こんにちは、松山支部のほりかわです
2月6日、日本母親大会 中国・四国ブロック学習交流集会に参加してきました
来年2011年に広島で開催予定の、第57回日本母親大会に向けて中国・四国9県で盛り上げていこうというもので、
日本母親大会連絡会事務局長の小松久子さんは、母親運動55年のあゆみといま日本母親大会をひらく意義についてお話され、
長年愛媛で母親運動の中心を担っておられ、新婦人の創立当初からの会員でもある栗原さんは、自分史と合わせてどうして今までこうした運動を続けてこれたのかというお話をされました。その後お話を聞いた感想や意見を中心に交流がされました。
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日本母親大会は、1955年以来毎年開催されており、今年は8月28、29日に福島で第56回大会が開かれる予定です。
この母親運動がはじまったきっかけは、1954年3月1日の第五福竜丸事件。
*第五福竜丸事件
アメリカがマーシャル諸島・ビキニ環礁で水爆実験を実施。多数の島民や日本漁船が被災しました。第五福竜丸の久保山愛吉さんは「原水爆の被害者は私を最後に」と遺言をのこし、半年後に亡くなりました。
戦争の恐怖を思い出したり、また戦争が始まるのではないかと不安に駆られた女性たちが、
「すべての子どもたちの幸福を守りたい、そのためには世界が平和でなければならない。
平和な世界のためにはわたしたちの声が活かされる社会でなければならない、そのためには婦人の権利をかちとっていこう!」と集まったことからはじまったそうです。
*母親大会のよびかけ(一部)
「戦争の恐怖を忘れることのできないお母さん、家や財産も失ったお母さん。息子を戦争の犠牲にしたお母さん。子どもを学校に出せないお母さん、病院も食事も満足に与えられない子どもたちのお母さん、失業している若者のお母さん、働く職場をもてないお母さん、そして自分は幸福だが他の多くの母たちの幸福をねがっている母親、そういうすべての母親が集まるのです。
原子兵器の製造とか水爆の実験とか、また戦争になるのではないかとの不安が私たちをおそいます。すべての子どもの幸福を守るために世界のお母さんを話し合いましょう。婦人の権利をかちとるために、みんなで話しあいましょう。母と子どもが安心して住める世の中をつくるために、お母さんの力を結集しましょう。日本母親大会に集まりましょう。」
母親大会には「生命を生みだす母親は 生命を育て 生命を守ることをのぞみます」というスローガンがあるのですが、
“生命を守る”という一致点で、多くの協賛、後援(団体だけでなく市町村やメディアも参加)を得て、分裂することもなく55年間毎年休まずに大会を続けてこられたのは本当にスゴイことだと思いました。
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参加者のほとんどが各県の母親連絡会の役員でこうした活動を担ってきたベテランさんばかり。 母親運動についてほとんど知らない参加者は、たぶん私だけだったのではないかと思います。
若い世代の私から見れば、母親運動を知らない20、30代の若いお母さんにこそ、こうした長年運動にかかわってきた方の話や、どういった歴史を歩んで今にいたるのかという話を聞かせてほしい、そういう機会を少しずつでもつくってほしいと思うのです。
こんなにも生き生きと熱っぽいお話を聞いたら、控えめな若いお母さんたちも「こういうことをもっと知りたい」「この運動に参加したい」といったり、「引き継ぐために自分にできることはなんだろう?」と考えたりする変化が、きっとおこるような気がするのです。