昨日は、℃-uteの舞台「あたるも八卦!?」の千秋楽でした。私は土曜日に一回観てきましたが、その一回で感じた事をいくつか綴ってみたいと思います。二回以上観たら、また感想も変わってくる部分もあるかもしれませんが、一回しか観ていない者としての率直な感想です。
始めに断っておきますが、今から書く感想は個人や団体を非難するものではありません。今後の事も含めて、℃-uteに良いステージを作ってほしいという気持ちからの意見と受け止めてほしいと思います。
まず、ストーリーですが、こんな感じでした。
「占いの館にやってきた女子高生。
そこには彼女たちの知らない様々な人間模様があった。
さぁ、彼女たちの今日の運勢は?!・・・
あなたは占いを信じますか? 」
占いに没頭する先生が占い師の助言を受けて、恋愛成就のために学校を辞めて失踪する。先生を探して学校を辞めないよう説得する生徒達(℃-ute)。
過去二回の℃-ute舞台は舞美ちゃんが主役と言えるポジションでしたが、今回の主役は℃-uteメンバーではなく、話の流れ的には先生が主役という感じです。その先生を慕って説得にあたる生徒達、つまり℃-uteメンバーですが、各メンバーとも特に突出した役割を与えられているメンバーはいません。
その℃-uteメンバー演じる女の子達も、普段我々ヲタが慣れ親しんでいる℃-uteのキャラクターイメージを当てはめたかのような役どころになっています。愛理もブログで、今までで一番自分に近い役だと書いていました。
実際のキャラに近い役を、ストーリー中の随所にあるコメディシーンで演じる℃-ute。そういう断片的な面白さ、言い換えれば℃-uteの可愛さはバッチリでした。周りを固める俳優さん達も個性的な方が揃っているので、部分部分では面白い。というか楽しい。
だけれど、ストーリーが数行で説明がつくようなものである上に、伏線が色々張られている訳でもないので、これらの楽しい筈のコメディシーンが見終えた後に「一体なんだったんだろう」と、非常に蛇足なものであるように思えました。
いや、岡井ちゃんが「ベントラー、ベントラー」と唱えながらUFOを呼ぼうとするシーン、クライマックスでの愛理の悲しげな佇まいと、そんな愛理の肩にそっと手を置く梅さんの優しい雰囲気。先生を占うシーンでのなっきぃの可愛さ。などなど細かい見所はあるのですが、結局は先生が話の軸である以上、ストーリー的には℃-uteが飾りになってしまっているような印象になってしまいました。
これが、先生役を℃-uteが務める、或いは生徒の誰かが占いに翻弄されるストーリーであったなら、印象も変わってきたのではないかと思うのです。
この舞台は℃-uteが座長である以上は、やはり℃-uteがメインであるべきで、その℃-uteを盛り立てながらも個性を発揮するのが共演俳優の方々の役割なのではないかと、私は思う訳でした。
℃-uteが主役ではない。となると、℃-uteメンバーは劇中で目立っていなかったのかと言えば、実はそんな事はなく、土曜日の記事にも書いたように各メンバーの持つ可愛らしさが活かされて、表情やしぐさなどに惹かれるシーンは何度もありました。
やじうめの親密な雰囲気、愛理の繊細さ、なっきぃの仕草、岡井ちゃんのユーモア溢れる動き、マイマイの立ち姿、これらのシーンはDVDでもう一度確認したくなるものでした。
ストーリー的には薄いが、その分をメンバーのキャラを前面に押し出したコメディシーンや、ちょっとしたワンシーンを入れる事でヲタを満足させる。アイドル舞台としては、これが正解なのかもと思いながら、どこか腑に落ちない気分。
、前作(携帯小説家)では、前半のコメディタッチのシーンは好評であったのに対して、後半のシリアスなシーンは不評で、特に作家先生が編集人と口論するシーンは℃-uteが添え物になっていたため、℃-uteをちゃんと活かせ!という批判が多く聞かれたものです。
そこで今回は色々と脚本・構成などに、事務所サイドから今まで以上に注文があった可能性も考えられます。事実、脚本に色々と手直しがあった事を演出の川原さんが書いています。
もしかすると、℃-uteメンバーからは主役的立場の子を作らなかったのも、何らかの事情があるのかもしれません。ヲタの間で配役や出番の量などの事で論争が起こるのを危惧しての事だったら。それはないか(苦笑)。
前作の携帯小説家では自分なりに作り手のメッセージを考え、それを記事に書きましたが、今回はどのようなメッセージが込められているのだろう?その辺りも念頭に置きながら観ていました。
「占いに振り回される」という先生の姿を通じて、周りの言葉や態度に振り回される事なく、自分の考えをしっかり持った大人になってほしい。そんなメッセージを℃-uteメンバー、或いはこの舞台を観に来た℃-uteと同世代の人達に伝えたいのではないだろうか?まずはそのように考えました。これは、まあありきたりな捉え方かもしれません。
そして、クライマックスでの、先生に復帰をお願いする℃-ute達が先生を占うシーン。まず、なっきぃが後ろに立って占いを始め、先生は自分達にとって必要な存在であると伝えるのですが、自分には優しい瞳と笑顔で占いを行うなっきぃを観ていたら、先生=栞菜にダブって見えてきました。先生の着ている服は赤。
なっきぃに続いて一人ずつ占いをしていくのですが、栞菜と親しいメンバー、梅さんや愛理は特に時間が長い。やはり「先生=栞菜」なのだと勝手に解釈し、これは栞菜へのメッセージなのだと受けとりました。
いや、おまえの解釈は栞菜ヲタの勝手な結び付けだと言われてしまえばそれまでですが、そう深く解釈(?)していけば、一見単純で淡白に感じたストーリーも感じ方が変わってきます。正解は何でしょうか?
正解は観た人の心の中に何通りもあるのが、舞台であるのかもしれません。それを踏まえた上で、次回に向けて一つだけお願いをするなら、次回はもっと「脱アイドル舞台」でお願いしたいです。アイドル的萌え要素も残しつつ、もう少しストーリーや演出に見入ってしまうようなものをお願いします。「ヲタはメンバーが出ていれば、それでいいんだろう」的なものではなく、演じるメンバーももっとのめり込んで素が消えてしまうような、そんな舞台をお願いします。これは、劇団に対してというより、事務所に対して言いたい事です。
始めに断っておきますが、今から書く感想は個人や団体を非難するものではありません。今後の事も含めて、℃-uteに良いステージを作ってほしいという気持ちからの意見と受け止めてほしいと思います。
まず、ストーリーですが、こんな感じでした。
「占いの館にやってきた女子高生。
そこには彼女たちの知らない様々な人間模様があった。
さぁ、彼女たちの今日の運勢は?!・・・
あなたは占いを信じますか? 」
占いに没頭する先生が占い師の助言を受けて、恋愛成就のために学校を辞めて失踪する。先生を探して学校を辞めないよう説得する生徒達(℃-ute)。
過去二回の℃-ute舞台は舞美ちゃんが主役と言えるポジションでしたが、今回の主役は℃-uteメンバーではなく、話の流れ的には先生が主役という感じです。その先生を慕って説得にあたる生徒達、つまり℃-uteメンバーですが、各メンバーとも特に突出した役割を与えられているメンバーはいません。
その℃-uteメンバー演じる女の子達も、普段我々ヲタが慣れ親しんでいる℃-uteのキャラクターイメージを当てはめたかのような役どころになっています。愛理もブログで、今までで一番自分に近い役だと書いていました。
実際のキャラに近い役を、ストーリー中の随所にあるコメディシーンで演じる℃-ute。そういう断片的な面白さ、言い換えれば℃-uteの可愛さはバッチリでした。周りを固める俳優さん達も個性的な方が揃っているので、部分部分では面白い。というか楽しい。
だけれど、ストーリーが数行で説明がつくようなものである上に、伏線が色々張られている訳でもないので、これらの楽しい筈のコメディシーンが見終えた後に「一体なんだったんだろう」と、非常に蛇足なものであるように思えました。
いや、岡井ちゃんが「ベントラー、ベントラー」と唱えながらUFOを呼ぼうとするシーン、クライマックスでの愛理の悲しげな佇まいと、そんな愛理の肩にそっと手を置く梅さんの優しい雰囲気。先生を占うシーンでのなっきぃの可愛さ。などなど細かい見所はあるのですが、結局は先生が話の軸である以上、ストーリー的には℃-uteが飾りになってしまっているような印象になってしまいました。
これが、先生役を℃-uteが務める、或いは生徒の誰かが占いに翻弄されるストーリーであったなら、印象も変わってきたのではないかと思うのです。
この舞台は℃-uteが座長である以上は、やはり℃-uteがメインであるべきで、その℃-uteを盛り立てながらも個性を発揮するのが共演俳優の方々の役割なのではないかと、私は思う訳でした。
℃-uteが主役ではない。となると、℃-uteメンバーは劇中で目立っていなかったのかと言えば、実はそんな事はなく、土曜日の記事にも書いたように各メンバーの持つ可愛らしさが活かされて、表情やしぐさなどに惹かれるシーンは何度もありました。
やじうめの親密な雰囲気、愛理の繊細さ、なっきぃの仕草、岡井ちゃんのユーモア溢れる動き、マイマイの立ち姿、これらのシーンはDVDでもう一度確認したくなるものでした。
ストーリー的には薄いが、その分をメンバーのキャラを前面に押し出したコメディシーンや、ちょっとしたワンシーンを入れる事でヲタを満足させる。アイドル舞台としては、これが正解なのかもと思いながら、どこか腑に落ちない気分。
、前作(携帯小説家)では、前半のコメディタッチのシーンは好評であったのに対して、後半のシリアスなシーンは不評で、特に作家先生が編集人と口論するシーンは℃-uteが添え物になっていたため、℃-uteをちゃんと活かせ!という批判が多く聞かれたものです。
そこで今回は色々と脚本・構成などに、事務所サイドから今まで以上に注文があった可能性も考えられます。事実、脚本に色々と手直しがあった事を演出の川原さんが書いています。
もしかすると、℃-uteメンバーからは主役的立場の子を作らなかったのも、何らかの事情があるのかもしれません。ヲタの間で配役や出番の量などの事で論争が起こるのを危惧しての事だったら。それはないか(苦笑)。
前作の携帯小説家では自分なりに作り手のメッセージを考え、それを記事に書きましたが、今回はどのようなメッセージが込められているのだろう?その辺りも念頭に置きながら観ていました。
「占いに振り回される」という先生の姿を通じて、周りの言葉や態度に振り回される事なく、自分の考えをしっかり持った大人になってほしい。そんなメッセージを℃-uteメンバー、或いはこの舞台を観に来た℃-uteと同世代の人達に伝えたいのではないだろうか?まずはそのように考えました。これは、まあありきたりな捉え方かもしれません。
そして、クライマックスでの、先生に復帰をお願いする℃-ute達が先生を占うシーン。まず、なっきぃが後ろに立って占いを始め、先生は自分達にとって必要な存在であると伝えるのですが、自分には優しい瞳と笑顔で占いを行うなっきぃを観ていたら、先生=栞菜にダブって見えてきました。先生の着ている服は赤。
なっきぃに続いて一人ずつ占いをしていくのですが、栞菜と親しいメンバー、梅さんや愛理は特に時間が長い。やはり「先生=栞菜」なのだと勝手に解釈し、これは栞菜へのメッセージなのだと受けとりました。
いや、おまえの解釈は栞菜ヲタの勝手な結び付けだと言われてしまえばそれまでですが、そう深く解釈(?)していけば、一見単純で淡白に感じたストーリーも感じ方が変わってきます。正解は何でしょうか?
正解は観た人の心の中に何通りもあるのが、舞台であるのかもしれません。それを踏まえた上で、次回に向けて一つだけお願いをするなら、次回はもっと「脱アイドル舞台」でお願いしたいです。アイドル的萌え要素も残しつつ、もう少しストーリーや演出に見入ってしまうようなものをお願いします。「ヲタはメンバーが出ていれば、それでいいんだろう」的なものではなく、演じるメンバーももっとのめり込んで素が消えてしまうような、そんな舞台をお願いします。これは、劇団に対してというより、事務所に対して言いたい事です。
記事とは、関係あまりないのですが。
舞台役者ではないので、仕方ないのは、解るのですが、℃‐uteメンバーの声が小さくて、聞き取れない台詞があって、
毎回印象が薄くなってしまいます。〓で確認して改めて納得することも多いのです。真冬の寝る子はキュートもでした。
何とか℃‐uteだけマイクのボリューム上げられないものですかね、
(´Д`)
脱アイドルというのも気になりますが自分はストーリーをもって現実的にして欲しいと思っています。今回 見に行かなかなかった理由は金銭の問題ですがストーリーが現実離れしすぎて見る機が起きないことでした。まぁ ハロプロに現実的なストーリーを求めること事態難しい感じますが(汗
前回の寝る℃はともかく 携帯小説家やベリの舞台内容が微妙なものです。この際、おじぎ みたいな舞台もベリキューメンバーにも味わってもらいたいなと密かに感じました。
実際なかなか現場にいけない自分のような輩は℃-uteを見に行くことが半年に一回ぐらいのペースなので現場に行く目的はただ℃-uteを見に行くことだけであって℃-uteの魅力が伝わってくればOKです。
ストーリーが良いに越したことはありませんが脚本が出しゃばりすぎて℃-uteの魅力をスポイルすることがあるようであればそれは自分の本意ではないです。
前回の携帯小説家がそうでした。岡井ちゃんがミクシーに書いちゃって悪者になるような設定は自分ははっきりいって不満でした。
寝る℃や八卦みたいに℃メンのキャラを生かした配役ならば自分のような輩を最低限満足させてくれる出来にはなります。なぜなら℃-uteメンはそのままが一番魅力的だと自分は思うからです。自分はそれで十分満足ですが、脚本に+αを求める方はそれでは物足りなく感じるのでしょう。
ただ一方で失敗のリスクも高くなるような気がします。
>GABUさん
自分も同じ事を感じていたので、6/23の記事にその事を書きました。
マイク音量も勿論ですが、℃メンバーにも頑張って声量をつけてほしいなと思っています。いつも元気な彼女達ですから、ちょっとコツをつかめば大丈夫?なハズ。
>Jasmine029さん
私も今回のストーリーは、観に行く前にいつもほど楽しみになれるものではありませんでした。
どうせなら、「リボンの騎士」みたいな現実の℃-uteから離れたキャラで観てみたいというのもあります。
ベリはいつも非現実なストーリーなので、次こそは現実的な学園ものを希望します。
現実、非現実、メンバーにとっては、どちらが演じていて楽しいのか気になりますね。
>一フリさん
なるほど。現場にあまり足を運ぶ機会のない人にとっては、それは大切かもしれませんね。作り手の方も、その辺も色々考えているのでしょうね。
自分としては、舞台はコンサートでは観られない℃-uteの魅力を、作り手の方々に引き出してほしいと思っています。例えば、「リボンの騎士」では、チャーミーキャラとは180度違うキャラである王子役を石川さんが演じ、それが格好良かったのです。
℃-uteでも、愛理ちゃんやなっきぃが男前なカッコイイ役とか、舞美ちゃんが可愛いお姫様的なキャラとか、そういういつもと違う良さを観てみたいなと思いました。
でも、冒険し過ぎて失敗は、勿論論外ですね。