6月30日に開催されました標記公認100キロマラソンに優勝という大きな目標をもって五郎谷選手が出場致しました。
マスコミにも取り上げて頂き、様々商品サポートも受け、計画的な練習もして参りましたが、五郎谷に勝る実力ある選手たちの前半からのハイペースの中で完全に、翻弄されてしまいました。
ご声援下さった皆様には、申し訳ございません。
兼ねてより、本人が社の100周年に華を添えたいという希望から100キロマラソンへの挑戦を希望していました。そんなことから、今回は自費、帯同も自費という形でわがままを通して頂き参加となりました。
結果
28位 五郎谷選手 8時間12分34秒
レースは1キロ3:45前後を予定し、練習してきましたが、入りの10キロを34:58で集団が入り、5キロでは遅れをとりながらも10キロでおいつく展開。30キロでは先頭は1時間46分、単独5位を走る五郎谷も1時間47分で通過。
この時点では、あとは4分で刻め!という指示にも「はい」とこたえられていましたが、40キロを2時間25分で通過した段階で返事なし。私は「前半の疲労がやばいかな」と感じました。
その後2時間35分でマラソンを通過したあと、GPSがとまってしまい、55キロでいくら待っても、五郎谷より後ろにいた選手しかこない。これは、棄権かな?と考えて、収用車はゴール地点へ帰ることから、わたしもレンタカーをゴールへと走らせはじめました。
するとネットで、再び五郎谷が走り始めたと掲載され、再び65キロ地点へもどり、まちました。
もう順位は関係ない。来年、世界選手権予選を兼ねる今大会でコース全体をしること、この一回とまってしまったとこから残りの60キロをどう走るか、すべてが彼の将来に続くと考えて、この先、富士登山競走もありますが、あえて檄をとばし、何度も必ず完走するようにつたえました。
辞めさせる判断もありましたが、100㎞は出場するとスタートに並ぶこと、そして、完走することこそ意義があるという思いから続行させました。大丈夫か?という声は一切かけずに・・・
サロマ湖のコースは、80~98キロにかけて、まるでクロスカントリーコースのようなきついアップダウンが18キロつづくコースがあります。そこに車は入れないので、80キロでそこへ入っていく姿を見届けたあと、ゴールで五郎谷選手のGPS情報をみながは、「うごいてるな」と確認しながら待っていました。
ゴールで待ち続けた光景
優勝は、元自衛隊体育学校で駅伝でも活躍し、いまは、100キロマラソンで日本代表選手として活躍する板垣選手、つづいてスズキ浜松アスリートクラブの現役選手、三位には世界選手権2連覇中の山内選手が100キロはしってきたとは思えない僅差で次々とゴール、その後もこの春、実業団をあがったばかりの実力者、愛知製鋼の選手などが次々と五郎谷が目指していたような走りでゴール。
待つこと、約1時間30分。五郎谷が必死の形相でかえってきました。
ゴール後座り込み、悔しさを語る五郎谷選手。その目はすでに来年へのリベンジをみていました。
私も100キロ経験者。これだけは、言えます。100キロの後半は、筋肉痛やあちこち意味のわからかい痛みとの連続。駅伝やマラソンも他のチームはもちろん、自身との戦いでもありますが、100キロほど、自身との戦いはないと思います。
これは距離が長いからキツイということではありません。
競技者なら無理ではないペースを誰もができないくらい維持する競技だからです。
フルマラソンのトップランナーは高校生のインターハイに行くような各都道府県の5000mのチャンピオンくらいのペースを刻みます。しかし100㎞のトップランナーは現在、日本人であり、そのペースは今回、ハイペースといっても5キロ17分30秒前後のペース。男性競技者ならば5000mは難しくても1㎞3分30秒はがんばればなんとかなるペース。
いわば、決してペースは無理なペースではないからです。
しかしながら、脳が先に無理だ、きついと指令を出します。ペース的に呼吸は乱れないはずなのに、声にでる呼吸。吠えたくなる心境。そうです。やる気に満ち、脳が体をうごかせといえば動く競技です。
五郎谷選手の後半は腕降りも小さく、足もあがらかい状態でしたが、なんとかキロ平均5分は切れて完走できました。
一度とまってしまい、20名以上かわされ25位から再出発。ゴール時、28位。
今回の1番の要因は練習では一度もなかったサシコミが40㎞すぐに起きてしまい42㎞すぎで痛みが限界になって
しまったということでした。自身が考えていた以上に今回のレースに向け、知らず知らずの内にプレッシャーがあったのだと思います。
この状況。アスリートであれば、これだけペースダウンして競技をしたことはなかったかもしれません。
彼は、100キロの練習を理由にみんなとのポイントを回避することなく、チーム練習にもできるだけ入りこなしました。
監督として、実業団選手としては、誉めらた結果ではありませんが、ねぎらいたい気持ちでいっぱいです。
かれの目は、すでに来年に向いていました。
ご家族も石川県から応援に来てくださいました。
今回は実業団選手ではありますが自費参加ということで、甘いというコメントを頂くのは承知でいいます。
スポーツを通じて、社会に出た息子を中心に家族が1つになる日が1年に一回でもあるって、結果云々よりも素敵なことですよね。
これが、もっともっと全社員などに広がっていく陸上競技部になるには、もっともっとチームがストイックになるしかありません。