オレゴンに来て3年目。
ここの所、40℃越えの気温が続く南オレゴン。
去年の今日がこんなに暑かった
かどうか記憶に残ってないけれど、
忘れたくても忘れられずに記憶に残っているのが人生初の
外科的事故での入院。
こう言う時には、
健康保険制度がある日本はいいと思うよね。
アメリカには今までそういうものはなかったけれど、
「オバマケア」と言うものが登場して今まで、先進国の中で唯一、
国民皆保険制度のない国が他国と足並みを揃えたよう・・・だった。
裏事情を知れば色々なマイナス点も出ているようだけど。
日本では滅多に
にお世話にならずにいたし、こっちでもそれでいこう
・・・なぁんて高をくくっていたら、
人生いろいろ~
ですね。
加入するのを待ってました、とばかりに来たのが救急車
騒ぎになった私の怪我。
前に少しブログにも書いたのでご存じの方もいらっしゃるとは思うけれど・・・
去年の6月、ちょっと立ち寄ったシェルターで出会って連れ帰ったワンコ(♀)とサトリの間で小競り合いが起こった。
相性が合わなくて、と言うか人にはとっても従順だったけど、犬との社会性に欠けてたのと、サトリが
とてつもない負けず嫌いな性格だった・・・犬用語で言えば所謂
”ドミナント・ドッグ” ”アルファ” のタイプだったから、とも言えるかも。
3回目に勃発したいさかいは、かなりシビアで、高齢でもたついてきているサトリの後足に噛みついて離さないNew face。ピットブルとシャーペイのMix。
(だと書かれてた)
シェルターでの呼び名は
<ハニーサックル・♀>なんて可愛い名前がついてたけど我が家に来た時から
”ピーチ”
そんな時、サトレペパパの留守中に起きたケンカ・・・。
サトリは足を噛まれて痛そうにしていたが、決して悲鳴はあげないもんだからピーチも負けてない。
私はそんなサトリを見ていて、気が付いたら犬のケンカの真っただ中。その時すでに私の左手の中指は骨折をしていたと言うのに
まぁ、そんなこんなで、私は自分で
を呼ぶ怪我をしたわけで・・・
アメリカは
救急車は有料だとか聞いてたけど、そんな事を気にしている余裕はなかった。
アメリカの緊急の番号は<911>実は日本でも何回か救急車に乗った事はあるのだけど、アメリカに来てまで利用する事になるとは。
やって来た救急車に腰掛けて、生年月日と名前を聞かれたのに管轄が違うからなのか何だかよくわからないまま、救急車を乗り換えて隣町の救急病院へ。
私の指は
(きっと)見た目ほど痛みがなく、救急隊の人と軽いおしゃべりなんかをしたりしながら病院へ着いたら、ERの人たちが出て来て病室へ直行!!ここでまた、
生年月日と名前の確認。
血が苦手は私は、自分で見た訳じゃないけれど。確かに左手の薬指はとんでもない状態になっているはず。
でも、左足にも傷があるのに手当てしてくれないの?
って感じだったけど、チラっと見ただけで、
「大丈夫だね。」
って、言ってる。消毒をするわけでもなく、こちらとしては、足も痛いんですけど・・・・。
そんな事を考えてたら、サトレペパパもやって来て、担当になってたERの人の説明を聞くと、そこの病院から車で1時間くらいかかる南オレゴンで一番大きな街、Medford に 有名な? ”Hand doctor” がいると言うのでそっちへ移送させられるんだって
それでまた、救急車で移動。
ところがその救急車が待てど暮らせど来ない!!
待つ事・・・・何時間だ?この中指はもう使えなくなるんじゃないかと言う不安を抱えながら・・・・・4,5時間位は待ったかな?
何故そんなに時間がかかったか・・・・。
最初に手配した救急車が出動しなかったから・・・。救急車と言っても民間みたいだから、色々裏事情もあるんでしょうね。次に連絡をした所はすぐに来てくれたけれど、
はもう夜中の12時を回ってた。
メディカルセンターに着いたら病室も準備されてて、夜勤の看護師さんたちがテキパキと働いていた。
ここでも、
生年月日と名前の確認
当然、夜中に
<担当になる先生>がいるわけもなく、夜勤の先生が対応してくれてた。
入院した日は何が何だかわからなくて、
酸素や血圧をチェックしてくれる女性と私の
怪我をケアしてくれる看護師さんと思われる女性が2人いたっけ。
事故後包帯をぐるぐる巻きにされただけで、何の手当てもしてないわけだから、当然痛むわけ。怪我のケア看護師さんが何時間おきかに顔を出して、
「手はどう?1から5までで1が『痛くない』とすると今はどのくらい?」
って聞いてくれるんだけど、そんなのをじっくりと感じている余裕もなく
「『4』くらい」と言うと痛み止めのモルヒネを点滴に注入
してくれる。
なるべく使わないようにしようと我慢してみたけど、『4』だと寝られないので結局
2回お世話になったかな?
翌朝、目が覚めて病室内を見回したら
壁のボードにその日の担当の看護士やアシスタントの名前が書いてあった。
それにトイレもシャワーもついてるし・・・・。よく考えれば個室ではないですか。
救急で入ったから個室になったのか、なんで個室になったのかは未だに謎。
ベッドから見える景色も緑が多くて何か心が落ち着く感じだったな。
これは手術をする所の建物
モルヒネのおかげかなんだか、怪我の痛みをあまり感じなかったので呑気な私だったけど、先生が来ると聞いた時にはちょっと緊張
”Hand doctor” として有名な先生は、確かに一目見てそれらしい雰囲気一杯でした。
私の指を見ると、表情一つ変えずに
「犬に噛まれたんだって?」
「人を噛む犬は嫌いだな。噛まれる人も好きじゃない」
怪我をしてベッドに寝ている患者なんですけど、私・・・。
「ああ、これはもしかすると先っぽは駄目かもしれないな」<え?私指がなくなるの?>
「もう、フルートとかは吹けないよ。」<え?なんで私がフルート吹くのを知ってるの?>
って、好きな事言ってる先生で
嫌なやつ!
とは思わなかったけど、怖い先生だな、って思った。
だけど、病室を出て行く時
「誠心誠意最善を尽くして手術をしますから。何とか指が残るように」
って言ってくれたのはとても励みになった。
事故から2日目、手術は無事に終わり、指はしっかりついてました。
手術当日の朝に一度顔を見に来てくれたのだけど
「お酒を飲むか」とか「タバコを吸うか」とか質問されて
「タバコは吸いません」
ときっぱり言ったら
「私の好きな患者になったな。」
だって!
なぁんだかよくわかんない先生だけど、第1回目の手術から数ヶ月後の1月に指を曲がらなくしている、
骨を削る再手術をする事になったんです。
その時は、麻酔も局所麻酔でもいいか、なんて言ってたから
「痛くなくても器具の音とか聞こえるの嫌だから、その前に私をノックアウトして下さい。」
って言ったら結局、麻酔をかける事になったけど、前回のように口からも入れるような大げさなものではなくもっと安全なやり方だから・・・って言われて、その時初めて
1回目の手術はそんなに大がかりだったのか、と知った訳です。
確かに、麻酔は軽かったようです。
手術の途中、何回か私を呼ぶ先生の声が聞こえ、ぼんやりと見えた手術室の灯りの中に手術中の先生が私の手を取って指を曲げて
「ほら。90度は曲がるようになったよ!」
って見せてくれて、自分は何か答えたのだけどそのまままた眠ってしまったようでした。
手術後、再度ハンドセラピーのダニーの所へ通い、自力で90度近くまで曲げられるようになった時、先生から
「そろそろ卒業でいいかな?」
と言われ、
「再手術を決意してくれてありがとう。」
って握手を求められました。先生のアドバイスで、先生を信頼してたから再手術をした訳でこっちこそ先生に感謝感謝なのに、しっかり手を握られてそう言われた時は、この先生ともう会えなくなるのが淋しくなりました。
ハンドセラピーをしにずっと担当医のその先生紹介で隣町のクリニックに通ってましたが、担当のダニーは2回目の手術の縫合を見て
「さすが、噂に聞く名医だね。縫合の仕方がとても丁寧だ。」
って褒めてました。
先生の2回目の手術の縫合フランケンシュタインモンスターの手ではありません
確かに今はジーッとよく見なければ2回目の手術の跡はわかりません。
接合した指先は見ればわかるし、右中指のように曲がらないけど、今は爪もちゃんと生えてるし、物もつかめるし・・。
私の生涯で初めて外科手術をしてくれた先生は、評判通りの
”ハンドドクター”でした。
しかし、渡米して以来、色々喋った人たち、顔みしりになった人が病院関係の人たちって言うのもなんだかねぇ・・・・。
今日は、その名医の写真を載せちゃおう。病院の壁に飾ってあった奴だけど。
Absolute best hand doctor Dr. Bengard本物の方がずっといいけど。