イザヤ書42:1-9
『見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす。
彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。
彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。
彼は衰えず、くじけない。ついには、地に公義を打ち立てる。島々も、そのおしえを待ち望む。
天を造り出し、これを引き延べ、地とその産物を押し広め、その上の民に息を与え、この上を歩む者に霊を授けた神なる主はこう仰せられる。
「わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約とし、国々の光とする。
こうして、見えない目を開き、囚人を牢獄から、やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。
わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。
先の事は、見よ、すでに起こった。新しい事を、わたしは告げよう。それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう。」』
誰かに対して身を低くして仕えるのがしもべです。
しもべは自分の思いのままに振る舞うことが出来ないです。
以前テレビでイギリスの貴族の家で仕えている執事の様子を放送していました。
物静かで姿勢の良い中年の男性でした。
長い間、執事として仕えていました。
貴族のことは知り尽くしていて、すべてを用意し、朝から夜まで仕えていました。
貴族が何も言わなくても、必要なものが用意されていて、貴族は外での活動以外は家では何もしなかったです。
それを見て、自分にもあのような執事がいたら楽だなと思ったことがあります。
主人に仕える忠実なしもべの姿でした。
その執事は自分のために生きる人ではなく、自分が仕える貴族のために存在しているように見えました。
イエス様が人間として地上に来られた時にこのように言われました。
マルコの福音書10:45
『人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」』
そしてそのことば通り、私たち卑しい人間のためにしもべとして仕えて下さいました。
【関連聖句】
ピリピ2:6-7
『キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、』
【聖書通読】
-イスラエルの栄光の未来-
- ホセア書3章
- ホセア書14章
《 3分バイブルボイス 》