とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

法華経堤防決壊

2011-02-25 23:40:56 | 日記
法華経堤防決壊


 昭和9年9月、斐伊川支流の新川が、旧直江村法華経堤防決壊のために氾濫し、下流域の直江村、荘原村に大被害をもたらした。次の写真は、その決壊箇所に建てられた法華塔である。撮影は昭和48年。



 『斐川町史』によると、その時の水害の模様を次のように記している。


 9月21日朝紀淡海峡を襲った台風は西日本全域に大きな被害を与え、・・・斐伊川水系では続々被害が出はじめた。出西阿宮地区でも本流の決壊が10か所以上に及び、・・・洪水量のほとんどが新川に流入することになって午前8時ごろから各所で堤防決壊の危険が生じた。そして午前11時直江村の法華経堤防が切れた。洪水は直江村結地区を走って、山陰線の築堤で一時せきとめられたが、まもなく荘原村の吉成地区湾曲部でこれを破壊して、上庄原、ついで下庄原へと押し寄せた。

23日正午現在で県がまとめた被害は、橋梁流失破損170、堤防決壊破損513、道路崩壊982、・・・家屋浸水5132、死者16、・・・被害見込み総額は1000万円に達した(県全体の被害の総計)。このときの雨量は19日午後から20日にかけて出雲東部で360ミリに及んだと記されている。
 この水害が新川廃川を決断させる大きなきっかけとなった。