マタイの福音書16:24
『それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』
クリスチャンの十字架は、キリストに完全に従う時について来る苦難を意味します。
イエス様は先に「だれでもわたしについて来たいと思うならば」と語ってから条件を出しました。
その条件とは、難しい条件で「自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」でした。
主が無理やり負わせる十字架ではなく、自ら進んで十字架を負わないと、主について行くことは出来ないです。
キリストご自身も「十字架に至る道」を自ら選んだので十字架にかかりました。
誰かが無理矢理負わせたわけではないです。
キリストに従って歩むクリスチャンも同じです。
従順の道には十字架が立ってあります。
その道に足を踏み入れる時に十字架を負うことになります。
そして主について行きます。
いま十字架を負って主について行けていますか?
それとも十字架とは無縁の生活をしていますか?
【祈り】
主よ。重い十字架であっても最後まで負い続けることが出来るように力を与えて下さい。
【聖句をノートに書きましょう】
-十字架-
- マタイの福音書10:38
- 第1コリント1:17-18
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