Oregon on The Breeze ~ サトリの森

Yaplog時代のブログをこちらへ引っ越ししました。

ブルチワ

2009-02-27 13:22:11 | 犬・猫・犬友・動物たち
数日前、久しぶりに以前働いていた会社が入っていた本社ビルに足を踏み入れました。かつては日本で5本の指に入っていたような、大手総合商社だった会社も、私の退職後は、名古屋に本社を置くT社に吸収されてしまったので雰囲気がかなり変わってしまったと聞いていたので足も遠のいていました
代わった後もまだ働いている友人、chiyoちゃんがいるのでランチを一緒にしました。
会社にいた頃と180度違う生活をしている今の私にとっては彼女の話はまた懐かしく、新鮮でもありましたけどね。でも、もう戻りたいとは思いません。

彼女との共通の知り合いに、商社マンから獣医に転職した男性がいます。
彼は今、江東区の方でこれまた私と同様にかつての仕事とはまったく関係のない世界で、忙しい日々を送っているようです。友人のchiyoちゃんは愛の主治医として彼の所をしばしば訪れているようで私と会う数週間前にも会ったみたいでした。

ってその時の彼のあごには痛々しい傷跡が・・・
話を聞くと
「チワワに噛まれた!」
だそうでした。
彼によれば、一番扱いにくい犬種は「チワワ」だとか。
それで、ついに噛まれるまでに至ってしまったみたいです。
私自身も確かにチワワはきつい子が多いとは感じていましたが、あごに噛みついてしばらくぶら下がってたなんて、ブルドッグ張りですよね。
その話をした、派のchiyoちゃんは声をひそめ、

「思うんだけど、チワワの飼い主ってチワワに似てる人多くない?」

とチワワを飼っていた知人の事を言ってるのかな?と思わせる発言をしてました。
長く連れ添った夫婦が似るように、確かにも飼い主に似ると言う話は聞いてますけど・・・。
(と、レイラとサトリの事を考えてみる

そんな話をさらに印象付ける事が、その日の夕方レイラをトリミングに連れて行った時起きました。
いつも行くペットショップは入口にトリミングルームがあります。
あまりハッピーでないレイラを抱きながら中へ入るとトリミングテーブルには口輪をはめられたチワワが
目が合った私に皺をよせた顔を向けていました

ドッグランで会うチワワちゃんたちも、かなり激しい子が多いように感じていたし・・・。
AAA(動物介在活動)やAAE(動物介在教育)で「チワワ」にはあまり会った事がないかも・・・。
更に、獣医からもそう言う発言を聞くとなると、そもそも犬種的にそう言う性質を持っているのかと考えますが、そんな子ばかりでないから・・・・と、言う事はやはり飼い主の問題でしょうか?

自分も小型犬の部類のレイラと暮らしていますがひとくくりに言っちゃえるなら小型犬はよく吠える子、激しい気性怖がりな傾向の子が多いですよね。でも、基本的に小型犬は本能的に自立は出来ないとわかっているので依頼心が強く、警戒心も強い反面、飼い主の環境にも溶け込みやすいと言う話も聞いています。

数か月前までは、レイラとサトリを散歩させている時に
「触っていいですか?」
と声をかけてくれる人たちに(顔はあどけないですが・・)
「小さいのはやめた方がいいですけど、大きい方はいいですよ。」

(大きい方ですと言うと犬と暮らしてない方たちも
「大きい犬の方がおとないいんですよね。」
ってサトリをなぜて下さいます。

でも、最近のレイラは変わったんですよ。以前は決して自分から知らない人には寄りつこうとしなかったのに、尻尾をふりふりそばへ行くんです。かと言って誰にでもなぜてもらうって訳でなく、選んでいるようですが・・・
これも、月に2,3回参加するAAA活動のおかげだと思ってます。
もちろん、飼い主側の努力もありますよ。
私は、・・・・・闘犬は別として・・・・弱虫ちゃん怒りんぼさんシニアさんも飼い主の忍耐と周りの協力があっていい子になる事は可能だと信じています。

K9ゲーム仲間のYさんが
「レイラの変わり様を見てなかったら、ナッツ(シュナMix)を引き取ってなかった。」
と言ってくれていました。私が近づいただけで上目づかいで固まってしまってた、ナッツですが、Yさんの努力も実って数カ月後にはしっぽを振って寄ってきてくれたりするようになったんです。

私の見解ですが、小型犬は多少問題があっても女性でもなんとか出来ちゃうから(抱いちゃうとか、強く引っ張り寄せるとか)問題行動を問題と認識しない人が多いのでしょうかしら
大型犬はそうはいきませんよ。
サトリと一緒の私を見かけたと言う、今の職場で一緒の「ご主人」が連れていたのが私と知らずに
「女性があんな大きなシェパードをよく散歩させてるなぁ」
と感心してくれてたようです。
知らない方にも、サトリはおとなしいとよく言われますが、(無謀にも)夫婦で初めて飼う大型犬がシェパード系しかも、だった私の奮闘がどんなだったかご想像下さい。

色々な外国のドッグトレーナーのセミナーにも出ました
家庭犬トレーナー養成の講座も取りました
サトリのトレーニングについてはまた別の機会にお話しするとして・・・。

小型犬でもです。
人間と幸せに共生して行く為に必要なマナーはしっかり教えてあげて下さい。
ましてや、
「チワワちゃん!あなたは可愛いのですから、人間の顎にかみついて放れないなんて言う、闘犬の真似ごとはやめましょうね

それとファイトマンマンの「ブルチワ」ちゃんのような性格の子が繁殖に使われるとあきらかにその血を引いた子犬が産まれるわけですよね
安易な気持ちで
「自分の飼っている子の子供がみたいから繁殖させたい。」とおっしゃってる飼い主さんが結構いっらっしゃる事も事実です。
不幸な子を増やさないためにも人間の自己満足の為に不適切な繁殖をしないでもらいたいと切に願います。

(かしこまって)私も、引き続きレイラのトレーニングに日々精進してまいりたいと思いますmama記)

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誰かに迎えられて・・・・・・

2009-02-18 21:55:47 | Family
「死者は生者を走らすべからず」
かねてよりそう言っていた父が2009年1月8日に80有余年の生涯を閉じた

『骨髄異形成症候群』と言う難病の為、1年に数回輸血をしなくてはならなかったが、趣味の俳句の集まりに出かけたり、散歩に出たり定年退職後の生活を満喫していた、と思う。
私と父と言えば、確か私が30代だったと思うけど、「アルファの位置(?)」が交代した時から、父が私に気を遣うようになった気がしないでもないが

今でも忘れない。
私が小学校3年生だった頃、友人が
「今夜は、お父さん遅いから夕飯は一緒じゃないんだ。」
と言っていたのを聞いてびっくりした。
父は会社一筋の商社マンで朝早く出勤し、帰宅はいつも深夜だったので、父親と一緒に夕食をとるなんて、考えてもいなかったからだ。

父の退職後も家で会っても挨拶を交わすくらいだったし、をかけて父が出ると母が電話口に出ないのは留守なのか、と尋ねてたし、極めて薄い存在
子供心に、を守り、自分を育ててくれたのは母親だと思ってきたから、父の最後の日となったその日も、医師から
「会わせたい人がいたら会わせておいて」
と言われてはいたものの、意識もしっかりしていたし、駅前に置いてきたも気になってたし、適当なところで帰ろうと思っていたくらいだった。

けれど、看病疲れで家へ帰らざるを得なかった母親が
「みんな帰っちゃって、誰もいなくなるけれど大丈夫よね?」
「明日は早く来るからね。大丈夫よね。」
と後ろ髪を引かれるように父に話すのを見て母の為に私が今夜は病院へ残ってあげようと思っただけだった。
でも、そう声をかける母の問いかけにいつものように
「大丈夫だよ。」
と、うなずかなかった父の事も気になり、
「父親のそばにいなさい。」
と言う、心の声に従ったのもあったけど・・・。

2008年の11月に去年3回目の入院をしてから、口から十分な栄養が取れなくなってたので点滴に頼るその手足は黒ずんで、むくんでいたし、肺には半分くらいの水が溜まっていると言う。肺の水がもっと増えれば溺死するのと同じ苦しみを味わう事になる。
しかし、水を抜くという事は同時に栄養も捨ててしまうと言う意味になるので医師はそれは避けたいと言っていた。たんのせいで、喉がゼロゼロと音をたてる。酸素吸入も時には邪魔そうだった。
健常者から見れば辛そうなのに
「苦しくない?」
と聞いても父はゆっくりと、首を横に振って目を閉じていた。

母も従姉も帰った病室に私と父がいた
私とイヤホンで音楽を聴いた。
少しして、体を自分で動かす力もなかった父が2回、天井に向かって力いっぱい手を伸ばした。
「何か見えたの?」
とそばに走り寄ると父は、目を大きく見開き一点を見つめてしっかりうなずいた。

しかし、3度目の手を伸ばした時には、まばたきもせずに、小刻みに息をしていた。
結局、2時間ほど前に帰った母を待つことなく、医者の
「心拍数10です。」
の声と同時に、父は眠るように目を閉じた。
そして、数分後、医者が父のspirit肉体を離れて行った事を伝えてくれた
22:20だった。

医者もびっくりするくらいに、最後まで意識をしっかり持ち、心臓が止まると同時に本当に安らかに眠るように逝ってしまった
私は、こみあげるものがあったけど、泣かなかった。
感慨深いものがなかったわけではない。でも、父が最期にない力をふりしぼって誰かに手を伸ばした時、きっと誰かが迎えに来てくれたんだ・・・そう思うと
「よかったね。」
と言う安堵の気持ちの方が強かった。

結局、通夜と告別式には、本当に父の最後のお別れをしたいと言う方たちが参列してくれた。
「あんな状態でいながらに安らかに旅立ったのも、毎日かかさず真言を唱えていたからだ」
と母は言っている。

私は父の逝去がきっかけで、ご無沙汰だった友人たちと再会する事が出来た。


長い間、お疲れ様だったね。先に逝ってしまった、兄弟や両親たちと安らかに・・・(10年以上前にUFOキャッチャーで取った父にそっくりの人形をあげたらずっと部屋に飾ってました。今は我が家で暮らしています)



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