shetland'A blog

スキーでの靱帯断裂の闘病記から始まって介護問題。今は趣味や日常での楽しみを記録。

ぼくの妹

2015年05月06日 | 日記
2015/05/06(水)
今日は来客がない日なので、のんびりしている。
来客があってものんびりしているけど…。

昨日からオンデマンドで「ぼくの妹」を見ている。
TBSドラマ。
オダギリジョーと長澤まさみ、千原ジュニアが出ていたもの。

その当時視聴率が悪かったという番組だけど、なかなかしっとりしていい。
ドラマのしゃきしゃきした流れ、わかりやすい展開ではないけど、心の繊細さがとてもいい。
オダギリジョーのうまいこと。
長澤まさみもいい感じ。

千原ジュニアは要の役どころなのに、まったく演技力がない。
しかし、現実にこういう人もいるかなと思ってみれば、それが味となって見える。
さっきまで見てたのは千原ジュニアが肺がんの手術のための大学病院に入院すると長澤まさみに伝えたところ。

なかなか、感動的。
千原ジュニアもここにきてやっと見慣れた感じ。

そろそろテレビもやめて散歩がてら花を見に行こうかな。
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納骨堂

2015年05月06日 | 介護
2015/05/06(水)
葬儀の翌日お寺に挨拶を兼ねて初七日の読経のお願いに行った。
その際に、納骨の話をした。
私の家は墓石ではなく納骨堂である。
納骨堂も亡くなられて30年すぎないような若い仏様はご先祖のお骨と一緒にしないようなのだ。

場所の関係で30年を過ぎていくと、ご先祖様と一緒にお骨を入れて、ぐっと抑え込んで小さくするらしい。(砕く?)
しかしながら、1月に叔母も亡くなり、その連れ合いの叔父84歳。あと91歳の叔母がいる。
ここにきて母が亡くなり、納骨堂は満員なのだ。

現世では空き家が出るご時世にあちらでは満室御礼状態。
あちらのマンションである納骨堂も狭くて入りきれません。と。

私ら兄妹もその辺は想像できていたので、もうひと区画購入の話をしてきた。
しかしながら、新築マンション(納骨堂)もすでに満員。
古いマンション(納骨堂)の部屋調整をしてもらってひと区画購入することにした。

住職の奥様が場所も見てもらったら?とまるで不動産の部屋紹介のようだった。
どこでも構わないと思っていたのだが、言われてみれば、確かに場所も気に入る気に入らないがあるのかもしれないと思った。

見た場所は気に入らなかった。

で、その横も空きそうということで、そちらは気に入ったので、話がうまく進めばそこを購入することとなる。
先祖代々の納骨堂に入っている父の骨を新たな場所に移し、母と二人で新生活を始めることとなる。
父も母と二人っきりの生活は結婚して最初の頃だけなので、嬉しいかもしれない。
あと数十年は私は行かないから。

そういう流れで、私の納骨場所も決まってしまった。
私は今住んでいるところの近くがいいなと思っていたのだが、父と祖母を遠くに離すことは出来かねた。購入する納骨堂は祖母から4軒先くらい(笑)

母も父と二人の納骨で内心は喜んでいるだろう。
そこはやはり嫁だから。

自分の納骨も結局この地かぁ。と思ったけど、それも静かでいいかも。
お寺さんも3代の付き合いになっているし。

自分の終の住処の取得もできて、なんかほっとした感じ。
あとは、自分の万が一の時のためにエンディングノートはつけておかねばと思った。

私のことは絶対だれもわかんないよ。
困るよねー。


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死に場所

2015年05月06日 | 介護
2015/05/06(水)
穏やかでないタイトルだが、別に私がどうこうというわけではない。
私は、数十年先に両親に楽しい土産話を持っていくという目的をもっているので、別に物騒な話ではない。

父が亡くなった時は交通事故で即死であった。
一般にいう、畳の上では死ねなかった。ということである。
今回の母の場合は施設で看取った。

とてもいい看取であったと思う。
病院であれば、慰安室に行き、葬儀社の搬送で自宅へ帰る。

今回の場合、呼吸が浅くなってからは兄が手を握り、私がベッドに上がって自分の体温で母の足を温め、そうやって最後を迎えた。

私はもともと泊まる予定だったので既にソファーベッドが母のベッドの横にあった。
続き兄も泊まると言ってもう一つソファーベッドを用意してもらった。
二人でソファーベッドの位置を母を挟んで川の字になるように動かした。

私たちは何十年ぶりに川の字になって寝た。
冷たくなっていく母の手を握って寝た。
母は進行性核上性麻痺であり、体の向きも右向きが楽だったようで、兄の方を見て眠っていた。

病院でもないために、全然あわただしくなく、静かな最後であった。
眠るように旅立った母。パジャマ姿だけにただ並んで寝ている感じがした。
私は母のパジャマを借りて寝た。

いい看取であったと思う。
これが病院であったらどうであったろうか。
呼吸が止まりましたとナースコールすれば、医者がすぐ駆け込んできて手当を施し、死亡が確認されれば霊安室。そして自宅へ搬送と、きっと慌ただしかっただろう。

ああいう静かで穏やかな時間はなかったかもしれない。

血縁だけで終末をすごし、施設の用意してくれた朝ご飯を3人で食べ自宅には帰らないままだったが、葬儀場へ安置した。

場所はただ、場所というだけで、大事なのはそこでどこまで安らぎが得られるかということ。
今から、老健施設も特別養護老人ホームも看取が多くなることだろう。

病院で亡くなる方が70%という。
自宅での看取というのはどのくらいあるのだろうか。
今回の看取は自宅と言っても過言でないくらいの穏やかな時間と安心感があった。

これから次々と見送らなければならない。
残されたものが悔いの少ない看取ができたら心が楽になれるだろう。
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