ヨシュア記24:15
『もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」』
信仰は強制的に強いて信じることではありません。
信じるふりをしてもそれは信じることではないです。
教会に通うからみんなが信仰あるわけでもないです。
信仰の家庭で生まれた者でも信仰を持っていない人もとても多いです。
信仰はあくまでも、個人と神様の関係において成立するものです。
個人が神を信じることです。
ローマ10:9
『なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。』
家庭でも一人の人が信じるから、信仰の家庭になるのではなく、家族みんなが信じる時に信仰の家庭になります。
ヨシュアは家族みんなが神を信じる信仰を持っていました。
それは本当に良かったと思います。
神を選ぶか偶像を選ぶかは個人の選択です。
【祈り】
主よ。私の家庭もいつまでも信仰の家庭でありますように。
【聖句をノートに書きましょう】
-家庭-
- 詩篇107:41
- 箴言17:1
- 第1テモテ5:8
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