自称憑依体質の矍鑠幻聴氏の、本日のはた迷惑な幻聴。「我が美しい国・日本もいまコロナで大変な状況ですが、この大事なタイミングでひとつ確認しておきます。それは私がこの国で一番偉いということです。戦後最長政権なのだから、歴代の総理大臣のなかで私がもっとも偉いのは揺るぎない事実なのであります。そんな余人をもって代えがたい私にとりまして、一般国民の皆様の批判の声はおろかノーベル賞受賞者の方の怒りにだって、まったく怯むことはないのであります。私はあんな人たちに負けるわにはいかないんです。だから星野源の動画をどう使おうが私の勝手なのです。いやいや、だって私が一番偉いんですよ(笑)。堂々としているのは当たり前でしょう(笑)。それのどこがおかしいんですか(微笑)。疑問を差し挟む余地なんてありませんよ(薄笑い)。因みに、私もいまは高級料亭通いは厳に自粛をしているわけで、えーございます(丁寧に)。その代わり、懇意にしている有名シェフを招き入れて、腕を振るってもらっています(シャキ)。彼らもいまは収入が減っているのでえーたいへん助かると感謝してくれています(堂々)。いわばぁ、一石二鳥なわけです(ドヤ顔)。そうです。これもひとつの支援の形なのです(着地キマッタ)。」//無邪気な悪意は、清廉さにほだされることもなければ、実直さに影響されることもない。そもそもそんなものに一文の価値も置いていないから、百鬼夜行さながらの様相を呈しているのだ。実際、映画が撮れそうなほどに、魑魅魍魎が跋扈しているではないか。/映画の場合、森達也監督や藤井道人監督でもいいが、塚本晋也監督のほうが面白いかもしれない。ぜひ観たい。昔、映画『妖怪ハンター』を観て、原作よりもグロテスクな映像にたまげたが、「現実」だって少しも引けを取らない。/映画もさることながら、コロナによって、政治を語ることに対する心理的ガード(心の箍)が一層外れてきたので、政治を扱う小説も今後どんどん世に出てくるだろう。/コロナを契機に、芸術は、これまで禁忌とされていた政治をもっと気軽に題材とし、いろいろな手法で表現し、再生すればよい。/政治だけを神聖視する必要なんて全くない。現在の為政者による政治が、どうしようもなく私欲化、卑劣化しているのに、どうして批判したり、嘲笑したり、揶揄したりせずにいらるのか。そんな当然の権利を行使するのに、芸術家だろうが会社員だろうが職業なんて関係ない。悪意ある支配的集団にとって、無口で控え目な個々人の集合体なんて、クジラが大きな口を開けてプランクトンを呑み込むように、便利な餌にしかならない。(喩えが、悪い翻訳書風に不自然になったが、自嘲の意味も含めて晒しておこう。)//BGB:『お化け野球チーム』(水木しげる著、ポプラ社、1980年)。
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