2011年は、大震災と言う大きな出来事があり、多くの方がその犠牲になりました。
でも、そんな中、私の耳には、友人や後輩たちのおめでたの話が結構飛び込んできていました。
まだまだ、今年も、新しい命が生まれます。
嬉しい反面、バブルのいい時期を過ごしてきた私から見ると、地球温暖化だの、放射能汚染だの、地震だの、津波だの・・と、この厳しい世の中に生まれて来て、どんな大人になっていくのだろうか、と不安がよぎらないと言えば嘘になる。
もっとよく物事を知っていたら、こんな事になる前に原発事故に歯止めが出来たかもしれない、と思うと今まで無知なままに、恩恵を受けてきた事に申し訳なさすら感じてしまう。
だから、私たちが、これからの子供たちの為に何かしていかなくてはいけないと、心から思うのだけど・・・・。
おめでたい話から、暗い話になってしましました。
暗くなりついでに、お話します。
今年は、母が亡くなり、淋しい思いをしましたが、そんな中で追い打ちをかけるように、思いもかけない命が二つ、消えてしまいました。
一つは、サトリの同胎の「Gunner」の死です。
「Gunner」は、サトリの兄弟姉妹の中でも一番大きく、ハンサムで、ドッグショーでも1位の座を総なめにする勢いで、彼の血を引くシャイロ・シェパードが沢山います。
会った事はないのだけど、何気に自慢のきょうだいだったんだよねぇ。
ところが、何気にブリーダーのMLを久しぶりに読んだら、「Gunner」が突然死をしたと言うメッセージを見つけたわけです。飼い主さんとは時々メールをやりとりしてたので、急いでメールをしたら、死因は
「胃捻転」だったようです。病院へ連れて行ったけれど、駄目だったと言っていました。来年10歳のお誕生日を一緒に祝えると思ってたのに・・・・残念です。
もう一つ・・・。これも、サトリの関係。
サトリの幼馴染として、このブログにも時々登場してもらっていた、「Kahn」の死です。
7月には私より一足先に渡米をする、サトパパとサトリにわざわざ会いに来てくれて、一緒に散歩もしたんです。
「Kahn」は、大手術をして、しばらく自力ではまともに歩けなかったのに、「Kahn」パパ、ママの努力の成果で、散歩が出来るようになり、会いに来てくれた日は、うちの近所の広い公園を一回り出来たんです。
「よくなって、よかったよねぇ~」
って大喜びしてたのに・・。
「Kahn」との出会いは今も鮮明に覚えています。
サトリがまだ、日本に来て間もない頃、多摩川の河川敷を散歩している時に、声をかけてくれたのが、Kahnママでした。 お誕生日は、サトリの方が1ヶ月ほどお姉さんでした。
ご夫婦とも、気さくでいい方だったので、意気投合して、それから時々会うようになりました。おうちにも3回ほど遊びに行きました。
初めて遊びに行ったときは、サトリも緊張していたようですが、2回目は2頭で泥だらけになって遊び、帰ってから洗うのが大変でした。
3回目は、サトリは自分の家のごとく振る舞うので、可哀想にKahnは吠えながらも遠慮して部屋の隅の方へ行ってました。
それを見て、私は、Kahnの心情をおもんばかり以後、遊びに行っても家の中へサトリを連れて入るのをやめたんです。
その頃、私は、イアン・ダンバー博士考案の「K9ゲーム」を始めたのですが、我が家にがないと知ってたKahnパパとママは、快く車を貸し出してくれたのです。しかも、無償で・・・。K9ゲームの見学にも来てくれました。会うやいなや、すぐに遊びのモード全開の2頭でした。
遊ぶのは、ドッグランでだけよ!
と言うので、立川の昭和記念公園のドッグランへも遊びに行きました。狭いドッグランなのに、何をするのも、何処へ行くのも一緒に行動するんです。
友人、知人たちとキャンプへ行ったときも、一緒に行動してましたが
究め付け、びっくりしたのと同時におかしかったのは・・・
あのデカイ2頭が同じケージの中に入っていた事でした。
どちらかと言うと、いつも威張っているのがサトリなんですが、何でか、こんな狭い所に一緒に入っても唸りも、吠えもしないでいる・・・。一体、この2頭の関係ってなんなんでしょうね
そんなKahnが虹の彼方へ行ってしまったのは、サトリが無事にアメリカに着いてから16日目。
朝、Kahnママからをもらい、いつもと変わらない様子で、
「今朝、Kahnが・・・・」
と、サラッと言った言葉の後ろに、彼女の大きな悲しみと落胆が隠れていた気がします。
その日は、たまたま何も予定がなかったので、レイラをサトリの臨時代理大使として一緒に霊園まで連れて行きました。レイラは、Kahnのそばに寄る事はなかったけれど、じっとそばに横になっていました。サトリと比べると、KYだと思っていたレイラが、高尾霊園へ行ったときには、いつもガウガウしちゃうKahnパパに対して、尻尾を振ってそばにいったのにはびっくりしました。
きっと、彼が一番気落ちをしていたんでしょうね。そんな空気を、レイラは感じたのだと思います。
別れは本当に辛いです。寝食を共にし、悲喜こもごもを分かち合い、9年も一緒にきたわけですから。
彼女は、火葬場の煙突が黒い煙を吐いたとき、ふっと言いました。
「あれが、Kahnなんだよね。まっすぐに空に昇っていってるね。」
「サトリの(血統書の)名前は”木の精”から取ったんだよね。サトリが迎えてくれてるんだよね」
と火葬場のそばの大木をかすめて立ち上る煙をずっと見ていました。
彼女にとって、Kahnは初めてのワンコでした。でも、小さくなったKahnを家に連れて帰り、私が去る時も、
「レイラが来てくれてよかったよ。本当にありがとう」
とレイラにまで気を遣って、気丈にふるまっていた姿が痛々しかったです。
Kahn、今まで本当にありがとう。これからはパパママ同様、サトリの事も見守ってて下さいね。
<おまけ>サトリが載った雑誌を見ているKahn
でも、そんな中、私の耳には、友人や後輩たちのおめでたの話が結構飛び込んできていました。
まだまだ、今年も、新しい命が生まれます。
嬉しい反面、バブルのいい時期を過ごしてきた私から見ると、地球温暖化だの、放射能汚染だの、地震だの、津波だの・・と、この厳しい世の中に生まれて来て、どんな大人になっていくのだろうか、と不安がよぎらないと言えば嘘になる。
もっとよく物事を知っていたら、こんな事になる前に原発事故に歯止めが出来たかもしれない、と思うと今まで無知なままに、恩恵を受けてきた事に申し訳なさすら感じてしまう。
だから、私たちが、これからの子供たちの為に何かしていかなくてはいけないと、心から思うのだけど・・・・。
おめでたい話から、暗い話になってしましました。
暗くなりついでに、お話します。
今年は、母が亡くなり、淋しい思いをしましたが、そんな中で追い打ちをかけるように、思いもかけない命が二つ、消えてしまいました。
一つは、サトリの同胎の「Gunner」の死です。
「Gunner」は、サトリの兄弟姉妹の中でも一番大きく、ハンサムで、ドッグショーでも1位の座を総なめにする勢いで、彼の血を引くシャイロ・シェパードが沢山います。
会った事はないのだけど、何気に自慢のきょうだいだったんだよねぇ。
ところが、何気にブリーダーのMLを久しぶりに読んだら、「Gunner」が突然死をしたと言うメッセージを見つけたわけです。飼い主さんとは時々メールをやりとりしてたので、急いでメールをしたら、死因は
「胃捻転」だったようです。病院へ連れて行ったけれど、駄目だったと言っていました。来年10歳のお誕生日を一緒に祝えると思ってたのに・・・・残念です。
もう一つ・・・。これも、サトリの関係。
サトリの幼馴染として、このブログにも時々登場してもらっていた、「Kahn」の死です。
7月には私より一足先に渡米をする、サトパパとサトリにわざわざ会いに来てくれて、一緒に散歩もしたんです。
「Kahn」は、大手術をして、しばらく自力ではまともに歩けなかったのに、「Kahn」パパ、ママの努力の成果で、散歩が出来るようになり、会いに来てくれた日は、うちの近所の広い公園を一回り出来たんです。
「よくなって、よかったよねぇ~」
って大喜びしてたのに・・。
「Kahn」との出会いは今も鮮明に覚えています。
サトリがまだ、日本に来て間もない頃、多摩川の河川敷を散歩している時に、声をかけてくれたのが、Kahnママでした。 お誕生日は、サトリの方が1ヶ月ほどお姉さんでした。
ご夫婦とも、気さくでいい方だったので、意気投合して、それから時々会うようになりました。おうちにも3回ほど遊びに行きました。
初めて遊びに行ったときは、サトリも緊張していたようですが、2回目は2頭で泥だらけになって遊び、帰ってから洗うのが大変でした。
3回目は、サトリは自分の家のごとく振る舞うので、可哀想にKahnは吠えながらも遠慮して部屋の隅の方へ行ってました。
それを見て、私は、Kahnの心情をおもんばかり以後、遊びに行っても家の中へサトリを連れて入るのをやめたんです。
その頃、私は、イアン・ダンバー博士考案の「K9ゲーム」を始めたのですが、我が家にがないと知ってたKahnパパとママは、快く車を貸し出してくれたのです。しかも、無償で・・・。K9ゲームの見学にも来てくれました。会うやいなや、すぐに遊びのモード全開の2頭でした。
遊ぶのは、ドッグランでだけよ!
と言うので、立川の昭和記念公園のドッグランへも遊びに行きました。狭いドッグランなのに、何をするのも、何処へ行くのも一緒に行動するんです。
友人、知人たちとキャンプへ行ったときも、一緒に行動してましたが
究め付け、びっくりしたのと同時におかしかったのは・・・
あのデカイ2頭が同じケージの中に入っていた事でした。
どちらかと言うと、いつも威張っているのがサトリなんですが、何でか、こんな狭い所に一緒に入っても唸りも、吠えもしないでいる・・・。一体、この2頭の関係ってなんなんでしょうね
そんなKahnが虹の彼方へ行ってしまったのは、サトリが無事にアメリカに着いてから16日目。
朝、Kahnママからをもらい、いつもと変わらない様子で、
「今朝、Kahnが・・・・」
と、サラッと言った言葉の後ろに、彼女の大きな悲しみと落胆が隠れていた気がします。
その日は、たまたま何も予定がなかったので、レイラをサトリの臨時代理大使として一緒に霊園まで連れて行きました。レイラは、Kahnのそばに寄る事はなかったけれど、じっとそばに横になっていました。サトリと比べると、KYだと思っていたレイラが、高尾霊園へ行ったときには、いつもガウガウしちゃうKahnパパに対して、尻尾を振ってそばにいったのにはびっくりしました。
きっと、彼が一番気落ちをしていたんでしょうね。そんな空気を、レイラは感じたのだと思います。
別れは本当に辛いです。寝食を共にし、悲喜こもごもを分かち合い、9年も一緒にきたわけですから。
彼女は、火葬場の煙突が黒い煙を吐いたとき、ふっと言いました。
「あれが、Kahnなんだよね。まっすぐに空に昇っていってるね。」
「サトリの(血統書の)名前は”木の精”から取ったんだよね。サトリが迎えてくれてるんだよね」
と火葬場のそばの大木をかすめて立ち上る煙をずっと見ていました。
彼女にとって、Kahnは初めてのワンコでした。でも、小さくなったKahnを家に連れて帰り、私が去る時も、
「レイラが来てくれてよかったよ。本当にありがとう」
とレイラにまで気を遣って、気丈にふるまっていた姿が痛々しかったです。
Kahn、今まで本当にありがとう。これからはパパママ同様、サトリの事も見守ってて下さいね。
<おまけ>サトリが載った雑誌を見ているKahn