イザヤ書66:1-2
『主はこう仰せられる。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。わたしのために、あなたがたの建てる家は、いったいどこにあるのか。わたしのいこいの場は、いったいどこにあるのか。
これらすべては、わたしの手が造ったもの、これらすべてはわたしのものだ。──主の御告げ──わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。』
立派な教会を建てたい思いを持つ牧師は多いです。
しかし神様は人間が建てた建物がないと困る方ではないです。
中世のカトリック教は、至る所に立派な教会を建てました。
そのため信徒たちからあらゆる名目で献金を集めていました。
それによって教会が堕落しました。
教会の堕落で一番心を痛めたのは神様だと思います。
神様が求めたわけでもないのに、人間の勝手な思いが神様を困らせました。
世界にあるすべてのものは主の物なので、立派な建物を建てる理由として神を利用し、どんなに立派な建物を建てたとしても神は喜びません。
全世界は神が活動する舞台です。
神は世界を見ながら、神の心に適う人を探しています。
へりくだって心砕かれ、主のことばにおののく者を探しておられます。
探してそのような者と共にいて下さる方です。
【関連聖句】
申命記3:24
『「神、主よ。あなたの偉大さと、あなたの力強い御手とを、あなたはこのしもべに示し始められました。あなたのわざ、あなたの力あるわざのようなことのできる神が、天、あるいは地にあるでしょうか。』
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