嫉妬

赤ん坊を世話するムーア人の女性(1850年制作 ルーヴル蔵) (テオドール・シャセリオー・1819-1856)
私は京子さんのその後のことがいつも頭から離れません。このシャセリオーなどの絵を見ていてもこういう感じかなあと思ったりしていました。それから絵は描けたのだろうかという心配も頭を擡げてきました。
ところへ、古賀画伯から電話がありました。
いえね、私はあの家族には会わないつもりでしたが、やはり家族や絵のことが気になりましてね、実は今日覗いてみました。
そりゃ、ありがとうございます。
長柄さんにも二人の様子をお知らせしましたが、どうも最初は二人はお互いぎくしゃくして旨くいかなかったみたいです。
いや、私も出すぎたことをしました。
いえいえ、その点では私も同じです。
で、どんなでしたか。
嫉妬ですね。
えっ、嫉妬 ?
そうです。
ど、とういうことです。
嫉妬と言いますか、これは私の言葉ですけれど、代行嫉妬という・・・。
代行嫉妬 ?
どう説明したら分かっていただけるか・・・。実はですね、私がアトリエの様子を見させていただいたとき、描きかけの20号くらいの絵がイーゼルに立て掛けてありました。母子像ではなくて、一人だけの人物像でした。ああ、始まってますねと言うと、佐山さんはうかない顔つきでした。どうしたんですかと聞きますと、モデルの機嫌が悪くてとか言って相当不満のようでした。どうも、京子さんは佐山さんとのいままでのいざこざのしこりをひきずっている感じでした。
そうですか、やっぱり。
私は絵の描線が今までとは随分違うことに気が付いていましたから、こりゃ本物だと思いました。それで大きな賭けをしました。
賭け ?
そうです、賭けです。
どんな賭けですか。
いやね、私が頼んだんです、モデルになってくださいと。
古賀さんの絵のモデルですか。
そうです。私は京子さんとは初対面でしたが、何か直感的にグッと迫ってくるものを感じていました。いや、あくまで画家としての感覚です。佐山さんの絵は母子像でない方がいいとも思いました。一人の方がいい。これはあくまで個人的な実感です。それでモデルを唐突に頼んだ形になりました。・・・私は京子さんの言葉を待ちました。
で、どうだったのですか。
貴方の画風は私も存じ上げておりますが、私は貴方の絵のモデルとしてはふさわしくありません。私の人物画は私が決めた画家に描いて貰いたいです。・・・そう仰ったんですよ。それで、その画家はどなたですか、と聞きました。
で、どういう返事でした。
佐山さんしかいません、という答えでした。夫とか主人という言葉ではなかったですが、確かに二人の強い絆を感じました。
ああ、そりゃよかったです。で、そのー、代行なんとかというのは・・・。
ごめんなさい、回りくどい言い方をして。いやね、嫉妬を感じたのは佐山さんだろうと思います、私に対して。
そりゃそうでしょうね。
京子さんは佐山さんの嫉妬心を即座に感知して、代わりにリアクションをしたのです。それができるということは、二人の絆が強いからだと思います。
なるほど、そう解釈すると理解できますね。
そうです。私は進んでいない下描きの絵を見て、京子さんの気持ちを確かめる、と言いますか、いや、むしろあやふやな気持ちを引き締めたかったのです。京子さんとの人間関係の薄い私にはそれしか方法はありませんでした。あくまで画家の発想です。
・・・。
それからしばらく仕事の様子を見ていました。京子さんの表情が明るくなっていましたから、こりゃ大丈夫だと思いました。
そうですか。ありがとうございました。
その後仕事がどういう方向に進んでいくか分かりません。描き直して全く別の作品に化けるかも・・・。でも、必ず仕上がると思います。一つの大きな転機です。佐山さんにとって、いや、二人にとって。


赤ん坊を世話するムーア人の女性(1850年制作 ルーヴル蔵) (テオドール・シャセリオー・1819-1856)
私は京子さんのその後のことがいつも頭から離れません。このシャセリオーなどの絵を見ていてもこういう感じかなあと思ったりしていました。それから絵は描けたのだろうかという心配も頭を擡げてきました。
ところへ、古賀画伯から電話がありました。
いえね、私はあの家族には会わないつもりでしたが、やはり家族や絵のことが気になりましてね、実は今日覗いてみました。
そりゃ、ありがとうございます。
長柄さんにも二人の様子をお知らせしましたが、どうも最初は二人はお互いぎくしゃくして旨くいかなかったみたいです。
いや、私も出すぎたことをしました。
いえいえ、その点では私も同じです。
で、どんなでしたか。
嫉妬ですね。
えっ、嫉妬 ?
そうです。
ど、とういうことです。
嫉妬と言いますか、これは私の言葉ですけれど、代行嫉妬という・・・。
代行嫉妬 ?
どう説明したら分かっていただけるか・・・。実はですね、私がアトリエの様子を見させていただいたとき、描きかけの20号くらいの絵がイーゼルに立て掛けてありました。母子像ではなくて、一人だけの人物像でした。ああ、始まってますねと言うと、佐山さんはうかない顔つきでした。どうしたんですかと聞きますと、モデルの機嫌が悪くてとか言って相当不満のようでした。どうも、京子さんは佐山さんとのいままでのいざこざのしこりをひきずっている感じでした。
そうですか、やっぱり。
私は絵の描線が今までとは随分違うことに気が付いていましたから、こりゃ本物だと思いました。それで大きな賭けをしました。
賭け ?
そうです、賭けです。
どんな賭けですか。
いやね、私が頼んだんです、モデルになってくださいと。
古賀さんの絵のモデルですか。
そうです。私は京子さんとは初対面でしたが、何か直感的にグッと迫ってくるものを感じていました。いや、あくまで画家としての感覚です。佐山さんの絵は母子像でない方がいいとも思いました。一人の方がいい。これはあくまで個人的な実感です。それでモデルを唐突に頼んだ形になりました。・・・私は京子さんの言葉を待ちました。
で、どうだったのですか。
貴方の画風は私も存じ上げておりますが、私は貴方の絵のモデルとしてはふさわしくありません。私の人物画は私が決めた画家に描いて貰いたいです。・・・そう仰ったんですよ。それで、その画家はどなたですか、と聞きました。
で、どういう返事でした。
佐山さんしかいません、という答えでした。夫とか主人という言葉ではなかったですが、確かに二人の強い絆を感じました。
ああ、そりゃよかったです。で、そのー、代行なんとかというのは・・・。
ごめんなさい、回りくどい言い方をして。いやね、嫉妬を感じたのは佐山さんだろうと思います、私に対して。
そりゃそうでしょうね。
京子さんは佐山さんの嫉妬心を即座に感知して、代わりにリアクションをしたのです。それができるということは、二人の絆が強いからだと思います。
なるほど、そう解釈すると理解できますね。
そうです。私は進んでいない下描きの絵を見て、京子さんの気持ちを確かめる、と言いますか、いや、むしろあやふやな気持ちを引き締めたかったのです。京子さんとの人間関係の薄い私にはそれしか方法はありませんでした。あくまで画家の発想です。
・・・。
それからしばらく仕事の様子を見ていました。京子さんの表情が明るくなっていましたから、こりゃ大丈夫だと思いました。
そうですか。ありがとうございました。
その後仕事がどういう方向に進んでいくか分かりません。描き直して全く別の作品に化けるかも・・・。でも、必ず仕上がると思います。一つの大きな転機です。佐山さんにとって、いや、二人にとって。
