久しぶりに渓流の良質な水と対面してよい空気も吸い込んだ。こんどは帰り道に良い音を浴びることで一日を締めることにした。夕刻を迎えて真鶴半島に住むMさんの家に寄る順番がやってきた。前日に電話をしてみたらMさんは幸運にも在宅していて上手く約束の訪問を取り付けることができた。
敷地の崖下には海沿いの旧道を隔ててすぐ相模湾が迫っているが、海抜は60メートルという高所に位置した一軒家である。あいにく正面の視界に納まる熱海沖の初島は霞んでみえるが、敷地に乱れ咲いている大手鞠の花の隙間から真下でゆらゆらする海原の表情が見えるという稀少なる贅沢空間をMさんは一人占めしている。住み着いてもう15年になるそうだ。庭は草木も伸び放題の廃園という雰囲気だが、居ついてしまった野良猫たちには格好の棲家になっている。玄関先にある猫用の餌皿にもなかなか味のよい絵付けを施した五寸位の錦手の古い印判皿が放置されていたりする。そんなラフでぞんざいな放恣性が、画一な清潔病理下で暮らしている都市部に住む一般サラリーマン家庭とは対極の独特な和み感をMさんのお宅にもたらしているようだ。自分のことを棚に上げるわけではないが、キッチンも便所も正直汚い。しかしこれで嫌悪感が沸かないから不思議な家である。
煎茶をいただきながら夕暮れの一時をLP鑑賞ですごす。エレクトロボイスのパトリシアン700とビクターのSX-3の複数台のシリーズ接続というメインスピーカーの構成は以前と変わっていない。Mさんは彫刻仕事と週数日間のバイト暮らしで生計を立てている。夜間に彫塑しながらLPによるオーディオ再生に単身営為していた様子があきらかに再生音に反映している。コンボっぽい小編成ものをエレボイが担当、ビッグバンドとクラシック音楽がビクターの役どころになっているようだ。スピーカーの個性に見合ったLPを5枚程所望して聞かせてもらった。サボイレコードの「トップブラスファイブ」、D・エリントンのタップダンスやコーラスを従えたチャーチコンサートライブもの、RCAの「ザ・ビッグ18」というスイングジャズの大物再会ビッグバンドもの、パブロレコードのアート・テイタムとベン・ウエブスターカルテット、これだけが唯一コンボものでバラード選曲が含まれたLPである。
どれも大音量で都会で鳴らしたら苦情が必至の濃い口ジャズソースばかりだ。以前に聞いたLPも一部混じっている。今回の印象は特にビクターのSX-3複数台スピーカーの大変身に驚く。我流な際物感が消えている。「ザ・ビッグ18」は日本国内盤のペラジャケという平凡なLPだ。しかしその再生音の煩くない大音量の凄みに敬服すら覚えた。このレコードにはトランペットのバック・クレイトンやトロンボーンのビック・ディッケンソンが見事に吹きまくる「ブルース・オン・パレード」というウディー・ハーマン楽団の大好きなアメリカを代表するような曲がA面の最後に入っている。メロディーのソロパート担当楽器に覆い重なってビックバンド特有のリズムとハーモニーが分厚く渾然一体となる箇所があるのだが、Mさんのスピーカーは堂々として腰砕けにならない。以前に聞いたときの煩い音調は消えて静寂の大音量が実現している。この再生音には、自分よりも大音量命のドクター桜井氏も感服されたようだ。どんな工夫を重ねたのか、その真意は不明だが、同年輩のMさんが音力の追求からリタイアをしていないことだけは了解できた。
Mさんの居間を飾るモダンアートなテラコッタ製の裸婦像、コルネイユの表現主義風なリトグラフを時々、ためつすがめつしながら、聴覚と視覚の往復運動をするという有意義な時間が過ごせたのもMさんのお蔭で感謝している。
敷地の崖下には海沿いの旧道を隔ててすぐ相模湾が迫っているが、海抜は60メートルという高所に位置した一軒家である。あいにく正面の視界に納まる熱海沖の初島は霞んでみえるが、敷地に乱れ咲いている大手鞠の花の隙間から真下でゆらゆらする海原の表情が見えるという稀少なる贅沢空間をMさんは一人占めしている。住み着いてもう15年になるそうだ。庭は草木も伸び放題の廃園という雰囲気だが、居ついてしまった野良猫たちには格好の棲家になっている。玄関先にある猫用の餌皿にもなかなか味のよい絵付けを施した五寸位の錦手の古い印判皿が放置されていたりする。そんなラフでぞんざいな放恣性が、画一な清潔病理下で暮らしている都市部に住む一般サラリーマン家庭とは対極の独特な和み感をMさんのお宅にもたらしているようだ。自分のことを棚に上げるわけではないが、キッチンも便所も正直汚い。しかしこれで嫌悪感が沸かないから不思議な家である。
煎茶をいただきながら夕暮れの一時をLP鑑賞ですごす。エレクトロボイスのパトリシアン700とビクターのSX-3の複数台のシリーズ接続というメインスピーカーの構成は以前と変わっていない。Mさんは彫刻仕事と週数日間のバイト暮らしで生計を立てている。夜間に彫塑しながらLPによるオーディオ再生に単身営為していた様子があきらかに再生音に反映している。コンボっぽい小編成ものをエレボイが担当、ビッグバンドとクラシック音楽がビクターの役どころになっているようだ。スピーカーの個性に見合ったLPを5枚程所望して聞かせてもらった。サボイレコードの「トップブラスファイブ」、D・エリントンのタップダンスやコーラスを従えたチャーチコンサートライブもの、RCAの「ザ・ビッグ18」というスイングジャズの大物再会ビッグバンドもの、パブロレコードのアート・テイタムとベン・ウエブスターカルテット、これだけが唯一コンボものでバラード選曲が含まれたLPである。
どれも大音量で都会で鳴らしたら苦情が必至の濃い口ジャズソースばかりだ。以前に聞いたLPも一部混じっている。今回の印象は特にビクターのSX-3複数台スピーカーの大変身に驚く。我流な際物感が消えている。「ザ・ビッグ18」は日本国内盤のペラジャケという平凡なLPだ。しかしその再生音の煩くない大音量の凄みに敬服すら覚えた。このレコードにはトランペットのバック・クレイトンやトロンボーンのビック・ディッケンソンが見事に吹きまくる「ブルース・オン・パレード」というウディー・ハーマン楽団の大好きなアメリカを代表するような曲がA面の最後に入っている。メロディーのソロパート担当楽器に覆い重なってビックバンド特有のリズムとハーモニーが分厚く渾然一体となる箇所があるのだが、Mさんのスピーカーは堂々として腰砕けにならない。以前に聞いたときの煩い音調は消えて静寂の大音量が実現している。この再生音には、自分よりも大音量命のドクター桜井氏も感服されたようだ。どんな工夫を重ねたのか、その真意は不明だが、同年輩のMさんが音力の追求からリタイアをしていないことだけは了解できた。
Mさんの居間を飾るモダンアートなテラコッタ製の裸婦像、コルネイユの表現主義風なリトグラフを時々、ためつすがめつしながら、聴覚と視覚の往復運動をするという有意義な時間が過ごせたのもMさんのお蔭で感謝している。