とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」817 悲しい時はいつもMad 神風特別攻撃隊 

2024-11-04 16:41:08 | 日記
この笑顔はどうしたものか。国家のために死ぬ。戦死。いや、ただの戦死ではない。笑顔で死に赴いた少年兵士。だれが命令したのか。これは曖昧になっている。こういう覚悟を生んだ時代性を私は憎む。わたしは命令されても決して国家のために死にたくない。国家のために死ねといわれたら、逃亡するか自死するかもしれない。亡国者、弱虫といわれても。本当は自死する勇気も出ないかもしれない。ただ、そういう状況を作りだしてはならないのだ。時の指導者、為政者の言動、腹の内を常に観察していなければならない。S19年生まれとして常に覚悟していたい。
Wikipediaの解説は詳細かつ緻密である。ここでは最初の一部を引用した。

悲しい時はいつもMad 神風特別攻撃隊 「多くの若い命が散った作戦」


神風特別攻撃隊(かみかぜとくべつこうげきたい[1][2][3][4]、しんぷうとくべつこうげきたい[5][6][7]、旧字体:神󠄀風特別攻擊隊󠄁)は、第二次大戦で大日本帝国海軍によって編成された爆装航空機による体当たり攻撃部隊(特別攻撃隊)と直接掩護並びに戦果確認に任ずる隊で構成された攻撃隊[8]。攻撃目標は艦船[9]。略称は「神風」「神風特攻隊」[10]。隊名の発案者[注 1]・猪口力平によれば、「神風」の読みは音読みの「しんぷう」であるが、当時のニュース映画[11]で訓読みの「かみかぜ」と読んだものが上映されたことでこれが定着した[7]。昭和19年(1944年)10月から終戦までの約10か月間に渡って出撃を繰り返した。

日本国内では戦後になって、軍が組織的に兵士(国民)に自爆攻撃を強いたことに対する批判がされてきたが[12]、アメリカ海軍を主力とする連合国海軍に多大な損害を与えたこともあって、米国戦略爆撃調査団から「日本人によって開発された唯一の、もっとも効果的な航空兵器」と評され[13]、アメリカ海軍大学校の教科書では「Kamikazeは人間が操縦する巡航ミサイルであり、精密攻撃の時代の海戦を予兆していた。」とも指摘されている[14]。(Wikipedia)