とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」621 長崎の夜はむらさき(瀬川瑛子)

2019-04-11 17:40:44 | 日記
体全体で共鳴する発声。少し鼻にかかっている声もいいですね。若いころの姿はほんとに懐かしいです。いつもにこやかで癒されます。


長崎の夜はむらさき(瀬川瑛子)


瀬川 瑛子(せがわ えいこ、本名:清水 瑛子、旧姓:(瀬川)、1947年7月6日 - )は、日本の演歌歌手・女優。歌手瀬川伸の次女。身長168cm、血液型B型。既婚。

来歴・人物

東京都渋谷区出身。町田学園高等学校(現・品川エトワール女子高等学校)卒業。1967年にデビュー(当初の芸名は瀬川 映子)。地道に活動を続け、1970年に「長崎の夜はむらさき」が50万枚のヒットを記録した。

1983年には、ちあきなおみや細川たかしらとの競作「矢切の渡し」が30万枚を売り上げる。
そして、1986年には夫婦の情愛を描いた「命くれない」が1987年度オリコンシングルチャート年間1位を記録し、ミリオンセールスを記録して大ヒット。自身の代名詞的な曲となる(ただ、歌詞にある「一途に添い遂げる女」とは裏腹に、私生活では結婚生活が破綻して夫とは別居状態に陥っていた。この時に「この歌を歌う資格があるのか?」などと自問自答し、「初めて歌を歌って苦しい、と感じた」と述べている)。

24歳の頃にレコード会社の社員と結婚するが後に離婚。51歳の時にバックバンドを務めていた清水武と再婚した。
東京都出身だが、先述の「長崎の夜はむらさき」がヒットした時期より長崎県出身と公表していた。デビュー50年目の2016年に東京都出身を打ち明けている。

歌手活動以外にも柔和な人柄(研ナオコ曰く「この世界って、テレビに映っている時と映っていない時で変わる人いるんですけど、瀬川さんはどこで会っても、このまま(=テレビのまま)の人」)、端々で見受けられるズレたコメントセンスなどの天然要素とマイペースさがウケ、バラエティ番組にも多数出演。

趣味は麻雀。この時ばかりは人物が豹変し、役作りや聴牌をハイペースで行なうという。長時間の対局も苦ではなく、過去には森光子と8時間麻雀で対戦したことがあるという。若手時代は長身とスタイルの良さを生かし、週刊誌のグラビア記事に登場していた。
山田邦子、清水ミチコ、コロッケ、栗田貫一、林家たい平のモノマネレパートリーとしても有名であり、各々「モォ〜ッ」「瀬川瑛子でございます」のパターンを持っている(父からは『芸人は物真似をされて初めて一流だと認められる。』と教わったために、自身がモノマネをされることを非常に喜んでいる)。

『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』では「瀬川A子(山田邦子)」「瀬川B子(西田ひかる)」に混じって「瀬川C子」を名乗ってコントを演じていた。
料理上手で知られるが、中華料理は苦手な様子である。
飼っているペットはヨークシャーテリア。 (「Wikipedia」より)