日清戦争が勃発、正岡子規は胸を病みながら近代短歌・俳句を確立していった時代を描いた小説なのですが、世界史を勉強しているような気持ちになりました。

戦争のページは飛ばし読みになってしまいましたが、勉強になりました。

俳句は詠みあげられたときに決定的に情景が出て来ねばならず、つまり絵画的でなければならず、さらにいうならば「写生」でなければならない、と子規はいう。
大和路をあるき、法隆寺まできて茶店に憩うたとき、田園に夕のもやがただよっていかにも寂しげであった。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
という句は、このとき心にうかぶままを句帳にとどめたものである。