Oregon on The Breeze ~ サトリの森

Yaplog時代のブログをこちらへ引っ越ししました。

やってくれます (~_~;)

2015-08-18 00:11:14 | 犬・猫・犬友・動物たち
数日前、朝起きて、いつものようにリードを放してあげたら勝手に1人で朝の散歩へ行ってしまったペーハ
門限(朝ごはんの時間)過ぎて戻って来たのでうちのお約束で、朝ごはん抜き!
そしたら、学習をしたペーハは、翌朝はいつものように森へ行ってトイレを済ませたら即行走って戻って来た!
食いしん坊のペーハだから、前の日の「朝ごはん抜き」を覚えているんだね。
前にもそう言う事があって、それに懲りて勝手に散歩は行かなくなってたのに、しばらくすると忘れるんだねぇ、ペーハ

そしたら、今度は昨日、夕方の散歩で行方不明!
呼んでも指笛ならしても戻って来ないで、
「まったくしょうのないやつだ。」と思いながらサトレペパパと落ちている枝の片づけをしていたら、久々にスカンクの臭いが風に乗ってしてきた。と同時、サトレペパパの
「ペーハが戻って来たよ!」
の声。
姿が消えた場所と全く違う場所から出て来たペーハと共にスカンクの臭いが濃くなって
と、思ったのもつかの間地面に顔をこすりつけてのたうちまわってる所をみると、かなり接近したところでやられたのは一目涼前
子犬の頃、まともにスカンクの攻撃を受けて泡を吹きながら戻って来たペーハだったけど、今回はそこまでひどくなかったらしい・・・・とは言いながらと言うのは想像できるし・・・・

私もサトレペパパもペーハがそばに来ようとすると、
シッシ!
と遠ざけるのに必死。
だって、あの臭いがついたら数日逃れられないからね。
当然、家には入れません。

今朝もリードを放すと朝ごはん抜きは嫌だ!とばかりにすぐに一緒に家へ来たんだけど、今日は絶対に家には入れないのだよこうしてじっと待つペーハを見るとついつい入れたくなっちゃうけどねぇ。

しばらく、伏せをしたり、座ったりしながらずっと中を見ていたけれど、そのうちあきらめてこう言う姿も、また可愛いんだけどねぇ。
やっぱりしばらくすると、忘れちゃうんだねぇ、泡を吹いて戻って来た日のこと

”Orange TKO” (日本の ”オレンジX” のオリジナルかな?) がスカンクの悪臭にも有効だと書いてあったので、朝と夕方2回、顔を吹いて足も拭いてあげたら素晴らしい!少し臭いが薄くなったので夜ご飯はうちに入れてあげました。
 食べ終わったら即外に出しましたけど
もう、<次>は、無しだからね

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突然のお客様

2015-08-14 22:12:20 | 友人
今年の夏は、日本からの友人が3組、我が家を訪れてくれる予定が入ってたので日本語を話す機会が多いな、と内心喜んでます。
6月に犬仲間のRomiちゃんが来てくれて、8月は武道仲間の大将。大将の後には、Tracker school仲間のくりちゃんとお友達が来てくれる・・・・と言う感じ
ところが、7月に突然の来訪のお伺いメールが届いてびっくり

日本にいた時、私は家の近所のNPO法人で高齢者の方にお弁当を配達するアルバイトをしていたんだけど、週に数時間と言う楽チンな仕事。
先方はもっと働ける日を増やして欲しいと思ってたようだけど、その頃はサトリやレイラとAAA(動物介在活動)やAAE(動物介在教育)に出かけたり、<K9ゲーム>に参加してたりとか色々やっててそれ以上増やすと家の事がおろそかになるのがわかってたんでお断りしてました。
そんな風な私なのに、渡米をした今も、職場のボスだった力さんからメールをもらったり、気をかけてくれてたんですよね。
そしたら、職場の理事長さん(女性)が私に会いに来てくれるって!!
理事長の娘さん・・・つまりボスの妹さんになるわけですが・・・がユタ州に住んでいるので毎年アメリカに来ているそうなんです。そして、この度、是非私の生活を見てみたい、と言う運びになったらしいんですよね。
しかし、ユタ州からこの南オレゴンまで車で来ると言うけれどちょっと調べたら早くても13時間はかかるらしい。
途中、スターウォーズのロケにも使われた<レッドウッド国立公園>に寄って宿泊しながら来ると言う事でした。
高校生の男の子3人も一緒なので総勢5人。
うちは色々な事情を考慮するとどうしても二人が精一杯で5人収容はあと数年は無理!
そんな訳で我が家には泊まらなかったけれど、お昼からずっと夕飯まで一緒に過ごしました。

夕飯は、カリフォルニアへ引っ越した友人のMattがたまたまオレゴンに来ていると言うので誘って総勢8人の大人数での夕食。
この人数はここへ来て以来、初めての事。
ミートソースも大目に作ってあったし、理事長の娘さんのSonokoさんが手伝ってくれたのでスムースに事が運んで感謝です。車の運転をずっとしてきて疲れているかもしれないのに、笑顔でテキパキ動いてくれました。
女の人が二人いるって、いいよねぇ・・・って思いながら仕度しました。

理事長とSonokoさんから沢山お土産を頂いたのに、職場でなくてはならない存在のボスの力さんは今回もお留守番にもかかわらず、理事長にお土産を託してくれてくれまたまた感激です。これって、最近海外でも人気が出て来てるウィスキーらしいですね。
本来はOak樽で作られるウィスキー。
でも、このウィスキー ”Ichiro's Malt”Japanese oak (ミズナラ) の樽で作られたものでまさに日本のウィスキーなんですね。
ボトルもおっされぇ~

男の子たちはサトレペパパの薪割りを手伝ったり、Mattに軍仕込みのピストルの打ち方を教わってこの田舎での時間を楽しく過ごしてくれたんじゃないかと思ってます。
Sonokoさんは同じ土地に住んでいるのだからいつかまた会えると信じて、帰り間際にはみんなで記念写真を撮りました。
タイミング良く、ドカ~ンとペーハが邪魔してくれました
是非、また遊びに来て下さいね!


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オレゴンの病院

2015-08-01 19:35:51 | USA事情

オレゴンに来て3年目。

ここの所、40℃越えの気温が続く南オレゴン。
去年の今日がこんなに暑かったかどうか記憶に残ってないけれど、忘れたくても忘れられずに記憶に残っているのが人生初の外科的事故での入院
こう言う時には、健康保険制度がある日本はいいと思うよね。
アメリカには今までそういうものはなかったけれど、「オバマケア」と言うものが登場して今まで、先進国の中で唯一、国民皆保険制度のない国が他国と足並みを揃えたよう・・・だった。
裏事情を知れば色々なマイナス点も出ているようだけど。
日本では滅多ににお世話にならずにいたし、こっちでもそれでいこう・・・なぁんて高をくくっていたら、

人生いろいろ~
ですね。
加入するのを待ってました、とばかりに来たのが救急車騒ぎになった私の怪我。
前に少しブログにも書いたのでご存じの方もいらっしゃるとは思うけれど・・・
去年の6月、ちょっと立ち寄ったシェルターで出会って連れ帰ったワンコ(♀)とサトリの間で小競り合いが起こった。
相性が合わなくて、と言うか人にはとっても従順だったけど、犬との社会性に欠けてたのと、サトリがとてつもない負けず嫌いな性格だった・・・犬用語で言えば所謂 ”ドミナント・ドッグ” ”アルファ” のタイプだったから、とも言えるかも。
3回目に勃発したいさかいは、かなりシビアで、高齢でもたついてきているサトリの後足に噛みついて離さないNew face。ピットブルとシャーペイのMix。 (だと書かれてた)
シェルターでの呼び名は <ハニーサックル・♀>なんて可愛い名前がついてたけど我が家に来た時から ”ピーチ”
そんな時、サトレペパパの留守中に起きたケンカ・・・。
サトリは足を噛まれて痛そうにしていたが、決して悲鳴はあげないもんだからピーチも負けてない。
私はそんなサトリを見ていて、気が付いたら犬のケンカの真っただ中。その時すでに私の左手の中指は骨折をしていたと言うのに

まぁ、そんなこんなで、私は自分でを呼ぶ怪我をしたわけで・・・
アメリカは救急車は有料だとか聞いてたけど、そんな事を気にしている余裕はなかった。
アメリカの緊急の番号は<911>実は日本でも何回か救急車に乗った事はあるのだけど、アメリカに来てまで利用する事になるとは。
やって来た救急車に腰掛けて、生年月日と名前を聞かれたのに管轄が違うからなのか何だかよくわからないまま、救急車を乗り換えて隣町の救急病院へ。
私の指は(きっと)見た目ほど痛みがなく、救急隊の人と軽いおしゃべりなんかをしたりしながら病院へ着いたら、ERの人たちが出て来て病室へ直行!!ここでまた、生年月日と名前の確認
血が苦手は私は、自分で見た訳じゃないけれど。確かに左手の薬指はとんでもない状態になっているはず。
でも、左足にも傷があるのに手当てしてくれないの?
って感じだったけど、チラっと見ただけで、
「大丈夫だね。」
って、言ってる。消毒をするわけでもなく、こちらとしては、足も痛いんですけど・・・・。
そんな事を考えてたら、サトレペパパもやって来て、担当になってたERの人の説明を聞くと、そこの病院から車で1時間くらいかかる南オレゴンで一番大きな街、Medford に 有名な? ”Hand doctor” がいると言うのでそっちへ移送させられるんだってそれでまた、救急車で移動。
ところがその救急車が待てど暮らせど来ない!!
待つ事・・・・何時間だ?この中指はもう使えなくなるんじゃないかと言う不安を抱えながら・・・・・4,5時間位は待ったかな?

何故そんなに時間がかかったか・・・・。
最初に手配した救急車が出動しなかったから・・・。救急車と言っても民間みたいだから、色々裏事情もあるんでしょうね。次に連絡をした所はすぐに来てくれたけれど、はもう夜中の12時を回ってた。

メディカルセンターに着いたら病室も準備されてて、夜勤の看護師さんたちがテキパキと働いていた。
ここでも、生年月日と名前の確認
当然、夜中に<担当になる先生>がいるわけもなく、夜勤の先生が対応してくれてた。
入院した日は何が何だかわからなくて、酸素や血圧をチェックしてくれる女性と私の怪我をケアしてくれる看護師さんと思われる女性が2人いたっけ。
事故後包帯をぐるぐる巻きにされただけで、何の手当てもしてないわけだから、当然痛むわけ。怪我のケア看護師さんが何時間おきかに顔を出して、
「手はどう?1から5までで1が『痛くない』とすると今はどのくらい?」
って聞いてくれるんだけど、そんなのをじっくりと感じている余裕もなく
「『4』くらい」と言うと痛み止めのモルヒネを点滴に注入してくれる。
なるべく使わないようにしようと我慢してみたけど、『4』だと寝られないので結局2回お世話になったかな?

翌朝、目が覚めて病室内を見回したら壁のボードにその日の担当の看護士やアシスタントの名前が書いてあった。
それにトイレもシャワーもついてるし・・・・。よく考えれば個室ではないですか。
救急で入ったから個室になったのか、なんで個室になったのかは未だに謎。
ベッドから見える景色も緑が多くて何か心が落ち着く感じだったな。

これは手術をする所の建物
モルヒネのおかげかなんだか、怪我の痛みをあまり感じなかったので呑気な私だったけど、先生が来ると聞いた時にはちょっと緊張
”Hand doctor” として有名な先生は、確かに一目見てそれらしい雰囲気一杯でした。
私の指を見ると、表情一つ変えずに
「犬に噛まれたんだって?」
「人を噛む犬は嫌いだな。噛まれる人も好きじゃない」 
怪我をしてベッドに寝ている患者なんですけど、私・・・。
「ああ、これはもしかすると先っぽは駄目かもしれないな」<え?私指がなくなるの?>
「もう、フルートとかは吹けないよ。」<え?なんで私がフルート吹くのを知ってるの?>
って、好きな事言ってる先生で
嫌なやつ!
とは思わなかったけど、怖い先生だな、って思った。だけど、病室を出て行く時
「誠心誠意最善を尽くして手術をしますから。何とか指が残るように」
って言ってくれたのはとても励みになった。

事故から2日目、手術は無事に終わり、指はしっかりついてました。
手術当日の朝に一度顔を見に来てくれたのだけど
「お酒を飲むか」とか「タバコを吸うか」とか質問されて
「タバコは吸いません」
ときっぱり言ったら
「私の好きな患者になったな。」
だって!
なぁんだかよくわかんない先生だけど、第1回目の手術から数ヶ月後の1月に指を曲がらなくしている、骨を削る再手術をする事になったんです。
その時は、麻酔も局所麻酔でもいいか、なんて言ってたから
「痛くなくても器具の音とか聞こえるの嫌だから、その前に私をノックアウトして下さい。」
って言ったら結局、麻酔をかける事になったけど、前回のように口からも入れるような大げさなものではなくもっと安全なやり方だから・・・って言われて、その時初めて1回目の手術はそんなに大がかりだったのか、と知った訳です。
確かに、麻酔は軽かったようです。
手術の途中、何回か私を呼ぶ先生の声が聞こえ、ぼんやりと見えた手術室の灯りの中に手術中の先生が私の手を取って指を曲げて
「ほら。90度は曲がるようになったよ!」
って見せてくれて、自分は何か答えたのだけどそのまままた眠ってしまったようでした。

手術後、再度ハンドセラピーのダニーの所へ通い、自力で90度近くまで曲げられるようになった時、先生から
「そろそろ卒業でいいかな?」
と言われ、
「再手術を決意してくれてありがとう。」
って握手を求められました。先生のアドバイスで、先生を信頼してたから再手術をした訳でこっちこそ先生に感謝感謝なのに、しっかり手を握られてそう言われた時は、この先生ともう会えなくなるのが淋しくなりました。
ハンドセラピーをしにずっと担当医のその先生紹介で隣町のクリニックに通ってましたが、担当のダニーは2回目の手術の縫合を見て
「さすが、噂に聞く名医だね。縫合の仕方がとても丁寧だ。」
って褒めてました。先生の2回目の手術の縫合フランケンシュタインモンスターの手ではありません
確かに今はジーッとよく見なければ2回目の手術の跡はわかりません。
接合した指先は見ればわかるし、右中指のように曲がらないけど、今は爪もちゃんと生えてるし、物もつかめるし・・。
私の生涯で初めて外科手術をしてくれた先生は、評判通りの ”ハンドドクター”でした。 

しかし、渡米して以来、色々喋った人たち、顔みしりになった人が病院関係の人たちって言うのもなんだかねぇ・・・・。

今日は、その名医の写真を載せちゃおう。病院の壁に飾ってあった奴だけど。
Absolute best hand doctor Dr. Bengard本物の方がずっといいけど。



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