西郷=征韓論派、大久保=反征韓論派、木戸、さらには板垣、副島も反征韓論側に…

好転
かれ(西郷)はこの当時における征韓論の代表的人物とされていながら、かれ自身、征韓とか征韓論とかいう時代の流行語を一度もつかったことがなかった。「遣韓」と、かれはいった。
「朝鮮の頑迷を洞開せねばならぬ」というのが西郷の遣韓大使としてゆこうとする理由であった。朝鮮がロシア領になってしまえば地理的に近い日本は軽くてもその准属邦の位置に堕ちこむおそれがある…
日本に貴族をつくって維新を逆行せしめ、天皇を皇帝のごとく荘厳し、軍隊を天皇の私兵であるがごとき存在にし、明治憲法を事実上破壊するにいたるのは、山県であった。
廟堂
西郷のもくろみはまず渡韓して自分が死ぬ、…
秋の霜
西郷の征韓論の巨視的展望には、朝鮮そのものに最終目標はなかった。それはロシアにあった。ロシアの南下策のすさまじさを見ていて、早晩、これが日本の独立をおびやかすことを西郷は予見していた。
西郷が新政府内で征韓論をめぐり、対立し孤立していく様子が描かれていました。