第2ペテロ1:14
『それは、私たちの主イエス・キリストも、私にはっきりお示しになったとおり、私がこの幕屋を脱ぎ捨てるのが間近に迫っているのを知っているからです。』
主のために、いのちを懸けて生きている人にとって、一番の楽しみは主に会うことです。
歴史の中でキリスト者ほど迫害を受けた人々はいませんでした。
日本でもキリスト者は大変な迫害を受けて多くの信徒たちが殉教しました。
彼らがイエス様を否認すれば、迫害も殉教も受ける必要はありませんでした。
しかし彼らは自分たちのたましいを救って下さった主を否認するよりは死を選びました。
それは彼らにとって、死は永遠のいのちに入る瞬間であるからです。
肉体という幕屋を脱ぎ捨てて、栄光の新しい衣を着る希望を持っていました。
ですから自分の死が迫って来ても、大きな喜びを持ってその瞬間を待っていました。
使徒パウロは自分の死が近いことを知って、このように心境を語りました。
第2テモテ4:6-8
『私は今や注ぎの供え物となります。私が去る時はすでに来ました。
私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。』
【祈り】
主よ。聖徒の死は、復活があるから素晴らしいですね。その祝福を受けたいです。
【聖句をノートに書きましょう】
-復活-
- マタイの福音書27:53
- ルカの福音書14:14
- ヨハネの福音書5:29
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