すごい地震でした
初めはこんな大災害になるとは思わず、仕事をしていましたが、オフィスの窓際にディスプレイしてあったバイクも2台倒れてきて大きな棚も倒れそうになり、慌てて外へ
向かいの歯医者さんも患者さんと先生、衛生士さんがそのままの姿で出てきました。
会社近くのショッピングセンターの駐車場は火災報知機が作動してビルから白い煙のように水しぶきを上げ、道路は泡泡状態に
すっかり会社は停電で何もできなくなってしまいました。
実は月曜にお店をオープンする準備をしていました。社内は入荷した商品がてんこ盛り。。。検品とディスプレイをしなくてはいけません。
やることは山のようにあるのですが、PCも使えず、暖房も切れてしまい、寒いっ
横浜市営地下鉄の復旧は見込めず、駅前はバスを待つ人が溢れています。やむを得ず走って帰ることにしました
ホントは今朝、結構走っていたのでもう走りたくなかったのですが、仕方ありません。
最低限の荷物・・・片手に携帯と財布、右手に会社と家の鍵だけ持って走ります。
以前、自宅の目黒がら実家の八王子まで何度か走って帰ったことがあります。
父と母には「私は被災したときには走って帰れるからね。」。。。。と伝えていました。でも、まさか本当にこんなふううに走って帰宅することになるなんて
とりあえず、自宅まで約20kmを走り始めました。。。
遠路慣れない徒歩で帰宅する人で歩道が溢れています。
みんな東京方面から横浜に向かってくるので、私は逆流。。。 幹線道路でも近辺のマンションや店舗も停電で車のライトしか明かりの頼りとなりません。足元が暗く、前方が見えにくいのにみんな携帯を見ながら下を見ながら歩いていてぶつかりそうです。
川崎高津区辺りの246に出たときは立体交差の車道を歩く人も。 アブナイ
暗いだけでなく、みんなどこを歩いていいのか分からないのです。
私はバイク通勤もしている慣れた道なので、どこを迂回しないと歩道を歩けないとか分かりますが、、、中には自宅までの道も分からなず道を尋ねる人もいます。
何だか今の状況が信じられないでいます
阪神大震災の時、私はオーストラリア在住だったのでこの地震パニック状態の日本を知りません。
両親とも連絡が取れないので、お疲れだった脚だけど、緊急事態では言うことを聞くのか、急ピッチで走り続けます
今朝、走った公園をこんな気持ちで走って帰ることになるとは思いもよらず、公園を横切り、自宅に到着。
家は停電ではなかったぁ。。。。よかった
実家に電話しても変わらず連絡とれず、、、腹ペコで家にあったものを食べながら電話を掛け続け。。。。やっと父と連絡が取れました
「ママが帰って来ない。。。」
「えっ?!どこに行ったの?」
そう、今日は祖父の命日。お墓参りに行ったに違いない。。。。
母の携帯はずっと繋がりません。
心配で眠れません。。。無事だといいのだけど。。。。
明日は仕事ですが、万一のときはまた走って帰れるようにアイシングしながら横になって6時間経過。。。。そして、もう朝じゃないっ!!
ママ、何処にいるの?