(聖書箇所:マタイ6:25-34)
[ だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。](34節)
あすのための心配で 今すぐしなければならないことをしないのも間違いですが、目の前のことだけに心が取られ、あすのための用意もしないなら、それはもっと大きな間違いです。
イエス様が“あすのための心配は無用です。”と語った理由は現実に対する執着と未来に対する心配に対しての警告です。
ですから聖徒たちは未来に対して用意をしながらも現実に対しても忠実な人にならなければなりません。
(ヤコブ4:14--あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。)
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