星さんぞう異文化きまぐれ雑記帳

異文化に接しての雑感を気ままに、気まぐれに

オレゴンからハ~イ!(6) 再びオレゴンからバ~イ

2011年09月30日 07時46分26秒 | Weblog
旅の残りもあと2~3日。今夜の宿泊地ワシントン州Yakimaに夕方に到着する計画の他はオレゴン最終日の今日はこれといったメインイベントはありません。

昨晩はまた日本食が食べたくなってカーナビに連れていってもらった先が、落ち着いた旧市街地のはずれの大学町で好感の持てるところでした。泊まったモーテルが町外れの国道沿いであまり潤いの感じられないところであったので探訪に出かけなかったのがちょっと残念でした。

案内書によればこの街Bendはオレゴン州中央部のリゾート地として州外からもリゾート客が多く訪れるところのようです。あらゆるアウトドアアクティビティーが比較的狭い地域の中に集中していてリゾート客が行動しやすそうな印象を受けました。サッと街を走った限りでの感想ですが、背後に山があり、ゆったりと流れる川にそって街が形成されていて街に緑も多く気持ちが和む、そんな街のような感じです。川と湖とを取り替えればケロウナによく似た街とも言えます。「オレゴンのケロウナ」なんて勝手に呼んでいます。

よって、Bend市内はKelowna市内と似ているだろうから探訪を省略して、30キロ離れた隣町Sistersを訪れることにしました。幸せ薄かった三姉妹の悲恋のストーリーでもあるのかと思ったら、街の背後にそびえる山の名前に由来するとのこと。街全体を小綺麗に飾って昔風の街並みを保存しようとする市民の熱意が感じられる、気持ちのいいリトルタウンでした。街の目抜き通りを荷台いっぱいにヘイを積んだ大型トラックが行き交うのが、これまたオレゴンの田舎町らしくて結構でした。

 


97号線からちょっと横道に入ったスミスロック州立公園に立ち寄りちょっと早めのランチ。計画通り昨日半分残したジャンボサンドイッチを平らげました。ミニグランドキャニヨンとでも呼ぶべきこの公園はハイキング、トレッキング、ロッククライミングのファンにはたまらない場所のようです。ロッククライマーは目に入りませんでしたが、ピクニックテーブルのある展望台から向山の急斜面の登山道を早足で登ってゆく、ありんこのように小さいウオーカーの姿が、よく目を凝らすと肉眼でもかろうじて見えます。そして谷底の川にそって整備されたトレイルでは多数のサイクリストがマウンテンバイクで疾走している姿が認められます。ウオーキング好きのカミさんもしばし沈思黙考、さすがに「今日はやめとくわ」と決断して先を急ぐことになりました。

  

これで事前に研究した立ち寄りスポットは全てカバーしたので、これからはオレゴン州を通り抜け今夜の宿泊地ワシントン州Yakimaを目指したのですが、またまた案に違わずオレゴン州の97号線はただひたすら草原と地平線と牧草と麦畑の連続で、さすがに私も眠気が刺したので、トイレ休憩の後は今回初めてカミさんに運転を代わってもらい暫し仮眠です。100キロほど走るなかで時々目を覚ましてスピードメーターを覗き込むと、一心不乱に前方を直視して必死に走るMVPくんのメーターは110キロを指しています。カミさんもなかなかやるものです。

 

再び州境のコロンビア川を渡りオレゴン州に別れを告げて97号線はワシントン州に入ります。すると沿道の景色が一変し風車の群れ(Wind Farm)に迎えられました。風力発電のあの風車が林立しています。

 

やがて進行方向左斜め前方遥か彼方に名峰Mt.Ranierがその偉容を現し始めました。今日の宿泊地Yakimaもそう遠くありせん。アメリカ先住民族(昔風にはインディアン、当世風にはネイティブアメリカン)ヤカマ族インディアンから採ってヤキマと名付けた町のようです。町の南東部に二つのインディアン居留地を抱えています。ヤキマの手前30キロあたりを走行していると大きなカジノの看板が目に入って来ました。ネバダ州とニュージャージー州以外はカジノは原則禁止ですが、居留地内でのいわゆるインディアン・カジノを認める州政府は多く、就労機会の向上や先住民族の経済効果を上げて成功している例も多いようです。

半ば冗談半ば本気で「ちょっと挨拶するか?」。どうもカジノと聞くと血が騒ぐ体質のようで困ったものです。ところがカミさんとの折衝が終わらないうちに車は進み入り口をミスったようです。縁がなかったと諦めて先に進みます。3年前にワシントン州太平洋岸のAnacortesにドライブしたときにも、あちらの先住民に些少ながらお預けしてきたので、今回は利息だけでもお返し願おうかと思ったのに・・・・・・。

実は、このあとここに戻ってくることになろうとは、この時点での私は思ってもいませんでした。
話が長くなったので、この続きはまた明日。

オレゴンからハ~イ!(5) クレーターレイクの群青は写真に収まりません

2011年09月30日 01時55分24秒 | Weblog
復路三日目の今日はいよいよ国道97号線を北上する旅のスタートです。オレゴン州に入ってKlamath Fallsでランチを仕入れ、Crater Lake国立公園でピクニック、そして中部オレゴンのリゾート地Bendが今夜の宿泊地です。今日も400キロほどの行程でBend着午後4時が当面のプランです。道路補修工事区間が多数あるので多少の渋滞、遅延は覚悟せよとの電光掲示予告の通り、出発直後に一回目の遭遇。舗装直後の道路は鏡の上を行くがごとくにスムーズで、工事直後の黒々とした路面はなんとも気持ち良い運転環境です。老体の我がMVPには癒しの瞬間に違いありません。

 

それにしてもオレゴンのハイウエイのなんとユッタリ、ノンビリとしたことでしょう。97号線から枝分かれしてCrater Lakeを目指す州道は前後とも見渡す限り車が一台も見えず、刈り入れの終わった麦畑か牧草地か、遙か地平線まで黄金色に、はたまた緑色に延々と広がり、放牧の牛の群れがポツリポツリと時々目に入ってくるだけ。車で通り過ぎる以外に人の姿を見かけることなんてまずありません。国土の大きさの違いといえばそれまででしょうが、なんとも見慣れない景色に圧倒されます。

 

楽しみにしていたクレイターレイク国立公園はその期待通りの偉容を惜しげもなく見せてくれ、カルデラ周辺を回るRim Road(周遊道路)からの眺めには圧倒されました。カルデラ湖ではアメリカで一番の水深を誇る湖にたたえられた湖水の青さはなんとも表現できないほどに深く青いのです。筆舌に尽くしがたいこの青さはカメラでは忠実に表現できていません。目に、脳裏に焼き付けるしかありません。

 

周遊道路の途中に設けられているピクニックエリアで今日もピクニックランチです。朝仕入れたサンドイッチはスーパーでの特注品。サイズは?と聞かれ、一人分を二人でシェアするので「Large」と応えたら、な、な、なんと50センチくらい有りそうな超大型。四分の一を食べるのに一苦労するほどのボリュームです。明日のランチにも回せそうなキングサイズ。見た目にはあまりよろしくないけどトマト、レタス、オニオン、チーズ、ハムのタップリ挟まった、真っ青な湖水を眺めながらいただくランチとしてはなかかなの上等品でした。

 

いつものとおり、腹ごなしのぶらぶら散策を終えてから、これまた通る車の割には勿体無いような山間の州道を独り占めにして、今夜の宿泊地Bendを目指してひた走りです。

復路については見所、立ち寄りどころを事前に勉強していないので、Bendについてから明日以降の行動計画を考えます。




カリフォルニアからハ~イ!(5) MVPくん登山新記録2575メートル達成

2011年09月29日 01時30分28秒 | Weblog
昨夜の不甲斐ない結果のリベンジをすべく早朝から階下に降りたら、このホテルのルーレットは10時開始だとずいぶんと商売ッ気のないことをおっしゃる。そんな悠長な商売に付き合うほど暇のない忙しい身、即断即決でMVPにまたがり次なる賭場を目指してムチを入れます。カミさんとの前夜の打ち合わせでは朝飯を8時ころに済ませて9時には出発しよというのが結論。残された時間が限られているのです。急げMVP!!

江戸の仇を長崎で、Sandsの仇はEl Doradoで。わがホテルの向かい側数ブロック先に高くタワーのそびえるホテルのカジノでなんとか制限時間内に昨夜の負けを取り戻し、ホテル代をやっとこさ捻出してホテルに戻ったら、カミさんが部屋にいません。そりゃそうです、昨夜約束した朝飯の時間が過ぎているのです。下のカジノでひと通り捜索したのに見つからないからと部屋に戻ったところでバッタリ。これで負けてでもいようものなら一悶着かもしれませんが、こちらも僅かでも勝ち戦で意気軒昂。ホテルにゃ大した朝飯ないから途中で食べよう!で先手必勝。結局街道沿いのマックでマックブレックファスト。佐倉の駅前とあまり代わり映えしませんが、ラスベガスじゃないから仕方がないのです。

ネバダ州からカリフォルニア州に入る州境にも、オレゴン州の時と同じようにカリフォルニア州の検問所があります。カリフォルニアから他の州に入るときにはなく、検問が一方通行なのはどうしてなんだろう?オレゴン・ワシントン間では検問のけの字もないのになぁ。州境の砂漠の中を長く延びるハイウエイに走る車も少なく、検問所を過ぎると前後に車が見当たらない状態がまた何キロも続きます。砂漠の中のハイウエイの運転は無味乾燥で眠りに誘われそうな不安に陥ります。

 

やがてSusanvilleを過ぎると景色が一変し緑豊かなLassen National Forestの中をハイウエイが通りぬけ、今日の前半の目玉、Lassen火山国立公園へのアプローチへと続きます。

  

1915年の大噴火のあと最初の火山国立公園に指定されたLassen火山国立公園の南北入り口を結ぶ連絡道路が整備されていて、キャンピングカーで頂上近くの標高2590メートルの駐車場まで登れます。そこから高低差600メートルの峻険を4~5時間かけて頂上まで往復するハイカーがピークシーズンには跡を絶たないそうですが、今日は強風のため登山道が閉鎖されていたようです。我が愛車MVPくんにとっても、生涯で一番高地に到達した日に違いなく、永く栄誉を称えるため記念にカーナビの証拠写真を残してあげました。

   

公園の中のSummit Lakeのほとりのでいつものようにピクニック・ランチ、そして靴を履きかえて湖畔周遊ウオーキングです。ワンパターンですが我々のアウトドア活動の限界です。

 

一休みしてから今日の宿泊地、名峰Mt.Shastaの麓、国道97号線のスタート地カリフォルニア州Weedを目指しました。途中の車窓から見るシャスタ山も、その麓の町Mount Shastaから見上げる容姿も、頂上の残雪ともども夕日にピンクに映えてあたりを払わんばかりの堂々とした佇まいで、大変感動的なシーンを目に焼き付けてくれました。右下の可愛らしい坊やの口に25セント硬貨を二つ入れてやると頂上の細部まで手に取るように見えましたが、残念ながらカメラには収まりません。

 



カリフォルニアからハ~イ!(4) ちょいとネバダで道草を

2011年09月28日 08時12分25秒 | Weblog
2009年に結婚した娘夫婦が2010年に買った新居での生活ぶりを垣間見るのが今回の大きな目的でした。スピーチセラピストとして障害児童の教育に取り組む娘と、シリコンバレーでセミコンダクター・エンジニアとして働く婿さんとの生活が、歳相応に実に地にしっかりと足のついた、きわめて堅実な生活を営んでいる姿をみて、カミさんともども感動にも似た感慨を覚えたものです。全くノープロブレムです。長駆のドライブが報われたように勝手に思い込んで、二人で悦に入ってしまったものでした。

私は私で若干の雑用をこなした後は昔の遊び友達とゴルフしたりバカ話したりでマッタリ過ごし、カミさんは共働きの娘夫婦の留守を守り、洗濯やら食事の支度をしておいてやることに当面の生き甲斐を見出しているようです。あまりお節介焼くと帰った後が大変だから適当になんて言いながらせっせと動いています。

「名物に美味いものなし」と言われる中で、サンフランシスコに来たら必ず寄る「ベトナム蟹屋」があります。ベトナム料理でもなく、サンフランシスコ料理でもなし、当地で獲れるダンジネスクラブを、ガーリックをタップリ利かせて塩コショウ、バターでベトナム風味付けに調理しただけのシンプルなメニューですが、手をベタベタにしながら殻の隅々までかぶりつき、しゃぶりつきして完食した時の満足感と言ったら、癖になります。

20年前のサラリーマン時代、「話に聞いた、あの蟹屋に連れて行ってくれ」「あの蟹をもう一度食べたい」と日本からの出張者の注文に応えて週に3~4回も足を運んだ時はさすがにうんざりした記憶がありますが、久しぶりに食べるあの味は、「次はいつ食べられるんだろう」と気になる味なのです。カミさんなんか「ベトナム蟹屋は何があっても行こうね」なんて出発前から入れ込んでいたものです。

予定の一週間も過ぎたし、完熟して我々を待っていてくれるであろう松茸を思うとケロウナへの里心も増し、帰路の出発を18日に決めました。途中4~5泊して22日~23日には帰着する計算です。往路での友達宅への立ち寄りのような約束もなし、飽きの来ない範囲で淡々粛々と走り続け、次の日の行動計画は到着したホテルで研究して決め、ホテル・モーテルの予約をする、とこんな相変わらずの行き当たりバッタリドライブですが、走行距離と周辺の見所・立ち寄りスポットの関係でおよその宿泊予定地を割り出してみました。

ケロウナを貫通しているメイン道路「国道97号線」がスタートする北部カリフォルニアのWeedを起点に、兎に角かたくなに「97号線」にこだわり続けるのがメインテーマです。幹線ハイウエイを避け、大都市への立ち寄りは避けるとの狙いから、初日の目的地を当初のReddingから、真東に進路を変更してちょこっとネバダ州のRenoに挨拶して行くことになりました(しました?)。

娘夫婦が最近購入してお気に入りの中庭のパティオセットでドーナツ・ブランチを軽く平らげ、善は急げとばかりに昼前には出発です。途中Davisでのトイレ休憩だけ挟んでひた走り、3時過ぎにはRenoに到着。ラスベガスに比べたら規模は小さいし、雰囲気は大きく見劣りしますが、ルーレットさえあれば、私にとってはどこも変わりません。

 

シャワーを浴びてから早速階下のカジノにご挨拶。小手調べだけしてから部屋に戻り基本方針通りに明日の行動計画を練って明日のホテルの予約です。97号線の起点Weedにホテルを手配し、明日のメインイベントは途中のLassen Volcanic National Parkへの立ち寄りと決めました。今日北上する代わりに真東に来てしまったので、明日はそのロスを取り戻すべく500キロほどの長丁場となりそうです。

距離のロスをドルで取り戻すために今晩はカンバルぞい!

カリフォルニアからハ~イ!(3) かけ流し天然温泉・混浴・水着オプショナル

2011年09月27日 16時39分29秒 | Weblog
いよいよ往路最終日の6日目です。昨日の熱暑が嘘のような涼風のそよぐUkiahの朝です。今回の旅の目玉である硫黄臭の漂う本格温泉で長旅の汗を流して最終目的地Fremontに夕方4時頃に到着するのが今日のプランです。行程300キロの楽勝パターンです。

ランチ用のサンドイッチを仕入れるべくスーパーをカーナビに探してもらってモタモタしている間に、土曜日の朝のFarmars' Marketに出くわしましたので、出来立てのサンドイッチと飲み物を買い込み、今日のメインイベント立ち寄り温泉Orr Hot Springsに向けて出発です。Ukiahの町外れで101号線から山に入り一気に登り進むことおよそ20キロ、30分ほどで山間の秘湯を思わせる佇まいの温泉宿に到着です。

宿泊もできるが立ち寄り温泉もOK。ただし、いずれの場合も飲食物の用意は一切無く、泊まり客も立ち寄り客も食材を持ち込んで自分で調理するか弁当持参が約束事です。しっかりした調理施設と水道水・飲料水。燃料は施設側が用意してあります。事務所はあるものの、自動販売機は一切置いていません。徹底したものです。

 

土曜日であるものの思ったほど混んでおらず、予約の10時には他の客ともどもで7~8人の模様。ひと通りの注意事項を聞いて入湯料25ドルを払ったうえでイザ出陣!? 気負い込むには訳があるのです。ここは混浴なのです。普通何処の温泉も「男女共用」という意味で混浴ではありますが、通常は水着の着用が義務付けられているのです。ところが、ここが普通でないのは水着はオプショナル(Optional)、つまり水着は着ても着なくてもご自由にということなのです。日本の温泉ではあたり前のことながら、アメリカで水着をつけないでOKなんて温泉は初めてです。

かけ流し天然温泉でなけりゃ温泉じゃないと、知ったかぶりをして豪語する大の温泉好きの身にとっては、ここが天然硫黄泉のかけ流しときちゃあ申し分なしですが、アメリカでスッポンポンでの混浴の経験はなし、いささか緊張するのです。こちらの心のヒダを見透かしたような混浴の心得(注意書き・ご法度書き)が貼り出してあります。ジロジロ見るな、人に触れるな、言い寄るな、密室でやるべき行為に及ぶなエトセトラ・エトセトラ。掟のたぐいは、それを破る人間が多いから整備されるんでしょうかねぇ?

 

触れ書を読んで理解できただけに、こちらもジロジロ見るわけにも行かず、サクっと一瞥しただけでの印象ですが、手前の熱い湯壺に40代女性が二人、奥のぬるめの湯壺に30代前半の若いカップル一組、今ロッカールームを出て奥のサウナに向かった毛むくじゃらの50代男性一人、この5人は水着を着用しない派。バスタブの中で水着は着ていないだけで人前を歩くときはバスタオルで隠したり、バスローブを羽織ったりと公序良俗にかなっていてなんの違和感もありません。ドイツの温泉場で目撃したような、スッポンポンでお手手つないで堂々と闊歩するような人が多いと、水着をつけている自分が妙に恥ずかしくなったものですが、ここは良識派揃いでした。右下の写真は個室貸切バスタブで、使い終わったらブラシで洗い流し新しいお湯を注いでおく約束です。左側建物の一階部分に6部屋ほどあって、古いながらも清潔感のあるいい温泉でした。

  

私が男女共用のロッカーでモジモジしている間に出たり入ったりしていた20代後半の女性一人だけが水着を着ていました。嫌がっていたカミさんも白昼堂々の混浴初体験。これで8人の入浴客のうち水着派は一人だけと判明。水着着用率12.5%とスッポンポン派の圧勝でした。水着派女性の感想も聞いてみたかったけど「しつこく言い寄るべからず」なのでやめておきました。

中庭でのピクニックランチを含めて二時間あまりの滞在ですっかりリフレッシュした後は、一路サンフランシスコ目指して最後のホームストレッチ。ここから先は101号線沿線に出てくる町の名前もどれも20年前に見慣れた懐かしいものばかりで、カーナビ無しでも問題なしです。でも、これまで世話になった、帰りもまた世話になるGPSの立場も配慮して点けっ放しにしておいてあげました。

San Francisco here we come!!

2011年9月6日午後4時ちょっと過ぎに予定通り無事到着で~す。走行距離概算2280キロでした。
小馬鹿にしていてこれまで見向きもしなかったカーナビくん、君の力にゃ驚きました。帰りもよろしくね。
満身創痍のMVPくん、出発直前に気合入れすぎて車庫からバックするときに壊したサイドミラーをガムテープでとめただけでよく2000キロ超ドライブの風圧・振動に耐えてくれたね。山の上のレッカー車事件からの見事な立ち直り、帰りも期待しているよ。一週間十分に休んでおくれ。


カリフォルニアからハ~イ!(2) セコアイア、セコイア、セコイア Avenue of the Giants

2011年09月27日 05時56分51秒 | Weblog
Fremontの娘夫婦を訪ねる旅の前半も、いよいよ最終コーナーを回って、往路の最終宿泊地Ukiahを目指して第五日目のスタートです。今日の行程は260キロ程度といつもより比較的短く、早めに着いて街の散策でもしようと余裕綽々です。

モーテルで朝食をとっていると、隣に7~8人のグループがほぼ食べ終わって歓談中。着ているジャージーやらかぶっている野球帽からはどうやらミネソタからの一団らしい。ミネソタといえば、その昔高校時代に一年間お世話になった私の「第二のふるさと」みたいなもの。しかもジャージーには「UMD」とあります。知る人ぞ知る(ということは殆どの人が知らない)University of Minnesota at Duluth のことで、私の住んでいた街の隣町(と言っても75マイル離れてました)じゃありませんか。

懐かしさのあまり、ついつい出しゃばって話の輪に割って入り自己紹介。ミネソタの人間でも何処にあるかもわからないような小さな街Chisholmの高校を、50年前に卒業した珍しい日本人にこんな所で遭遇したことに驚き、しかも自分たちが誇りとする「我が街Duluth」を知っている日本人がいたことを喜んで、いつのまにやらこちらが質問攻め。

家長の84歳のお爺さん夫婦は自分の車で往復5000マイルのドライブで、他の現役家族は飛行機で、孫娘の結婚式が執り行われるEurekaに集合したとのこと。上には上がいるものです。5000キロ近く走ることを自慢の種に頑張っってきたのに、負けました。相手はマイルです。私の6割上でした。

旅から帰っても結婚式の写真を送ってくれたり、私のホストファミリーの様子を探ったメールが来たりと交流が始まりました。こういう想定外のハプニングがあると旅の面白さが倍加するんだけど、なかなか探してあるものでもなし、こういう出会を大事にしたいと思います。



気持よくスタートした第五日目は、国道101号線(別名Redwood Highway)と平行して31マイルにわたって大木のセコイアの並木の中を縫って走る街道、Avenue of the Giantsがハイライトです。「セコイアづくし」の一日です。所々で車を降りて森林浴したり、切り抜かれた大木の根っこを車で通ったりと観光客度100%です。

 

 

 

途中の街のスーパーでサンドイッチを作ってもらい、近くの運動公園で炎天を避けてボールパークのベンチ裏観覧席でピクニックランチ。今週から新学期の始まった小学生と思しき数人のグループにアメリカンフットボールをコーチするオヤジさんの姿を眺めながら、しばしの時間でしたがゆったりと流れる時間を堪能しました。今回の旅に期待していたのはこんな感じの時間の過ごし方だったのです。

 


ワシントンを出てからオレゴン、カリフォルニアと海岸沿いを通って来たので最高気温は日中でもせいぜい25度前後、所によってはセーターを着ないと肌寒い所が多かったのに、午後早めに到着したUkiahはなんと107度!摂氏で41度。街の探訪なんて夢は捨てて、モーテルの部屋に飛び込んで冷房ガンガンにして引きこもり、熱が収まった頃合いを見計らって夕食に。

娘の友だちの知り合いが営む日本食レストランでお好み焼き(ご主人のふるさと広島焼き)を食べ、幸せな気持ちで家路についたら、後ろから青いライトを点滅した車がついて来ます。そうです。パトカーでした。

「ヘッドライト無点灯」「接近車両がありながら無理に左折」これが罪状です。カナダの車はエンジンかけてサイドブレーキ外したら一番小さいライトは自動的に点灯する仕掛けになっているので、これは事実誤認です。後者は、カーナビに気を取られていてやや注意散漫であったので、争いません。ま、長いものには巻かれるタイプでもあり、ここで言い争っても得るものなし。懐中電灯で人の瞳孔を真面目にチェックしているお巡りさんに、お好み焼きのおすそ分けとばかりにニンニクの香りが存分に残っていたはずの息を大きく吹きかけてあげました。だって、そうしろと命じられたからです。 

良識あふれる小心な私の誠意が通じもちろん無罪放免でした。
最後は気持ちを込めて、別れのご挨拶です。

You have a grrrreat rest of the evening, Officer! (あっかんべー!)

カリフォルニアからハ~イ!(1) 海から森へ

2011年09月21日 13時21分28秒 | Weblog
第四日目後半は州境を通過してカリフォルニアに入ります。境界線にはカリフォルニアの検疫官が農産物の持ち込みがないかチェックしています。食べ残しのミカン(これはカナダから越境のシロモノ)と昨日スーパーで買った桃がクーラーに入っていたのを忘れて「No, Nothing!」と堂々と自信たっぷりに答えたので文句なしに無事通過です。

カリフォルニアでは101号線がオレゴンよりやや内陸部に切れ込んで走るので海岸線とはオサラバです。別名「Redwood Highway」と呼ばれ、沿線にはRedwood(アメリカスギ、セコイア)の原生林が延々と続きます。まさに「昼なお暗き」ところを通過するハイウエイです。オレゴンの海岸線を見慣れたドライバーにはこのレッドウッドは物珍しく、沿道に設けられた車寄せに車を停めて写真を撮りまくっています。我々も例外ではありませんでした。

 

朝食を食べたレストランで居合わせた客から、Eureka迄行くならその手前にTrinidadという綺麗な街があるから是非寄ってみろと薦められたのでちょこっと寄ってみました。街道からちょっと外れた海沿いの高台に佇む小綺麗な街ではありましたが写真を2~3枚撮って早めに失礼しました。その街の成り立ちの歴史を勉強していないヨソ者にとっては、どこにもある小綺麗な街とあまり変わらなかったもので・・・・・・・。沖に浮かぶ島がなにやら立て膝をした動物のようだったもので・・・・・。

 

Eurekaでも行き当たりばったりでモーテルにチェックインし一休みしてから街に繰り出し、久しぶりに醤油味が食べたくなったので、それなりにマスターしたカーナビで食事処を探索です。ところが、カーナビの教えてくれた韓国料理屋、ベトナム料理屋はともに営業不振のためかもはや存在せず、中華料理屋も見当たらず、唯一開いていたのはJapanese Restaurantだけ。いわゆる「なんちゃって和食」で、味つけはアメリカ人の舌に合わせてか甘味・辛味ともに濃く、本来の「和食」からはかけ離れていましたが、久し振りに食べるトンカツと餃子は新鮮で、味噌汁も鰹節の出汁が利いていて結構いけました。

食事の終わる頃には日もとっぷりと暮れて、暑くもなく寒くも無し、街をそぞろ歩くにはとても気持ちのいい気温で、Eurekaの歴史を不勉強ながら、古びた街とポートの佇まいは、一夜の観光客の旅情をそれなりに慰めてくれるものではありました。

 




オレゴンからハ~イ!(4) オレゴンからバ~イ!

2011年09月18日 22時59分13秒 | Weblog
4日目の朝は蟹漁のメッカBandon港に早朝から集う太公望たちの姿を横目にしながら、朝霧にかすむポートサイドを散策。

 


一足伸ばして港のはずれまでゆくと、寒風に吹き晒されて牙を剥くいかにも寒々しいオレゴンコーストの一面を見せつけられました。昨日親子がのんびりと午後のひとときを楽しんでいた、あの優しい砂浜とは似ても似つかない、オレゴンコーストのもう一つの姿です。

 

今日の目標はオレゴンの最南端の街Brookingsを通り過ぎて、一気に北カリフォルニア最大の町Eurekaまで行ってしまおうというもの。でも走行距離は300キロほどで、途中の寄り道はいくらでも出来る楽な行程です。サンフランシスコのHarding Parkで昔のゴルフ仲間とプレイするためにせっかくゴルフクラブも積んできたんだし、通りがかりに1920年代に創設された名門ゴルフ場があると聞いては、ちょこっと挨拶するしかありません。パー3のショートホールが多く全体で2200ヤードと時間の制約がある中でサクッと9ホールだけ遊ぶには最高のコースでした。昨夜一瞥したBandon Dune Resortに比べても遜色ない堂々としたリンクスタイプのコースで、自然のあるがままの姿に挑戦するゴルファー本来の力量が試される本格的コースでした。それが証拠に、カミさんと二人であっという間にボールを5~6個ロストしてしまいました。手入れが行き届いていない深いラフに入ったらボールが探せないのです。安いからしょうが無いのです。このゴルフ場の謳い文句「ゴルフ本来の姿(Golf as it used to be)」に嘘はありませんでした。

 

プラン通りに進行するなかでBrookingsに向かう途中で「オレゴン最西端(ということはアメリカ合衆国で最西端)の灯台」立ち寄りのオマケまで付きました。「~で一番」と来られては野次馬としては外すわけにはまいりません!Cape Blanco灯台の勇姿とそこからの強風にさらされた厳しい海岸線の眺めです。

  

昨晩のステーキ、今朝のアメリカン・ブレックファストといささか食べ過ぎの胃袋を休ませるため、今日のランチは抜いて、オレゴン最後の街BrookingsではDairy Queenで軽くオヤツを食べ、連日文句ひとつ言わず健気に走り続ける愛車MVPには腹いっぱい給油してあげてからカリフォルニアに向けて出発です。

 

オレゴンからハ~イ!(3) オレゴン・コースト満喫の一日

2011年09月17日 09時59分10秒 | Weblog
昨夜のうちにJohnから情報を仕入れ、三日目の今日のメインイベントはYachats(ヤハッツと発音)の街から山に登りCape Perpetuaのトレイルを散策することと、小奇麗な港町Florenceでランチに蟹を食べることと決めました。そしてその後は海岸線を南下しCoos BayまたはBandonあたりまで足を伸ばすという300キロ前後のプランです。

 

  

 


Bandon到着後は「Vacancy」の看板の出ている街道沿いのモーテルに飛び込み一休み。Johnが「覗くだけでも覗いてみろ」とアドバイスしてくれたBandon Dunes Resortに顔を出してみました。PGAの公式大会が開催されるほどの名門コースの最終ホールを目の前にしたレストランでこの旅で一番贅沢な夕食を奮発したものです。日没直前の寒々しい風と濃霧に見舞われて、250ドル以上も払って苦労しているプレイヤーの脇を親子3匹の鹿が何事もなかったように通り過ぎてゆくシーンが印象的でした。

 

明日はオレゴン南部の海岸沿いを走り、何もなければ一気にカリフォルニア州に突入です。

オレゴンからハ~イ!(2) いよいよオレゴン入り

2011年09月16日 23時35分47秒 | Weblog
二日目の今日はいよいよワシントン州からオレゴン州に入ります。そして、今日の宿は高校留学時代の親友Johnが居を構えるCorvallis。およそ500キロの行程で、夕方4時ころには到着できる計算です。昨夜早寝したので今朝は5時には目を覚まし朝食を済ませて7時にホテルを出発。順調な出足です。

朝靄の晴れ切らない州道をひた走り、ワシントン州の太平洋岸の町Aberdeenは特に見るべきものもなさそうなので素通り。いよいよ今回のドライブの舞台となるUSハイウエイ101号線に入り、ワシントン州との州境Columbia Riverにかかる長い橋を渡って訪れた最初の町がAstoria

 

北欧系の入植者が多い街だそうで、北欧系グッズを扱うお店のママが親切に色々教えてくれました。ご本人もフィンランドとスエーデンの家系だそうで、私が高校時代留学した町も北欧系移民の多いところで、ホストファミリーはスエーデン系だったことを伝えると、ママさんすっかり気にいってくれて、アストリアの歴史やら、街道沿いの見るべきスポットや立ち寄るべき美味しいレストランなどを懇切丁寧に教えてくれます。でも先を急ぐので話は早めに切り上げ出発進行!

ママのおすすめの海岸沿いの小さな村Manzanitaは、広~い海岸に散歩する人影がわずかにいるだけ。日光浴する親子の姿がいかにものどかなオレゴン・コーストの昼下がりにふさわしい光景でした。我々も生牡蠣をランチに食べてしばし海岸でお散歩です。

  

太平洋の水の冷たいこと!氷を溶かした水のように冷たく、ものの数秒水に入れただけで足先が麻痺しそうな水温で、砂浜ではあっても水遊びする人は全く見かけません。オレゴンで海水浴をする者はいないそうで、ビーチ(砂浜)と呼ばずにコースト(海岸)と呼ぶんだそうです。冷え切った足で踏みしめた砂の心地良さが忘れられません。

  


101号線沿線に沿って砂丘が点在し、高度を上げたハイウエイから海岸線を鳥瞰する観光スポットが沿線に数多く設けられています。いちいち停まっていては切りがないので交通量と所要時間をにらみながらメリハリを利かせて行進し続けます。

Manzanita海岸の居心地の良さについつい長居をしてしまい、Corvallis到着が見込みより一時間ほど遅れそうな状況です。到着遅れに気をもんでいるであろうJohnに一言電話したくても、公衆電話のありそうな店が途中に見当たりません。非常事態の緊急連絡ではやむなしと日本の携帯電話を取り出してかけようとしたらJohnの電話番号が見当たりません。カーナビに住所を入れ、パソコンにもiPhoneにもiPadまでにも友人Johnの連絡先情報をインプットしていた(と思っていた)のに、手書きのメモだけは用意していませんでした。カナダの携帯はアメリカでは使えないのでスイッチを切ってありましたが、これに電源を入れ、かろうじてカナダの携帯からJohnの番号を引っ張り出して事なきを得ました。

生半可なネット人間と思い込んでいる自分の愚かさに気付かされた瞬間でした。大事なモノは手書きのメモにせよ! 今日のレッスンでした。

25年ぶりに会うJohnと奥さんのEllieのもてなしを受け、Johnが釣り上げた鮭をBBQしてご馳走になる、いかにもオレゴンチックな食事の後は、来年の高校卒業50周年のクラス会の話で盛り上がり、来年ミネソタでの再会を約して二日目を閉じました。

この二日間で1100キロを走破しましたが、明日からはペースダウンして一日300キロの楽チンな行程となりそうです。