赤信号みんなで渡れば怖くない。赤信号のときに道路を渡ってはいけない「規則」を自分ひとりで破る勇気はなくても、衆を頼んで大勢の中の一人としてなら渡る勇気が出てくるし、一人くらいなら当て逃げできても、いくら乱暴なドライバーでも大勢の歩行者をなぎ倒す勇気はあるまいという前提の行動基準、思考方法です。思うに、これは関東圏を中心とする思考パターンではないでしょうか。
規則は規則として守ろうとする順法精神のゆえか、一人で規則違反をする勇気の欠如のゆえか、東京周辺では交通量のいかんにかかわらず赤信号が青に変わるのを律儀にじっと待つ人が圧倒的多数です。これに比べて大阪人は赤信号でも自動車が来ず、危険が無いと判断すれば平気で信号を無視します。
アメリカやカナダに留まらず、私の経験では大阪流のほうがGlobal Standardのようです。自己責任の観念が大阪人のほうが関東人より勝っているのではないかと勝手に解釈しています。私の経験では大阪人の方が物の考え方が合理的というか西欧的な感じがする印象を受けました。建前より本音で生きると言ったら飛躍しすぎかな?
話は横道にそれますが、大阪人の西欧的思考回路をついでに一言。6年間のアメリカ駐在を終えて、私が大阪のグループ会社に出向した時の経験です。
同業他社の偉いさんをゴルフに招待しようとしたら、仕事のゴルフなら平日にしてもらいたいとハッキリ先方から釘を刺されたのです。同じゴルフでも週末は友達なり家族なりとプライベートに楽しみたいとする、極めて合理的な本音の発想です。逆にこれが関東なら、「えっ、平日ゴルフですか?チョット困っちゃうなぁ」なんて建前を振りかざして、ほくそえんでいる本音の部分を照れ隠しするのです。素直じゃないんですね。というか、周りの目を気にしすぎるあまり、自分自身の「思い」を前面に押し出すのが苦手になっているのかもしれませんね。
外国から転勤して戻って来た身には、関東の建前文化にいきなり戻るより、西欧的本音文化の大阪にワンクッションおいてもらったことが、カルチャーショックを和らげる意味で心地よかったことを思い出します。
閑話休題。
信号無視して横断歩道を渡ることをJaywalkingと言います。アメリカ英語のようです。信号なんて無い田舎町から出てきた人にとっては車が来るか来ないか、危険の有無が唯一の判断材料です。信号が赤だろうが青だろうが、もともと信号なんてものに注意を払っていない、正真正銘の「信号無視」なんですね。Jayはアメリカ俗語で「田舎者」と言う意味があるそうです。
海外生活で身に付けたとは言いませんが、私も自分の目で確かめて安全と判断すれば一人で赤信号でも渡るJaywalking派です。但し、日本でJaywalkingする場合に心がけていることが二つあります。
①幼児・学童が待っている場合はJaywalkingせず必ず一緒に待ちます。教育的観点です。
②老人がいる場合もJaywalingしません。老人は信号を見ず、他人が渡ると一緒に渡り出し危険だからです。老人保護の観点からです。
たかがJaywalkされどJaywalkの一席でした。