星さんぞう異文化きまぐれ雑記帳

異文化に接しての雑感を気ままに、気まぐれに

コルドバ便り(4) マッソメノス mas o menos

2008年03月31日 05時38分57秒 | Weblog
問題に直面したら「なぜ?」「どうして?」と三回繰り返して問題点を掘り下げると解決策が見えてくるとどこかで読んだ記憶があります。私の「急性失語症」を「慢性」にしないために、私もこれを試してみることにしました。

①「なぜ今スペイン語なのか?」
予告編にも書いたとおり、約半世紀前に習ったスペイン語への思い入れが原点。私のもう一つの原点「AFS」が、この時点でスペイン語を習得するチャンスを与えてくれたので、これに飛びついたもの。スペイン語もさることながら、アルゼンチンで異文化を体験するのが主目的だから、スペイン語は言ってみれば「オマケ」。(早くも逃げの口実が見え隠れしているな?)

②「どの程度の習得を目指すのか?」
新聞なんか読めなくて良い、テレビも難しいニュースは理解できなくて良い、スペイン語で飯を食おうなんて気持ちは毛頭ありません。文法的に正しくないと笑われてもかまわない。お前の言いたいことは大体こんなこと?と相手が想像力も駆使して、こちらの言いたいことの60パーセントくらいを理解して貰えればOKです。早い話が、スペイン語圏に行ってなんとか飲み食いが出来、身の安全が確保できるだけの基本的なコミュニケーション能力が身に着けば満足です。

③「そのためにどのくらい頑張る覚悟があるのか?」
ハッキリ言って、体力・気力の衰えは隠しきれず、特に記憶力の減退は日々痛感しているので、この歳になって死に物狂いにシッチャ気になって頑張る気はありません。歳相応に「それなり」の努力は惜しみませんので、それなりの結果は期待したいところです。

とまあ、いくら掘り下げてみても所詮は私の「自然体で無理しない」いつものスタンスがここでも顔を出します。でも、このプロセスを経ることでだいぶ気持ちが楽になりました。40年ぶりに受ける学校教育を前にして登校拒否反応が出やしないかと心配していましたが、このプレッシャーからも解き放たれました。

月~金の朝9時半から午後1時半までの毎日4時間、これを三週間こなして60時間のスペイン語入門講座。30歳代の新進気鋭の先生が、文法的にも正しいスペイン語を身につけさせようと丁寧に教えてくれるのを、私独自のスタンスと尺度で取捨選択したり、100点満点を目指す先生の授業内容をまともに受け入れたら心身に変調を来たしそうだと直感した私は、60点の及第点すれすれに目標をシフトして、なんとかこの難局を切り抜けることが出来たのも、事前のクールな自己分析で自分の目標をハッキリさせたおかげと勝手に納得したものです。

こうして開き直ってみると気持ちに余裕も出来、テキスト内容もよく見れば50年前に習ったことの復習のようでもあり、今の自分に合った「それなりの」物に見えて来るから面白いものですね。

最初耳にしたときは先生の口癖かと思ったら、その後多くの人が多くの場面で使うことに気がついた面白い表現に「mas o menos」があります。耳にはマッソメノスと聞こえます。masは英語のmoreまたはplusで、menosは英語のlessまたはminusです。mas o menos とは英語のmore or lessですね。日本語で言う「多少は、まあまあ、多かれ少なかれ」に近いニュアンスですが、この応用範囲が実に広い。

難しい内容を説明した後で先生が「分かった?」、それでもこちらが自信なさそうな顔をしていると「mas o menos?」と来る。「ある程度は分かった?」「全部とは行かないまでもそれなりには分かった?」「まあまあ分かったかなって感じ?」てなニュアンスです。

「何時に集合するの?」「mas o menos 3時」。つまりキッカリでなくても良いけど、「およそ3時頃」。「あそこまでの距離は?」「正確に記憶はしていないけどmas o menos 2キロ」。

この他にも物事を断定的に言えないときにファジーにぼかしたいとき、好き嫌いを聞かれて率直に答え難いとき、Yes/Noをハッキリ言いたくないとき等々、まあまあ、多少は、よくわかんないけどね、おおよそ、まずまず、大体、約、ほぼ、それなりに、どっちこっちなしに、どっちかと言えば・・・と断定しないファジーな表現でなかなかに用途が広く使い勝手の良いスグレモノで、語彙の少ない私も重宝して多用する表現の一つです。


考えてみれば、今回私が目標としているスペイン語こそ「mas o menos エスパニョール」そのものですね。


コルドバ便り(3) ホストファミリーの横顔

2008年03月30日 00時50分28秒 | Weblog
これから4週間お世話になるホストファミリーの横顔を紹介しておきましょう。

ホストたる、わが弟の職業は「アボガド」。???。アボカドを大きくして色抜きしたような体つきの弟の職業abogadoを辞書で調べたら、なんと弁護士。人は見かけによらないものです。法学博士であるとともに哲学の修士課程を修めた哲学者でもあるとのこと。特にニーチェの信奉者で、話の端々にカント、ヘーゲルその他聞いたことだけはある哲人の言を引用することしばしば。インテリです。

ラテン語、ギリシャ語、ロシア語、フランス語、ドイツ語の読み書きを自由に操るとのことで、「英語だけがダメ」と聞いたときは思わず自分の耳を疑ったものです。兄貴のスペイン語習得を早めるために英語能力を隠しているんじゃないかと疑ったのですが、さすがは弁護士、嘘ではありませんでした。こんなことってあるんですかねぇ?祖父の代にフランスからアルゼンチンに移住したとのこと。

その奥さん、当家においての私の妹は、祖父の代にイタリアから移住して、ブエノスアイレスで建築業を営んでいた親父さんに可愛がられて育てられた、根っからの「ブエノスアイレスっ子」。自分でも商売(negocio)をして、成功と挫折を経験した後に、今は100パーセント専業主婦。イタリアンを初めとして料理の腕は確かで、私の一ヶ月の食生活を支えていただいたことに感謝。掃除洗濯が好きで、下着にまでアイロンをかけてもらったのは人生初体験でした。

アルゼンチンのスペイン語のリズムと抑揚は、私の耳にはイタリア語のように聞こえてならないのです。特にこの妹の喋っている言葉は、実はイタリア語ではないのかと疑いたくなるほど、私のイメージするスペイン語とは遠くかけ離れた言葉に聞こえるのです。聞いているだけなら、ある種の音楽のようにリズミカルで心地良いのですが、自分が理解したうえで反応を求められる場面では、全く絶望的に打ちのめされる、そんな喋り方をする、生粋のブエノスアイレス娘だったのです。娘さん時代に英語の勉強は全くしなかったようで、英語の「えの字」も喋らずスペイン語オンリー。

「こちとら素人なんだから、もっとゆっくり喋ってくれよ!」と心の中で叫び続けるのですが、その声は彼女には届かず、情け容赦もなくリズミカルに襲い掛かってきます。ゆっくり話して貰っても到底理解できないからと諦め切って、喋るだけ喋らせておいて、「ごめん、僕には理解できない」と詫びを入れたときに、妹が私に向ける眼差しは、拍子抜けした気持ちを隠しませんが、なんとか理解させようと二度三度と繰り返してくれるので、こちらは申し訳なくって・・・。と、妹とはこんな按配のコミュニケーションの繰り返しなのです。

この二人は夫々に別姓を名乗っております。ということは夫々に離婚歴があり、同居はしているものの結婚はしていない、つまり同棲(共同生活)中なのですね。夫々の娘さんを一人ずつ連れて合計4人が共同生活をしている家に、5人目の共同生活者として私が加わったということですね、早い話が。

わが妹の娘は21歳の法学部大学生。大学生なら英語の一言二言は喋るだろうと期待したら・・・・本当に一言、二言だけでした。「これから勉強しようと思っている。勉強って英語でStudyだったよね?」だって。 目の前真っ暗、頭の中真っ白!!

弟の娘は中度のダウン症で自分の身の回りの始末はできるものの、食べることと寝ることが中心の毎日で、機嫌のいいときはリビングのソファーでくつろぐけれども自室で横になっていることが多い日常です。家族と交わす言葉の数は限られていますが、紛れも無いスペイン語をゆっくり喋るので、彼女のスペイン語が私には一番分かりやすいのです。彼女ときちんと筋道を立てた会話が出来ればベストなのですが、お互いのコミュニケーション能力に限界があり、残念ながらそれは叶いません。

結論を急ぎましょう!

英語を介在してのコミュニケーションが全く取れそうに無いこの状況をどう評価するか?どう対処するか?スペイン語を学ぶには最高の環境と前向きに捕らえるか、失語症状態はお先真っ暗と引きこもるのか?

どうする、どうする?

コルドバ便り(2) ホストファミリーとご対面

2008年03月28日 06時51分56秒 | Weblog
定刻7時にコルドバのバスターミナルに着いた夜行バスから降りると、そこにはホストファミリーが出迎えに待っていて、留学生と対面です。こちらでは初対面の挨拶(初対面のみならず、毎日顔を合わせる者同士でも)は男女を問わず頬に軽くキスをし合うのが通例です。キスと言うよりも「頬ずり」とでも言うべきニュアンスでしょうか。スペイン語でBesoが名詞で、あの「ベッサメムーチョBesame mucho」「いっぱいキスをしてちょうだい」のBesameと同じ語源ですね。英語で言うHug and kissと同じ挨拶で、お辞儀や握手よりも時間と手間が求められます。

親しい者同士の手紙やe-mailの最後に「un beso」なんて書き添えるのが通例のようですから、「キス」なんて深刻に考えない軽い挨拶の定型表現なんでしょうね。

いい年をした大の男同士が頬を付け合って「チュッ!」なんて音を出しているのには、初めは戸惑ったものでした。相手から明らかに近寄って来た場合は私も応じましたが、そうでない限りは初対面の男性とは握手で済ませるようにしました。相手が女性の場合は、初対面であるかどうかに関係なく例外なしに現地方式の挨拶を徹底するように努めたのは言うまでもありません。なんせ異文化交流が今回の訪問の主目的ですから。

一台のバスから降り立った留学生4人と付き添いで合計5人。出迎えたホストファミリーと現地スタッフがザッと15人程度として、合計20人の男女が入れ替わり立ち代りBesoの挨拶を繰り返すわけですから時間も馬鹿になりません。名前を名乗りあって握手をするのとは異なり、同じ仲間だなと認め合ったらすぐにBeso。初対面でありながら名前も知らずにBesoだけで挨拶を済ませ、後で「今の人、名前は?」と考え込むことの連続です。

他の留学生はホストファミリーと面会して、三々五々家路に就きましたが、私がお世話になるのはコルドバから35キロ離れたカルロスパスという保養地にあるご家庭なので、ファミリーとの面会は更にバスを乗り継いで一時間ほど後になります。年齢制限を超えたこの学生を受け入れるホストファミリー探しに苦労した様子が、この距離と時間の差に偲ばれます。めげるな学生さん!!

英語の喋れるスタッフに付き添われてカルロスパスに到着したのが8時過ぎ。サマータイムを導入しているためまだ夜が明け切っておらぬ暗さの漂うバス停にホスト夫妻が出迎えてくれました。上背も横幅も大柄なホストに抱きすくめられるようにしてBesoで歓迎されたあとは、そのお返しにホスト夫人を今度は私がゆとりを持って抱きすくめBesoで返礼したものでした。

縦も横も一番大きな付き添いと大柄なホストとのBesoは、相撲取り同士が取っ組み合いしながらチュッなんて音を出しているようで、何とも滑稽でありながら、当地の人の優しさがにじみ出た、得も言えず微笑ましい光景でした。

ホストは私より一歳年下、夫人はほぼ十歳若いので、ブラザー、シスター(スペイン語でhermano(弟)hemana(妹))と呼ばせて貰うことに私の一存で決めました。このことは今は説明する能力も無いので、私の胸のうちに収めておき、言葉の習得に応じて、なるべく早い機会に関係者の了解を取り付けるものと決定しました。

私のスペイン語能力は高が知れているので、その機会が早く来るか遅くなるかは弟・妹の英語理解能力次第なのです。初対面の様子では・・・その機会は大分遅くなりそうな予感ですが・・・・。

コルドバ便り(1) いざ行かんコルドバへ!

2008年03月27日 16時01分59秒 | Weblog
アルゼンチンに一年間留学するために世界各地から集まった高校生にまじって、短期留学組の我々もオリエンテーションを済ませ、いよいよホームステイ先のコルドバに向けて出発です。ブエノスアイレスから700キロほど離れたコルドバへの移動は空路とばかり思い込んでいたら、なんと8時間かけての夜行バスとのことで先ずビックリ。そりゃそうでしょう、何百人と居る高校留学生をいちいち飛行機で運んでいたらいくら予算があっても足りません。頭では分かっちゃいるんですが・・・・。

ベッドとまでは行かないまでも、深くリクライニングする寝台席(Cama seat 因みにCamaとはスペイン語でベッドのこと)の完備した夜行バス。二階のSemi Camaに比べたらゆっくりくつろげて充分に睡眠可能でした。これで100ペソ(約4000円)とはずいぶんと割安感溢れる交通手段です。

日本の国土の10倍もあるアルゼンチンでは、長距離輸送の庶民の足としてこの長距離夜行バスのネットワークが四通八達しているのです。コルドバでの研修が終わってブエノスアイレスに戻る時もこのバスのお世話になる予定です。なんせ学生の身ですから贅沢は言えません。若さと体力の勝負です!

確か、この一週間ぐらい後に死者20人を出したバスと列車との衝突事故があり、遠い日本でも報道されたようです。ブエノスアイレスのバスターミナルには90台が同時に発着できるプラットフォームがあったので、少なく見積もっても一晩に数千人が各地に向けて出発して行く計算になりますね。

別の項で書くことになると思いますが、あの運転マナーで、あのスピードでぶっ飛ばせば事故が起こらないのが不思議だし、現に各地で交通事故が起こっているのを目撃しているので、車好きの私でも自分で運転しようかと言う気持ちにはなりません。ニュースにならない小さな事故は各地でもっと起こっていると思った方が良さそうな印象でした。

特にブエノスアイレスのバスターミナルは、いわゆる貧困層の密集する「不安全」な地域にあるとのことで、スーツケースや手荷物を身体から離すなと厳重注意され、団体で動いた我々でもスーツケースを壁側に押し付け、その前に座り込んで盗難防止に備えるといった、注意の徹底振りです。

横断歩道を歩くのにも一人で動かずに団体行動しながら周りに目を配れとは、外国人同士がお互いに注意を喚起しあうのではなく、我々の面倒を見てくれている現地アルゼンチンのスタッフの言葉ですから重みがあります。人種的背景を異にして、貧富の差の激しい民族構成を垣間見た思いのする、緊張感溢れる出発風景でした。

人の集まるターミナルや駅では「安全が当たり前」と思い込み勝ちな我々にとっては、「そこまで心配するか?」との感もありますが、保安意識の高さ、保安・防犯対策の徹底振りは、この後各地で、各場面で目にすることとなりました。

さあ、11時の出発時刻が迫りました。一眠りすれば明朝7時にはコルドバです。