考えてみれば、今回私が目標としているスペイン語こそ「mas o menos エスパニョール」そのものですね。
①「なぜ今スペイン語なのか?」
予告編にも書いたとおり、約半世紀前に習ったスペイン語への思い入れが原点。私のもう一つの原点「AFS」が、この時点でスペイン語を習得するチャンスを与えてくれたので、これに飛びついたもの。スペイン語もさることながら、アルゼンチンで異文化を体験するのが主目的だから、スペイン語は言ってみれば「オマケ」。(早くも逃げの口実が見え隠れしているな?)
②「どの程度の習得を目指すのか?」
新聞なんか読めなくて良い、テレビも難しいニュースは理解できなくて良い、スペイン語で飯を食おうなんて気持ちは毛頭ありません。文法的に正しくないと笑われてもかまわない。お前の言いたいことは大体こんなこと?と相手が想像力も駆使して、こちらの言いたいことの60パーセントくらいを理解して貰えればOKです。早い話が、スペイン語圏に行ってなんとか飲み食いが出来、身の安全が確保できるだけの基本的なコミュニケーション能力が身に着けば満足です。
③「そのためにどのくらい頑張る覚悟があるのか?」
ハッキリ言って、体力・気力の衰えは隠しきれず、特に記憶力の減退は日々痛感しているので、この歳になって死に物狂いにシッチャ気になって頑張る気はありません。歳相応に「それなり」の努力は惜しみませんので、それなりの結果は期待したいところです。
とまあ、いくら掘り下げてみても所詮は私の「自然体で無理しない」いつものスタンスがここでも顔を出します。でも、このプロセスを経ることでだいぶ気持ちが楽になりました。40年ぶりに受ける学校教育を前にして登校拒否反応が出やしないかと心配していましたが、このプレッシャーからも解き放たれました。
月~金の朝9時半から午後1時半までの毎日4時間、これを三週間こなして60時間のスペイン語入門講座。30歳代の新進気鋭の先生が、文法的にも正しいスペイン語を身につけさせようと丁寧に教えてくれるのを、私独自のスタンスと尺度で取捨選択したり、100点満点を目指す先生の授業内容をまともに受け入れたら心身に変調を来たしそうだと直感した私は、60点の及第点すれすれに目標をシフトして、なんとかこの難局を切り抜けることが出来たのも、事前のクールな自己分析で自分の目標をハッキリさせたおかげと勝手に納得したものです。
こうして開き直ってみると気持ちに余裕も出来、テキスト内容もよく見れば50年前に習ったことの復習のようでもあり、今の自分に合った「それなりの」物に見えて来るから面白いものですね。
最初耳にしたときは先生の口癖かと思ったら、その後多くの人が多くの場面で使うことに気がついた面白い表現に「mas o menos」があります。耳にはマッソメノスと聞こえます。masは英語のmoreまたはplusで、menosは英語のlessまたはminusです。mas o menos とは英語のmore or lessですね。日本語で言う「多少は、まあまあ、多かれ少なかれ」に近いニュアンスですが、この応用範囲が実に広い。
難しい内容を説明した後で先生が「分かった?」、それでもこちらが自信なさそうな顔をしていると「mas o menos?」と来る。「ある程度は分かった?」「全部とは行かないまでもそれなりには分かった?」「まあまあ分かったかなって感じ?」てなニュアンスです。
「何時に集合するの?」「mas o menos 3時」。つまりキッカリでなくても良いけど、「およそ3時頃」。「あそこまでの距離は?」「正確に記憶はしていないけどmas o menos 2キロ」。
この他にも物事を断定的に言えないときにファジーにぼかしたいとき、好き嫌いを聞かれて率直に答え難いとき、Yes/Noをハッキリ言いたくないとき等々、まあまあ、多少は、よくわかんないけどね、おおよそ、まずまず、大体、約、ほぼ、それなりに、どっちこっちなしに、どっちかと言えば・・・と断定しないファジーな表現でなかなかに用途が広く使い勝手の良いスグレモノで、語彙の少ない私も重宝して多用する表現の一つです。
考えてみれば、今回私が目標としているスペイン語こそ「mas o menos エスパニョール」そのものですね。