星さんぞう異文化きまぐれ雑記帳

異文化に接しての雑感を気ままに、気まぐれに

コルドバ便り(予告編 その3)

2008年01月14日 08時01分43秒 | Weblog

先ず第一の壁、年齢。

社会人に門戸を開いたプログラムとはいえ、とっくに還暦を過ぎた私でもいいのか?
高校生ならホストファミリーのご主人を「papa」、ホストマザーを「mama」なんて自然に呼べるけれど、ホストファミリーの誰よりも年齢が高いと思われる私は、彼らをなんと呼べばいいのか?まさか「ホスト・サン」とも呼べまいし・・・・。
こちらの年齢と標準的なホストファミリーの家族構成とを考慮してか、「もしご希望であればホテルも用意できますが」と親切に言ってくれた事務局には「いやいや、AFSの真価はホームステイにあるので、是非ホームステイでお願いします」と、どこまでもホームステイにこだわりました。前代未聞のシニア・スチューデントを受け入れる家族を探すのに一苦労も、ふた苦労もしているアルゼンチンAFSには申し訳ない限りですが、AFSスピリットを理解してくれて家族を探してくれている、関係の方々の懐の深さには頭の下がる思いで一杯です。

第二に言葉の壁。

スペイン語を使い慣れた大学生・社会人が、スペイン語に磨きをかける場を提供するプログラムと理解するべきで、ほぼ半世紀前にスペイン語をちょこっと齧ったことのある程度のオッサンがのこのこ登場したのでは、アルゼンチンのAFS関係者に対して失礼ではないのか?実は、ここのところを一番気にしながら応募したのですが、寛大なAFSスピリットがここでも生きていて、「スペイン語の知識はあるに越したことはないので、なるべく事前に勉強してきてください」とのこと。これを私なりに翻訳すると、「大切なのは言葉より心です。異文化を受け入れる柔軟な姿勢とやる気さえあれば言葉は二の次です」となるのです。そうとでも思わなければ、やってられないじゃありませんか!私の「身勝手力」の真価の問われる正念場です。

2月15日から3月16日までの一ヶ月を一緒に暮らすホストファミリーが、今月中には決まるとの情報です。40数年前のアメリカ留学の時も、最後の最後までファミリーが決まらなかった(ということは、あの広いアメリカの何処に行くのかが決まらなかった)ことを思えば、今回はアルゼンチンのコルドバ市のファミリーであることは確かなので、当時とは格段の違いです。(やや「開き直り」とも聞こえるかな?)

2月11日に出発し、ブエノスアイレスの友人宅に2~3日泊めてもらって、地球の反対側の空気に慣れてから公式研修に突入します。なぜか悲壮な決意表明のような感じになってきたのは、緊張感と不安感の表われでしょうか?

「AFSは海外旅行にはあらず」と分かっちゃいるけど、少ないコルドバ観光情報でも見て期待を膨らませ、半世紀前の記憶を呼び起こしながら、「ドロナワ式スペイン語独習」を一ヶ月ほどやってみます。

アルゼンチン、コルドバ情報は↓をご覧下さい。そして、私が言葉も喋れずにオロオロしている姿を、写真のどこかに当てはめて、想像してみて下さい。あぁ~!だんだん気が重くなってきたなぁ!

http://www.embargentina.or.jp/
http://www.mercosur.jp/01_argentina/index.html
http://www.bunnotvl.com/cordoba.html

では、2月半ば過ぎにおめもじ出来ることを祈りつつ・・・・ Hasta la vista!

  


コルドバ便り(予告編 その2)

2008年01月13日 10時42分22秒 | Weblog

前回ご紹介したAFSのサイトご覧になりましたか?

ご案内のとおり、AFSは心身ともに柔軟な高校生を対象にして、ホームステイを通じて異文化を体験し、理解する貴重なチャンスを提供してくれる、60年の歴史と広いネットワークを備えた、知る人ぞ知る、素晴らしい団体です。適齢期の師弟を持つ親類縁者、知人友人には、「なるべく若いうちにAFSで異文化体験をさせろ」と、私も宣伝に一役買っています。逆に、外国人高校生を受け入れるホストファミリーとしてAFS活動に参加する道もあるので、もう一度サイトに目を通してみて下さい。

閑話休題。なぜ私がアルゼンチンに興味を抱いたのか?

実は、40数年前にアメリカで高校生活を始めたとき、当然のことながら最初の2~3ヶ月は英語のスピードについてゆけずチンプンカンプン。これで一年間の留学生活なんて送れるのかと自信を失くし、本当に悩みこんだものでした。

同じ頃にスペインから私の高校に着任した交換派遣教師が、私と同じくらい、或いはそれ以上に英語で苦労していたのを見て、同病相哀れみ、肝胆相照らし、えらく親しみを感じたものです。この先生のスペイン語の授業が一番分かりやすいし、発音を褒めてもくれるし、だんだんスペイン語が好きになり、変な話ですが、このスペイン語授業があったから私のアメリカ生活もプッツンしないで、最初の峠を越えることが出来たと言っても過言ではなかったのです。

後にも先にもスペイン語を勉強したのはこの一年間だけでしたが、チャンスがあったら勉強しなおしてみたいとの願望がどこかにあったに違いありません。

図らずも、あのAFSが、高校生でなくて大学生・社会人を対象に、アルゼンチンでホームステイしてスペイン語を学び、異文化を体験するプログラムを開発してくれたのです。「これだっ!」と直感した私は迷うことなく飛びついたのでした。

先ず直感を頼りに走り出すこと、その後走りながら考えるべきは考えること。どうやら私にはこのパターンが多い気がします。早い話が「せっかち」なんですね。そしてジックリ考えて修正したほうが良いかなと気がつく頃には、大概ポイント・オブ・ノーリターンを過ぎているのが通常のパターンですね。でも、でも、結構これが「結果オッケー」ってことが多いのも面白いところです。つまり、これは私の「直観力」が優れていることの証左であると勝手に思い込んで納得するのです。「身勝手力」だけは人後に落ちない自信があるのです。

では、今回の動きで何が問題で、何が結果オッケーだったのか。それは次回!

 


コルドバ便り(予告編 その1)

2008年01月12日 14時18分53秒 | Weblog

異文化交流の新しいネタの無いままに月日が流れました。

ネタ探しと言うわけでもありませんが、縁あってアルゼンチンのコルドバ(Cordoba)でホームステイしながらスペイン語を学び、アルゼンチン文化を体験するチャンスが到来しました。アルゼンチンで見たり聞いたり体験したりしたことを「コルドバ便り」として、また勝手気ままに書きなぐって見たいと思っています。

まずイントロとして、なぜアルゼンチンなのか、なぜホームステイなのかを一言。

今から遡ることおよそ40数年前の高校時代、海外に行くことを「洋行」と称していた時代です。、病弱(と自分で思っていた)な母は、「私に何があっても途中で帰ってきてはなりません」なんて、悲壮な決意で息子を送り出し、送られる方も「高校生大使」気取りで意気揚々と羽田から飛び立ったものでした。AFS交換留学生として全国から選ばれた120人あまりの高校生の一人として、なけなしの家計から無理して新調して貰った洋行用の一張羅のジャケットを、クソ暑いのに無理して着込み、袖も襟首も汗だらけのまま搭乗して機内のエアコンで冷やされて、ワイシャツの袖に出来たシミのことを今でもはっきりと覚えています。(因みに、母は92歳で天寿を全うするまで、その後40数年シッカリと生き続けました。)

当時はホノルルまで直行できないプロペラ機で、給油のため立ち寄ったウエーキ島のトイレに「殿方用」「婦人用」とあるのを見て、「あぁ、まだ日本語があるんだぁ」と安心したのもつかの間、目の前に立ちはだかる「アサガオ」の位置の高さに仰天。
これが私の人生初めての「異文化体験」でした。

いきなり横道にそれました。言いたかったことは、高校時代のAFS留学こそが私の「異文化体験」の原点であり、その一年間の経験がDNAとなって私の身体にしみこみ、異文化・外国語に人一倍の関心を注ぐようになったのだと自己診断しています。今回のアルゼンチンでのホームステイもそのDNAのなせるわざに他なりません。

そして、そのAFS異文化体験の「基本の基本」がホームステイなのです。
詳しくはAFSのホームページを見ておいて下さい。
http://www.afs.or.jp/jpn_ja/home

そしてAFSのことをある程度理解いただいた頃に、この続きを書ければと思っています。