今日の「いのちのパンと祈り」

毎日の生活の中で、いのちのパンを食べて神様と共に歩きましょう。デボーション(祈り・黙想)のブログです。

主に感謝と賛美をささげる

2024-12-30 00:01:53 | 詩篇

 

詩篇57:9-10

主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。

あなたの恵みは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。

 

いつも年末になると主が良くして下さったことを思い出して主に感謝と賛美をささげます。

ひと時も主の恵みなしに生きることは人間には出来ないです。

 

‌生まれながら人間は神様から多くの恩恵を受けています。

‌命も自然の恵みもその他すべても主の恵みです。

 

‌主が造られた世界の中に住むこと自体が主からの恵みです。

 

‌みんなが受ける恵みだけでなく、個人的に特別に受けた恵みもたくさんあるので、それを思い出して主に感謝をささげます。

 

自分が主のためにしたことはないのに、いつも一方的な主の恵みと支えと力によって一年間歩んで来たことは本当に感謝なことです。

 

‌主の恵みは大きいことをみんながもっと実感してほしいです。

 

‌この方ほど素晴らしい方はおられないです。

 

祈り

一年間守って下さった神様、助けて下さった神様、そして恵みを与えて下さった神様に心から感謝をささげます。

 

 

3分バイブルボイス 

【ディボーション】永遠のいのちを受け継ぎます:マタイの福音書19章29節

 


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仕える者になりなさい

2024-12-28 00:02:05 | マルコの福音書

 

マルコの福音書9:34-35

彼らは黙っていた。道々、だれが一番偉いかと論じ合っていたからである。

イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」

 

小さい時からの家庭教育、学校で受ける教育、自ら得た様々なものによって人格が形成され、生き方が決まります。

人間学や哲学も人々に影響を与えます。

 

私自身は人間が幼い時から受けるべき教育は聖書のことばを学ぶ教育だと思います。

 

アメリカの国はイギリスから宗教の自由を求めて渡った人々によって建国されました。

アメリカは一番多くの宣教師を世界に送り出した国でした。

 

しかし1963年アメリカのケネディ大統領が公立学校で聖書と祈りを禁止する決定をしました。

建国理念の中にあった信仰に違反する決定でした。

 

それからアメリカはどう変わったでしょうか。

犯罪が増え、薬物中毒、そしてあらゆる堕落によって今のアメリカは昔の良い面がほとんど消えました。

 

もし聖書にあるイエス様の教えを聞いていたならば、更に良い国になっていたと思います。

 

イエス様は自分だけ生きる社会ではなく、共に生きる社会、平和な社会になることを教えました。

 

誰が一番になるか競争するのではなく、みんなに仕える者になりなさいと言われました。

イエス様自身がその模範を見せました。

 

ですからイエス様は行く先々で人を救い出し、生かす方でした。今も主は人々に仕えておられる方です。

主の目では、仕える人が人の先頭に立っている者に見えます。

 

 

祈り

みことばに従順してイエス様に似る者になりますように。

 

 

3分バイブルボイス 

【働き】神様に用いられる人:第2歴代誌16章

 


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親になってみると分かること

2024-12-26 00:01:17 | マタイの福音書

 

マタイの福音書7:11

してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。

 

子どもの時は親から良くしてもらってもそれが感謝なことだと思わず、当たり前そして自分の権利だと思うことが多いです。

 

‌大人になることはその親から自立することです。

 

‌大きくなったのにある者は自立出来ずいつまでも親に頼り、そのことを申し訳ないと思うのではなく、文句まで言います。

 

‌親は子どもだと言う理由だけで、いつまでも成人になった子どもの世話をしながら苦労しています。

 

‌自分が親になって初めて親の苦労や思いを知る人は多いと思います。

‌その時から親のことを違う目で見るようになり感謝するようになります。

 

 

‌神様に出会うまでは、神様に関心もなく、自分と何の関わりもないと思うのです。

 

‌しかし神様に出会うと自分がどれほど多くの神様の恵みと助けによって守られて来たかが分かります。

 

‌私も小さい時に命に関わる病気をしましたが、その時に助けて下さった方が目には見えない神様であることを信じてから初めて知りました。

 

‌初めて会う伝道師がそのことを語った時にはびっくりしました。

 

‌自分も知らなかった神様がたくさんの良い恵みを下さったことを知り、神様に感謝するようになり、その神様は今も誰よりも自分に一番良いことをしておられます。

 

‌ですからこの神様に出会ったことが私にある一番の恵みです。

 

【祈り】

主に出会っていなかったならば、主の恵みと愛に気づくこともない哀れな者になったと思います。‌生きている時に主に出会って本当に良かったです。

 

 

3分バイブルボイス 

【祝福】主は私の祝福:ルカの福音書2章

 


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大声で叫びたいことは

2024-12-24 00:02:33 | 黙示録

 

ヨハネの黙示録7:9-10

その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。

彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」

 

天の御国はどんな所で、そこにいる人々は何をしているのかと知りたい人はたくさんいると思います。

 

‌日本では死んで天国に入り、先に死んだ人と再会してお酒を飲みながら楽しくおしゃべりするとよく言われます。

 

‌天国でも地上と同じ生活をすると思っているのでそう言うと思います。

 

‌天国は地上と同じく肉の欲に従って生きる場所ではなく、完全な神の臨在がある所で、その偉大さと素晴らしさに心奪われ、神様しか目に入らないところです。

 

‌天国は神の愛を知り、神からの救いを喜んで受け入れた人たちが入る所です。

‌決して死んだ人が全員行くところではないです。

 

 

‌救い主に救われた人たちが一番会いたい方は、自分の救い主であるイエス・キリストです。

 

‌その方に会うとみんなは喜びに満たされて大声で救い主をほめたたえ、主の御名に栄光をささげます。

 

‌もし私が天国に入るならば、同じく大声で主に叫ぶと思います。

 

‌その御前にひれ伏して礼拝をささげ、感謝と賛美をささげます。

 

‌天国に入った誰かに会う前に、救い主にまず会いたいですね。

 

祈り

主よ。‌主の御顔を一日でも早く拝見したいと心から願っています。

 

 

3分バイブルボイス 

【恵み】恵みとまことはキリストによって実現:ヨハネの福音書1章

 


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神様の救いの計画

2024-12-22 00:01:11 | 第1テサロニケ

 

第1テサロニケ5:9

神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。

 

最初の人間が神の命令に逆らって堕落した時に、神様は色々な選択が出来たと思います。

 

‌一番簡単な選択は、彼らから命を取って新しい人間を造れば悩むこともなかったと思います。

 

‌なぜなら最初の人間も神様が造ったので、彼らから命をとっても誰も何も言うことがないです。

 

 

‌しかし神様はその選択をせず、とんでもない救いの計画を立てました。

 

‌その計画は神様がとんでもない犠牲を払わないと成立しない計画でした。

 

‌人間が堕落した後に神様が打ち出した人間を救う計画が創世記にあります。

 

創世記3:15

わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

 

「女の子孫」とはイエス・キリストのことで、‌「おまえ」はサタンのことです。

 

‌イエス・キリストの十字架は、かかとにかみつくということばで表現されてあります。

 

 

‌キリストは神のひとり子で神なのに、人間を罪から救うために人間として生まれ、人間の罪を背負って十字架にかかりました。

 

‌しかし三日目によみがえったことで死の力を持つサタンに勝利しました。

 

‌キリストの十字架には人間に対する神の深い愛と犠牲、そして救いがあります。

 

ヨハネの福音書3:16

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 

 

祈り

罪を犯した人間に対する神の深い悲しみと怒りがそのまま人間に下らず、イエス・キリストを通して救いの道を開いて下さった神様には感謝だけです。

 

 

3分バイブルボイス 

【ディボーション】神のみこころを行うため:ヨハネの福音書6章38節

 


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