とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」659 Time Travel (Budokan'78 ver.) / 原田真二

2019-11-16 11:21:33 | 日記
この才能を見逃していました。今、突如登場したら、あっと驚かれたことでしょう。


Time Travel (Budokan'78 ver.) / 原田真二



原田 真二(はらだ しんじ、1958年12月5日 - )は、日本のシンガーソングライター。広島市榎町(現・中区榎町)出身。


プロフィール

ボーカル、作詞、作曲、編曲、プロデュース。楽器はギター、ピアノ、キーボードを主要に扱うが、ベース、パーカッション、マリンバ、ブルース・ハープ、ドラム、琴、和太鼓なども演奏。ミックス、プログラミングもこなす、マルチプレイヤー、マルチミュージシャンである。所属事務所はエアーフィールド(個人事務所)。血液型はAB。2011年(平成22年度)広島市より広島市民賞。ひろしま平和文化大使委属。


初期

デビュー時の実績

広島舟入高等学校2年在学中に、フォーライフ・レコード新人オーディションに応募。吉田拓郎に見出され3,000曲の中から選ばれた。1977年4月、青山学院大学経済学部第二部経済学科入学と同時に上京[3]。18歳だった同年10月25日に、拓郎プロデュースにより「てぃーんず ぶるーす」でデビューした。

フォーライフに送った応募テープは、一人で多重録音をしていたといわれ、ピアノの他、ギター、シンセサイザーもこなし編曲も自分でやったといわれる。セカンド・アルバムをセルフ・プロデュースしたように最初から音楽的すごさ・才能のずば抜けた"早熟の天才"であった。デビューアルバムに参加した鈴木茂が、「ほとんどやることはなかったよ」と言ったという。原田真二バンドと佐野元春のバンド、ハートランドをドラマーとして掛け持ちした古田たかしは、ブレイク前の佐野を「すごいんだよ、マインドが真二とそっくりなんだ」と評した。

「てぃーんず ぶるーす」発売後、翌11月に「キャンディ」、12月に「シャドー・ボクサー」をリリース。「3ヶ月連続レコードリリース」という前代未聞の形でデビューを飾ると、3曲が同時にオリコンベスト20入りするという、日本音楽史上初の快挙を達成した。「3ヶ月連続レコードリリース」は、当時の所属事務所の社長大里洋吉のアイデアによるものだが、どの曲も捨てがたく1曲にデビュー曲を絞れなかったという事情もあった。

「てぃーんず ぶるーす」、「キャンディ」、そして翌年に発売された「タイム・トラベル」は『三部作』と呼ばれる。更にファーストアルバム「Feel Happy」(1978年2月発売)も、オリコン史上初の初登場第1位を獲得した(4週連続1位)。10代でのファーストアルバム、オリコン1位獲得は、男性シンガーソングライターでは未だ原田のみ(2011年10月現在)。

1978年7月24日、デビュー1年目(9ヶ月)、10代ソロ歌手、では史上初の日本武道館公演を行う。この公演を皮切りに9月15日の大阪府立体育会館まで全国六都市12ヶ所で行ったアリーナ(体育館)ツアーも、井上陽水がやって以来のもの。まだコンサート用のアリーナが少ない時代で、5000〜6000人規模の全国の体育館を廻った。

音楽最優先のスタッフが結集され、当時世界最高のPAシステムをアメリカとイギリスから導入した。お客はほぼ100%女子中高生であった。この年の武道館ライブを中心としたステージ・ドキュメント映画「OUR SONG and all of you」も製作されている。監督はドキュメンタリー映画「キャロル」で名をあげた龍村仁である。翌1979年の武道館では、数曲、サックスプレイヤーの手を借りた以外は、原田のバンド5人だけで全ての音を出した。

ギター1本弾き語りの松山千春を除くと、当時の武道館コンサートでは、最も小さい編成でやり遂げ、バンド総体としてのハイレベルのパフォーマンスも高い評価を受けた。 同年、4枚目のシングル「タイムトラベル」で『第29回NHK紅白歌合戦』にも初出場。

(「Wikipedia」より・・・ごく一部の抜粋です)