夏休みの報告も済まないままに、気づけばもう12月になるところだったね
3月11日の地震以来・・・色々な事があったり、体調を崩したりしてる人の話・・・聞いたりした気がするな。
でも、我が家の一大出来事は、なんと言っても、母の病気発生
7月から何となく食欲がないと言っていたけれど、ニュースを見ていて大震災にあった人たちの姿を見ると胸が痛むから・・・なんて(今思えば)理由をこじつけてたけど、9月終わり頃に微熱が続くと言うから、血液検査をしてもらったら、即検査入院になってしまった。
2週間あまりの検査結果は、
「胆嚢がん」
もちろん、本人も知ってます。
それだから、私も母に会いに行きやすい。
変な芝居なんか出来っこないもん
弟は、医者から一足先に病名と余命を聞いていたけれど、私にをかけてきて
「先生から話を聞く前に、先に本人に話すから・・・隠している方が変でしょ、余命は別として。ババちん(孫たちが呼ぶ母の呼び名)の性格考えても言った方がいいから。」
って言うから、私も、「それでいい」と答えた。
区の健診とかも受けていたはずなのに、なんでそんなになるまで気づかなかったんだろうか。
しばらく食事をうけつけなかったから、みるみる痩せてしまって、貧血もかなり進んでいたけれど、輸血をしてもらってから、元気になって食事もしていた。
子供のころから日本舞踊をやっていた母なので、足腰は同年齢の人よりも強いらしく、かよわいながらも、杖もつかずに歩いていたし、自分なりに家でリハビリ(?)してたし・・・。
でも、また、昨日入院してしまった。
朝、急に発作みたいなのを起こして、看病していた弟夫婦が救急車を呼んだ。
幸いにもかかりつけの病院のベッドが空いていたのでそこへ入院。
私が着いた時には、酸素吸入され落ち着いた顔で私を迎えてくれた
弟が、母の前でジョークを交えて、発作が起きた時の様子を話していたが、母も救急車のサイレンの音は覚えているだけで自分に何が起こったかわからなかったそうで、笑ったりびっくりしたりしながら弟のジョーク混じりの説明を聞いていた。
母は、父の時にもそうだったが、苦しみや痛みは押さえてもらう処置はしてもらっても、手術はもちろん、化学療法も行わず余生を過ごしたいと言う希望もあり、在宅看護を始めたばかりだったのに・・・。
意識がはっきりして落ち着くと、自分がいなくなってからでは出来なくなる手続きが必要なものがあるだろうから、今のうちに署名やサインをすると言うので、他の人から見れば冷静で、冷たい家族に思われるだろうけれど、母を交えて弟と今後の話をしてきた。
時々、訳のわからない事を言う母ではあるけれど、自分に戻ると冷静に色々を気を配る姿に頭が下がる思いだ。
同じ階の病室にいる人の会話が時々聞くでもなく聞こえてきたが、おそらく年配のご夫婦で、奥さんが入院されているのだろう。はっきりと言っている事はわからないけれど、声をあげて、何故自分が病院にいるのか、とかこんな所にいたくないとか、旦那さんに文句を言って、それを根気よく説明する旦那さんらしかった。
母が自分の事を
「人の世話になるだけしかならない人間になった。」
「わがままを言ってばかりで、大変な患者だろうね」
と言った時、そのご夫婦の話をして
「それを考えれば、(母は)いい患者さんじゃないの?」
と言ったら、
「私は今、過去も先の事も考えていないよ。ただ、『今』を考えているだけだから。文句なんて言えるわけがない。こんな人間でも世話をしてくれてるんだから」
って答えた。
そう・・・
『今』を生きる。
これは、私やサトパパの信条であり、うちの凸凹からも学んだ事。
(動物)は、『今』を生きていると言う事。
過去も未来も関係なく、『今』を生きている。だから、一生懸命に、そして迷う事もなく、今必要な事を考えて生きている。
人間は、「過去、現在、未来」に生きる事が出来る唯一の生き物らしい。だから、複雑なんだって。
「人間なんだから仕方ないじゃない」
と言うのはいい訳で、やっぱり逃避じゃないかな?と母の言葉を聞いて思った。
母と
『今を生きる』
について深く話した事はないけれど、自分の余命を感じながら生きている母の言葉は、私に重い。
「こんな病気になるなんて。私の体に10年以上も黙って巣くって何てやな奴!」
「ご飯を食べるたびに、私の胃には『栄養を採るんだよ』って優しく言うけど、左のこの辺(胆嚢のあたり)には、絶対優しい声はかけないんだ。こいつめ!って思う」
以前から
「うちは癌の家系じゃないから」
って母から聞いていたから、がん保険にも入ってないくらいで、そんなだから母の病気を知った時の私は、
『今』を生きる。
事さえ、どっかへすっとんで、正直言って体調を崩してしまった。母の病気の事だけじゃなく、母が亡くなってしまったら浮上してくるかもしれない実家の問題とか考えたら、さすがに丈夫さを誇っている私の胃もまいってしまったのかも。
でも、改めて何が今必要なのかを考えたら、私がまいっている場合じゃないと思って、
<元気な私、復活!!!>
カラ元気ではありません。母から頂いたこの生命、大事にしていかなくては。
今、病室では、がん患者がいるとは思えないほど、笑いにあふれています
これは、私への『備忘録』でもあります。
3月11日の地震以来・・・色々な事があったり、体調を崩したりしてる人の話・・・聞いたりした気がするな。
でも、我が家の一大出来事は、なんと言っても、母の病気発生
7月から何となく食欲がないと言っていたけれど、ニュースを見ていて大震災にあった人たちの姿を見ると胸が痛むから・・・なんて(今思えば)理由をこじつけてたけど、9月終わり頃に微熱が続くと言うから、血液検査をしてもらったら、即検査入院になってしまった。
2週間あまりの検査結果は、
「胆嚢がん」
もちろん、本人も知ってます。
それだから、私も母に会いに行きやすい。
変な芝居なんか出来っこないもん
弟は、医者から一足先に病名と余命を聞いていたけれど、私にをかけてきて
「先生から話を聞く前に、先に本人に話すから・・・隠している方が変でしょ、余命は別として。ババちん(孫たちが呼ぶ母の呼び名)の性格考えても言った方がいいから。」
って言うから、私も、「それでいい」と答えた。
区の健診とかも受けていたはずなのに、なんでそんなになるまで気づかなかったんだろうか。
しばらく食事をうけつけなかったから、みるみる痩せてしまって、貧血もかなり進んでいたけれど、輸血をしてもらってから、元気になって食事もしていた。
子供のころから日本舞踊をやっていた母なので、足腰は同年齢の人よりも強いらしく、かよわいながらも、杖もつかずに歩いていたし、自分なりに家でリハビリ(?)してたし・・・。
でも、また、昨日入院してしまった。
朝、急に発作みたいなのを起こして、看病していた弟夫婦が救急車を呼んだ。
幸いにもかかりつけの病院のベッドが空いていたのでそこへ入院。
私が着いた時には、酸素吸入され落ち着いた顔で私を迎えてくれた
弟が、母の前でジョークを交えて、発作が起きた時の様子を話していたが、母も救急車のサイレンの音は覚えているだけで自分に何が起こったかわからなかったそうで、笑ったりびっくりしたりしながら弟のジョーク混じりの説明を聞いていた。
母は、父の時にもそうだったが、苦しみや痛みは押さえてもらう処置はしてもらっても、手術はもちろん、化学療法も行わず余生を過ごしたいと言う希望もあり、在宅看護を始めたばかりだったのに・・・。
意識がはっきりして落ち着くと、自分がいなくなってからでは出来なくなる手続きが必要なものがあるだろうから、今のうちに署名やサインをすると言うので、他の人から見れば冷静で、冷たい家族に思われるだろうけれど、母を交えて弟と今後の話をしてきた。
時々、訳のわからない事を言う母ではあるけれど、自分に戻ると冷静に色々を気を配る姿に頭が下がる思いだ。
同じ階の病室にいる人の会話が時々聞くでもなく聞こえてきたが、おそらく年配のご夫婦で、奥さんが入院されているのだろう。はっきりと言っている事はわからないけれど、声をあげて、何故自分が病院にいるのか、とかこんな所にいたくないとか、旦那さんに文句を言って、それを根気よく説明する旦那さんらしかった。
母が自分の事を
「人の世話になるだけしかならない人間になった。」
「わがままを言ってばかりで、大変な患者だろうね」
と言った時、そのご夫婦の話をして
「それを考えれば、(母は)いい患者さんじゃないの?」
と言ったら、
「私は今、過去も先の事も考えていないよ。ただ、『今』を考えているだけだから。文句なんて言えるわけがない。こんな人間でも世話をしてくれてるんだから」
って答えた。
そう・・・
『今』を生きる。
これは、私やサトパパの信条であり、うちの凸凹からも学んだ事。
(動物)は、『今』を生きていると言う事。
過去も未来も関係なく、『今』を生きている。だから、一生懸命に、そして迷う事もなく、今必要な事を考えて生きている。
人間は、「過去、現在、未来」に生きる事が出来る唯一の生き物らしい。だから、複雑なんだって。
「人間なんだから仕方ないじゃない」
と言うのはいい訳で、やっぱり逃避じゃないかな?と母の言葉を聞いて思った。
母と
『今を生きる』
について深く話した事はないけれど、自分の余命を感じながら生きている母の言葉は、私に重い。
「こんな病気になるなんて。私の体に10年以上も黙って巣くって何てやな奴!」
「ご飯を食べるたびに、私の胃には『栄養を採るんだよ』って優しく言うけど、左のこの辺(胆嚢のあたり)には、絶対優しい声はかけないんだ。こいつめ!って思う」
以前から
「うちは癌の家系じゃないから」
って母から聞いていたから、がん保険にも入ってないくらいで、そんなだから母の病気を知った時の私は、
『今』を生きる。
事さえ、どっかへすっとんで、正直言って体調を崩してしまった。母の病気の事だけじゃなく、母が亡くなってしまったら浮上してくるかもしれない実家の問題とか考えたら、さすがに丈夫さを誇っている私の胃もまいってしまったのかも。
でも、改めて何が今必要なのかを考えたら、私がまいっている場合じゃないと思って、
<元気な私、復活!!!>
カラ元気ではありません。母から頂いたこの生命、大事にしていかなくては。
今、病室では、がん患者がいるとは思えないほど、笑いにあふれています
これは、私への『備忘録』でもあります。