若尾文子、山本富士子と共に大映の看板女優として大活躍した極め付きの大女優。下記の通り主演作が次々と受賞し「グランプリ女優」と呼ばれた。このフラッシュのような過去の映像を改めて拝見し、その偉大さ再認識致しました。特に『羅生門』はリバイバル館で視てその体当たりの演技に感動しました。昭和にはこういうスケールの大きな俳優さんがいました。・・・でも・・・亡くなったんですね。悲しいです。銀幕の星の一つがまた消えました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
「京マチ子映画祭」予告編
京 マチ子(きょう マチこ、1924年(大正13年)3月25日は、日本の女優である。本名、矢野 元子(やの もとこ)。大阪府大阪市出身。
来歴・人物
1936年(昭和11年)、大阪松竹少女歌劇団(OSK)に入団。娘役スターとして活躍。1949年(昭和24年)に大映に入社、女優デビューした。後輩の若尾文子、山本富士子と共に大映の看板女優として大活躍した。160cmと当時としては大柄であり、官能的な肉体美を武器に数々の名作に出演した。
溝口健二監督作品『雨月物語』(1953年)、黒澤明監督作品『羅生門』(1950年)、衣笠貞之助監督作品『地獄門』(1953年)など、海外の映画祭で主演作が次々と受賞し「グランプリ女優」と呼ばれる。1971年(昭和46年)の大映倒産以降はテレビドラマと舞台に活動の場を移し、『犬神家の一族』などで活躍の幅を広げた。80歳を過ぎても2006年頃まで舞台などで活動を続けていた。
2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の3位、同号の「読者が選んだ20世紀の映画スター女優」では第7位になった。
役柄
『雨月物語』など官能美を前面に出した演技が当時話題となった。月丘夢路とは映画『華麗なる一族』、ドラマ『犬神家の一族』などで共演し、共に家庭内の壮絶な抗争に執念を燃やす中年女性の狂気を熱演した。
1976年12月公開の『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』でマドンナ柳生綾を演じ、マドンナの中では唯一渥美清より年上である。
私生活
(1952年)
一人っ子として出生したものの、5歳のときに父が蒸発により生別、母と祖母の手で成長した経緯を持つ。
大映社長永田雅一との恋愛関係が憶測された時期もあったが、デビュー以来今日まで独身を通す。1965年(昭和40年)には、日本で初めての「億ション」、コープオリンピア(東京・表参道)を購入して話題となった。
晩年は女優業は半引退状態であった。2014年1月には池畑慎之介のブログに登場した他、2017年6月にも仲代達矢が近況について「元気です」と伝えていた。
受賞・受章歴
1950年(昭和25年):第5回毎日映画コンクール・主演女優賞 『羅生門』、『偽れる盛装』
1957年(昭和32年):第14回Jussi賞(フィンランド)・主演女優賞 『地獄門』
1964年(昭和39年):第38回キネマ旬報賞・主演女優賞 『甘い汗』
1964年(昭和39年):第19回毎日映画コンクール・主演女優賞 『甘い汗』
1987年(昭和62年):菊田一夫演劇賞大賞
1987年(昭和62年):紫綬褒章
1994年(平成6年):勲四等宝冠章
1995年(平成7年):第5回日本映画批評家大賞・ゴールデン・グローリー賞
1995年(平成7年):第18回日本アカデミー賞・会長特別賞
2017年(平成29年):第40回日本アカデミー賞・会長功労賞
ノミネート
1957年(昭和32年):アメリカ 第14回ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)ノミネート 『八月十五夜の茶屋』
2019年(令和元年)5月12日、入院していた都内の病院で心不全のため95歳で逝去。(「Wikipedia」より)
「京マチ子映画祭」予告編
京 マチ子(きょう マチこ、1924年(大正13年)3月25日は、日本の女優である。本名、矢野 元子(やの もとこ)。大阪府大阪市出身。
来歴・人物
1936年(昭和11年)、大阪松竹少女歌劇団(OSK)に入団。娘役スターとして活躍。1949年(昭和24年)に大映に入社、女優デビューした。後輩の若尾文子、山本富士子と共に大映の看板女優として大活躍した。160cmと当時としては大柄であり、官能的な肉体美を武器に数々の名作に出演した。
溝口健二監督作品『雨月物語』(1953年)、黒澤明監督作品『羅生門』(1950年)、衣笠貞之助監督作品『地獄門』(1953年)など、海外の映画祭で主演作が次々と受賞し「グランプリ女優」と呼ばれる。1971年(昭和46年)の大映倒産以降はテレビドラマと舞台に活動の場を移し、『犬神家の一族』などで活躍の幅を広げた。80歳を過ぎても2006年頃まで舞台などで活動を続けていた。
2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の3位、同号の「読者が選んだ20世紀の映画スター女優」では第7位になった。
役柄
『雨月物語』など官能美を前面に出した演技が当時話題となった。月丘夢路とは映画『華麗なる一族』、ドラマ『犬神家の一族』などで共演し、共に家庭内の壮絶な抗争に執念を燃やす中年女性の狂気を熱演した。
1976年12月公開の『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』でマドンナ柳生綾を演じ、マドンナの中では唯一渥美清より年上である。
私生活
(1952年)
一人っ子として出生したものの、5歳のときに父が蒸発により生別、母と祖母の手で成長した経緯を持つ。
大映社長永田雅一との恋愛関係が憶測された時期もあったが、デビュー以来今日まで独身を通す。1965年(昭和40年)には、日本で初めての「億ション」、コープオリンピア(東京・表参道)を購入して話題となった。
晩年は女優業は半引退状態であった。2014年1月には池畑慎之介のブログに登場した他、2017年6月にも仲代達矢が近況について「元気です」と伝えていた。
受賞・受章歴
1950年(昭和25年):第5回毎日映画コンクール・主演女優賞 『羅生門』、『偽れる盛装』
1957年(昭和32年):第14回Jussi賞(フィンランド)・主演女優賞 『地獄門』
1964年(昭和39年):第38回キネマ旬報賞・主演女優賞 『甘い汗』
1964年(昭和39年):第19回毎日映画コンクール・主演女優賞 『甘い汗』
1987年(昭和62年):菊田一夫演劇賞大賞
1987年(昭和62年):紫綬褒章
1994年(平成6年):勲四等宝冠章
1995年(平成7年):第5回日本映画批評家大賞・ゴールデン・グローリー賞
1995年(平成7年):第18回日本アカデミー賞・会長特別賞
2017年(平成29年):第40回日本アカデミー賞・会長功労賞
ノミネート
1957年(昭和32年):アメリカ 第14回ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)ノミネート 『八月十五夜の茶屋』
2019年(令和元年)5月12日、入院していた都内の病院で心不全のため95歳で逝去。(「Wikipedia」より)