この記事は2021年8月18日に、SNS限定記事として公開させて頂いた記事です。
2021年11月から転職などにより、生活環境が著しく変化した事で、そのリズムに慣れず、
戦争遺跡などを巡る余裕が出来ませんでした。
全く不本意ではありますが、今回、この記事を一般公開する事でご容赦願います。
先日「大阪の戦争遺跡と被爆地を巡って。」という記事をアップさせていただきました。
実はその記事を作成するにあたって、私は大阪大空襲の事を学ばなければと思い、
今年の2月に大阪市中央区の「ピースおおさか」を訪ねました。
こちらの施設では大阪大空襲に関する貴重な資料が展示されています。
簡単ではございますが「ピースおおさか」を紹介させていただきます。
入館料は大人250円、高校生150円、中学生・小学生は無料です。
券売機で入館チケットを購入します。
チケットを渡す際、スタッフの方に撮影の可不可を訊ねると、
展示物を細かく撮影しなければOKとの事でした。
そして入館、まずはAゾーン。
Aゾーンでは第一次大阪大空襲後のミナミの風景が、大パノラマで展示されていました。
Aゾーンを抜けるとBゾーンです。
Bゾーンにはスクリーンがあり、そこでは日清・日露戦争から太平洋戦争までの、
年表を辿りながらの映像が公開されています。
スクリーンから先に進むと、年表が展示されていました。
次にCゾーンへ。
Cゾーンは「戦時下の大阪のくらし」がテーマになっています。
まずは「子どもたちの戦時下のくらし」です。
入口すぐのところに、昭和23年大阪府の小学校6年生の平均身長と体重が記されています。
平均身長と体重は以下の通りです。
女子>身長129.1㎝ 体重27.2㎏
男子>身長128.6㎝ 体重27.5㎏
現在の子どもたちと比べると、女子も男子も小さかった事が分かります。
戦時下の民家も再現されていました。
↓↓通路では大阪大空襲体験画が展示されています。
Dゾーンへ。
Dゾーンでは実物資料や体験者の証言などを中心に、
空襲で被害を受けた大阪の街や人々の様子が紹介されています。
被弾した国民服、被弾した鉄カブト、被災したミシン、大阪砲兵工廠本館のレンガ壁や、
焼夷弾、1トン爆弾、模擬原爆のレプリカが展示されていました。
防空壕も再現されています。
また、映像で空襲体験者の生の声を聞くことも出来ます。
↓↓防空壕
この防空壕の中に入ると、逃げ惑う人々の声や、爆撃の音が聞こえて来ます。
照明も暗くなったり赤くなったり、そのような演出がされていました。
皆さんご存知ですか?
防空壕の周りが炎に包まれた場合、防空壕の中は蒸し焼き状態になります。
実際にそうした中で亡くなられた方も多かったようです。
↓↓刻の庭(ときのにわ)
刻の庭では身元が判明されている死没者9千人のお名前が、
↓↓こちらのドーム内の銘板に記されています。
このあとE・Fゾーンに入りましたが、撮影禁止区域だったのかな?
E・Fゾーンの画像はありません。
Eゾーンは「たくましく生きる大阪」テーマに、
Fゾーンでは「私たちの未来をつくっていくために」をテーマに資料等が展示されていました。
↓↓「1945年の母子像」(作:栗津 潔氏)
「戦争で犠牲になった人々を追悼するとともに、
戦禍のなかを逃げ惑う母と子のイメージを基本に作成されたモニュメントです。
焼夷弾などによって母親の体は傷つきながらも、
子どもを守ろうとするようすをあらわしています。」
(ピースおおさか展示のてびきより引用)
おおまかな説明でしたが、ピースおおさかの紹介はここまでです。
大阪大空襲を深く知りたい方は、是非、足を運んでみて下さい。
尚、この記事を作成するにあたり、
「ピースおおさか展示のてびき」を参考にさせていただきました。
先の大戦において、尊い命を捧げた戦没者の御霊に、
謹んで哀悼の意を表するとともに、
ご遺族の方々には心よりお悔やみ申し上げます。
放浪うどん人 tati
ピースおおさか
〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城2−1
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