定年後の人生に花咲かせよう!

明日を生きるために きょう1日を大切にする 青春を忘れない

戦後の暮らし

2022年09月15日 | 日記

 9月に入って、町内にある瓶井神社・秋の大祭準備で公民館では「巫女(みこ)の舞」の稽古が始まり、毎夜のごとく笛や太鼓の音が聞こえるようになりました。

 朝夕めっきり涼しいのですが、昼中は30度をこす暑さで、グランドゴルフ練習も2ゲーム終了すると汗ビッショリ、水分の補給が欠かせません。

 秋の季節の花といえば菊やコスモスといったところでしょう。初秋には萩(はぎ)がよく合うといいます。古くから詩に詠まれ愛され、庭先や道端にひっそりと咲く花を見るにつけ、秋の風情を感じさせます。

 8月の終戦の日が過ぎると、マスコミから戦争や終戦の話題がめっきり少なくなり、ウクライナの「戦争」について記事・報道が目立ちます。

 太平洋戦争が終結しても、父親が戦死、あるいは空襲で家族を亡くした人が多くいて、戦後の暮らしに新たな苦難が始まった人が多かったのも事実です。

 当時、名古屋鉄道東岡崎駅前には、手足を失い白装束でアコーデオンを抱えた、傷い軍人の姿もありました。戦後の食糧難で農家へのコメ泥棒、駅前での物乞い、闇市での靴磨き、戦後復興が進む中でその実態は埋もれ、忘れ去っていきました。

 忘れ去られた食べ物は水団(すいとん)で、小麦粉に水を加えて練りあげたもので、食べやすいすい大きさにして汁に入れ煮たものでした。戦後ベ物事情の悪い時期に、簡単で、体も温まり、空腹を満たしやすいことから米の代用として食べてきました。

 現在と違ってダシもとらない、具も入らない「すいとん」はおいしくなく、当時を知る人は、「すいとん」と聞くだけで拒絶する人もいると思います。多くの食生活が代用品で締め、少量の米に麦やさつまいも、じゃがいも、かぼちゃ、野菜の葉などを混ぜ、量を増やして食べていました。

 戦争のない平和な世界を願う私たちは、戦後の苦難と闘ったその歴史を伝えることで、二度と過ちを犯してはなりません。

 

 

コメント