みなさんこんにちは。
きょうはまた3月下旬並みのあたたかな陽気でしたね。一気に春が来たみたいに一日中ぽっかぽかの素晴らしい天気でした。あんまりあたたかいので温度計を持ち出して気温を計ってみると、午後1時現在、園児玄関で24度。ガレージの日陰でも15度以上はありました。ストーブを消して窓を開け放っても、子どもたちは暑い暑いと汗ばむくらいで(中には半袖になって遊ぶ子も)、多くは園庭に出て思い切り体を動かして遊んでおりました。この時期は日によって寒暖の差が大きくなってくるので、体調管理にはいっそうの注意が必要かもしれませんね。特に子どもは体温が高く、汗をかきやすいので、厚着のし過ぎはかえって体調を崩す要因になります。各ご家庭でもその日の天気予報などを参考に御配慮いただければと思います。
さて、今日は年長組の子どもたちが園生活最後の園外活動に行ってまいりました。行き先は「朱鷺メッセ31階展望室」。自分たちの暮らしている新潟市を空からじっくり眺めてみよう、というのがねらいです。
また、真人幼稚園付近も微かにではありますが肉眼で見ることができるので、「幼稚園を探してみよう!」などといったテーマも設けました。ただぼんやりと眺めるだけではせっかくの体験の意味が薄れてしまうので、より自覚的に新潟市の全貌を捉えられるよう、園の目印として「赤い風船」10個を束ねて空にあげたりもしてみました。結果としては見えた子と見えなかった子がいたようですが、大事なことは(見えた見えないではなく)、そういう実験を大まじめにやってみるというところが、子どもにとっていちばん重要なことなのであります。
それにしても、子どもたちの頭の中には今、どんな地図が描かれているのでしょうか?保育者としてはとても興味のあるテーマであります。時間や空間といった認識は年長児(5~6歳)くらいに一気に発達すると言われていますから、実際にこんな形で自分の目で市内を俯瞰するような体験は彼らの脳に大きな刺激となったに違いないのです。今日は天候にも恵まれ、遠くは飯豊連峰まで、反対の日本海には佐渡の山々がくっきりと見えたそうです。そうやって子どもたちは少しずつ自分の地図を広げていくのでしょう。
たとえば、はじめは自分の家とその周辺に限られた小さな世界であったものが、やがて幼稚園と結びつき、そこに新たな広々とした世界を見つける。友達ができて友達にも家があり家族がいることを知る。その道すがらに町があり、そこに見知らぬ人々が暮らしている。やがてたくさんの道がどこかへ続いているのだとわかる。町の真ん中に川が流れていて、その先に海がある。川はどこから流れてくるのか?川は山から流れてくるらしい。振り返ると、それはにょろにょろと蛇のように蛇行しながら山のふもとまで続いている。それから自分の立っているこの空が遠い場所の空とつながっていることにハッとする。海の向こう、あの水平線の彼方には日本とは違う別の国がある。その国の向こうにはまた別の国があり、そこにたくさんの人が暮らしている。自分と同じように遊んだり食べたり眠ったりケンカしたり仲直りしたりしながら。まーるい地球儀の上の赤く塗られた小さな国。そこが自分の今住んでいるところ。大きな大陸のはしっこにあり、四方を海にかこまれた小さな島。そしてこの地球は宇宙の中ではただの目に見えない小さな塵。
そうして子どもはいつか大人になり、自分の立っている場所が世界の中心でないことを悟るだろう。そこは孤独なこの世の果てかもしれないのだ、と。しかしそれでも、そうであるとしても、人はみな世界のはしっこで愛するものたちのために人知れず戦いながら、ささやかな幸せを求めて生きているのだ。
2006年2月22日。
園生活最後の園外活動。
朱鷺メッセ31階の展望室から見た空と海と大地の向こうに、われらが愛する年長の子どもたちはどんな地図を思い描いたか?
きょうはまた3月下旬並みのあたたかな陽気でしたね。一気に春が来たみたいに一日中ぽっかぽかの素晴らしい天気でした。あんまりあたたかいので温度計を持ち出して気温を計ってみると、午後1時現在、園児玄関で24度。ガレージの日陰でも15度以上はありました。ストーブを消して窓を開け放っても、子どもたちは暑い暑いと汗ばむくらいで(中には半袖になって遊ぶ子も)、多くは園庭に出て思い切り体を動かして遊んでおりました。この時期は日によって寒暖の差が大きくなってくるので、体調管理にはいっそうの注意が必要かもしれませんね。特に子どもは体温が高く、汗をかきやすいので、厚着のし過ぎはかえって体調を崩す要因になります。各ご家庭でもその日の天気予報などを参考に御配慮いただければと思います。
さて、今日は年長組の子どもたちが園生活最後の園外活動に行ってまいりました。行き先は「朱鷺メッセ31階展望室」。自分たちの暮らしている新潟市を空からじっくり眺めてみよう、というのがねらいです。
また、真人幼稚園付近も微かにではありますが肉眼で見ることができるので、「幼稚園を探してみよう!」などといったテーマも設けました。ただぼんやりと眺めるだけではせっかくの体験の意味が薄れてしまうので、より自覚的に新潟市の全貌を捉えられるよう、園の目印として「赤い風船」10個を束ねて空にあげたりもしてみました。結果としては見えた子と見えなかった子がいたようですが、大事なことは(見えた見えないではなく)、そういう実験を大まじめにやってみるというところが、子どもにとっていちばん重要なことなのであります。
それにしても、子どもたちの頭の中には今、どんな地図が描かれているのでしょうか?保育者としてはとても興味のあるテーマであります。時間や空間といった認識は年長児(5~6歳)くらいに一気に発達すると言われていますから、実際にこんな形で自分の目で市内を俯瞰するような体験は彼らの脳に大きな刺激となったに違いないのです。今日は天候にも恵まれ、遠くは飯豊連峰まで、反対の日本海には佐渡の山々がくっきりと見えたそうです。そうやって子どもたちは少しずつ自分の地図を広げていくのでしょう。
たとえば、はじめは自分の家とその周辺に限られた小さな世界であったものが、やがて幼稚園と結びつき、そこに新たな広々とした世界を見つける。友達ができて友達にも家があり家族がいることを知る。その道すがらに町があり、そこに見知らぬ人々が暮らしている。やがてたくさんの道がどこかへ続いているのだとわかる。町の真ん中に川が流れていて、その先に海がある。川はどこから流れてくるのか?川は山から流れてくるらしい。振り返ると、それはにょろにょろと蛇のように蛇行しながら山のふもとまで続いている。それから自分の立っているこの空が遠い場所の空とつながっていることにハッとする。海の向こう、あの水平線の彼方には日本とは違う別の国がある。その国の向こうにはまた別の国があり、そこにたくさんの人が暮らしている。自分と同じように遊んだり食べたり眠ったりケンカしたり仲直りしたりしながら。まーるい地球儀の上の赤く塗られた小さな国。そこが自分の今住んでいるところ。大きな大陸のはしっこにあり、四方を海にかこまれた小さな島。そしてこの地球は宇宙の中ではただの目に見えない小さな塵。
そうして子どもはいつか大人になり、自分の立っている場所が世界の中心でないことを悟るだろう。そこは孤独なこの世の果てかもしれないのだ、と。しかしそれでも、そうであるとしても、人はみな世界のはしっこで愛するものたちのために人知れず戦いながら、ささやかな幸せを求めて生きているのだ。
2006年2月22日。
園生活最後の園外活動。
朱鷺メッセ31階の展望室から見た空と海と大地の向こうに、われらが愛する年長の子どもたちはどんな地図を思い描いたか?