とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

故郷へ・・・

2013-02-26 22:33:02 | 日記
故郷へ・・・





 一枝の椿を見むと故郷に    原 石鼎 (昭和10年)

 原石鼎は母の病気見舞いのために昭和10年に故郷出雲に帰郷した。この作は塩冶(えんや)町の実家で庭の椿を見て作ったものである。一の谷公園には写真のような句碑が建立されている。


 岡田さんから電話があり、私は躍り上がらんばかりに喜びました。朗報です。


 うちの農園関係の会員の中で出雲に憧れている青年がいますけれど、その青年が出雲に住みたいと言いまして・・・。

 ええ、ええ。

 もともと出雲の生まれですけれど、父親の勤めの関係で小さいころに千葉に転居しています。次男で仕事がないのでうちの農園の管理にときどき来てました。その青年、名前は木村靖男と言いますけれど・・・。

 ええ、その木村さんが出雲に定住するわけですね。

 そうです。そうです。そういう予定です。そこで、私、冴子さんの話をしました。そしたら、画廊に住み込みたいと言いまして・・・、先日、冴子さんに伝えました。そしたら、養子に来て貰えないかということでした。

 養子。

 そうなんです。店を継がせたいようです。一度会って貰ったんですが、たいそう気に入って・・・、ぜひ話を進めて貰いたいということで・・・。

 そりゃ、いい話ですね。

 そうなんです。両親も賛成してくれまして、籍に入れる方向で今話が進んでいます。

 めでたい話ですね。

 きっと旨くいくと思います。

 ・・・私はその後で冴子さんに電話しました。

 いい話が進んでいるそうで・・・、岡田さんから聞きました。

 そうなんです。貴方から出雲に残ってほしいと言われて、私、正直一人では自信がなかったんですが、跡継ぎが出来ればこれに越したことはありません。

 出雲画廊は貴女一人のものではありません。京子さん夫婦にとっても必要なんです。これから画壇に出ていく後押しをするものは貴女しかいません。それから、郁子さんもこれから大舞台が待っています。心の支えは貴女です。

 畝本さん、そんなに私に背負わせないでくださいよ。

 いや、いや、ぜひ背負っていただきたい。

 貴方も強引ですね。

 いや、私のお願いです。

 ・・・ご縁というものは続いて来るものです。広島の千恵子から電話がありました。

 お父さん、出雲に帰ることになりました。

 えっ、どういうこと。

 うちのひと、出雲の支店に転勤希望を出したら、許可が出たんです。

 そりゃよかった。

 湖笛の松江さんの話をしたら、劇団の仕事をしたいと言い出して・・・。

 うん、うん。

 子どもの学校のことが心配だけど、まあ、次第に慣れると思う・・・。

 子どもはすぐ慣れる、慣れる。・・・私は少し無責任なそういうことを千恵子に話しました。話しながら千恵子の病気治療にとっていいのでは、と思いました。妻も大喜びでした。


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