早速、録画しておいた映像を見てみました。「愛理キャワッ!」ネットから拾ってきた画像を貼ってみましたが、いかがですか?勿論、歌も歌えているし、今回は愛理バンザイで記事を書くか!と思っていたのですが、見終えてみるとちょっと気持ちが変わりました。
番組を見終えたあと、ちょっと考えてしまいました。上手い事は上手いのだろうけど、無難な出来というか何かが足りない。足りないというか、何か心に残らない。カワイイという感情とインパクトは残ったのだけれど…。まあ、アイドルなのだから、それで充分だし、それで良いのかもと思うけれど、愛理はもっと出来る子だと思う。
心に残るという点に於いては、菅谷梨沙子が歌った「ひと夏の経験」の方が心に残りました。梨沙子の無自覚エロス(笑)に注目したと思われるスタッフの、あざとい作戦に乗っかったと言えばそれまでですが、おそらく何も考えずにあの曲の歌詞を淡々と、しかし声には低音な魅力を乗せて歌う梨沙子の姿には、正直言って軽い動揺を隠せませんでした。あれを見たクラスメイトはその夜、寝つけなかったに違いない。
梨沙子は歌詞の意味なんて多分考えずに歌い、それが成功(?)した訳ですが、愛理はシングルベッドの歌詞をどこまで理解して歌ったのだろう?
歌う姿を見て、ああ歌えているなとは思ったけど心に響かなかったのは、やはり歌に気持ちが乗せ切れていないからだと思うのです。愛理は賢い子で、色々考えている子みたいだから、きっと渡された歌詞を読みながら自分なりに歌詞の意味を解釈し、それを歌に反映させたとは思うのです。愛理はそのくらいの事をする子だと思うし。
でも、いくら理解しようと思っても、歌詞は成人の男が思い入れたっぷりに綴った歌詞。亨ちゃんなら気持ちはわかるかもしれませんが、愛理には酷ってモンでしょう。これは責められない。だから、愛理がしっかり歌えば歌うほどに、なんとなく「歌わされてる感」が漂ってきたのです。身近なものに例えるなら、音楽の授業で自分の生まれる前のよくわからない昔の歌を課題曲で歌わされているような感覚。
愛理は確かに歌える子なのでしょうが、自分の持っている技巧の枠の中に落ち着いてしまっている感じを常々感じていました。バラードとかはそつなくこなすけれど、得意分野が広くないような気がするのです。弾けるような曲は割と苦手のように見えるのです。℃-uteシングルでは歌っていますが、ソロで弾け系な曲を歌っている姿がうまくイメージ出来ない。
それを思うと、せっかくテレビでソロ歌唱する機会だったのだから、コンサートのソロコーナーでもやっている得意ジャンル「バラード」ではなく、弾け系で行って欲しかった気がしました。番組を見終えたあとの物足りなさというか、心の引っかかりの無さは、選曲への不満だったのか!
愛理が明るく弾けた曲を歌っている姿を見てみたい。
今回は曲が師匠(?)つんく絡みの曲とあって、愛理も余計なプレッシャーがあったのかもしれないし、そのあたりの影響が、全体を通して漂っていた無難な感じに繋がっていたのかもしれません。次回…いつになるかわかりませんが、こういう機会があったら、一人で弾ける愛理が見てみたいです。