マタイの福音書5:8
『心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。』
きよいということは聖潔、そして純粋と言う意味があります。
そして道徳的にも清潔であることが含まれてあります。
旧約時代に神様の前に出るためには、きよめの儀式が必要でした。
体や手を洗う儀式もありました。
汚れたものに触れて自分を汚してもならなかったです。
体を清めて神の前に出ました。
イエス様が来られてからは違う形になりました。
心をきよめるために罪を悔い改めるように言われました。
また神に近づくように言われました。
ヤコブ4:8
『神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。』
神に近づいて二心を捨てることです。
この世を愛する心を捨てて神様だけを愛することです。
神に近づくことは神様だけを求めることです。
主はその心をきよい心と見て下さいます。
心のきよい者が神を見ます。
もちろん直接主を見るのではなく、主の臨在を感じることが出来ます。
【祈り】
主よ。私の心をきよめて下さい。主が流した尊い血で洗い清めて下さい。
《 3分バイブルボイス 》
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