獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『国家の罠』その25

2025-02-08 01:38:00 | 佐藤優

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

まずは、この本です。

佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』

ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。

国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第1章 逮捕前夜
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
 □「小泉内閣生みの母」
 □日露関係の経緯
 □外務省、冷戦後の潮流
 □「スクール」と「マフィア」
 □「ロシアスクール」内紛の構図
 □国益にいちばん害を与える外交官とは
 □戦闘開始
 □田中眞紀子はヒトラー、鈴木宗男はスターリン
 □外務省の組織崩壊
 □休戦協定の手土産
 □外務官僚の面従腹背
 □「9・11事件」で再始動
 □眞紀子外相の致命的な失言
 □警告
 □森・プーチン会談の舞台裏で
 □NGO出席問題の真相
 □モスクワの涙
 ■外交官生命の終わり
□第3章 作られた疑惑
□第4章 「国策捜査」開始
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。

 


外交官生命の終わり

2月20日の衆議院予算委員会で、共産党の佐々木憲昭議員が外務省の内部文書を暴露し、国後島のプレハブ建築「友好の家」の入札を巡って、鈴木氏からの不当な圧力があったのではないかと追及した。この瞬間から世論のみならず自民党の鈴木氏に対する風当たりも急速に強まった。
外務省員が政策に対する理解を求めるために与党の有力政治家に内部文書を渡すことはときどきある。しかし、「革命政党」である共産党に外務省から秘密文書が流れるというのは、別次元の問題だ。それは外務省内部の権力抗争に勝利するためには共産党と手を握ってもよいというところまで一部外交官のモラルが低下したということを意味していた。
田中眞紀子女史の失墜を図るためのさまざまな情報戦により、文書流出に対する抵抗感が薄れたのだろう。「トリックスター」の遺した思わぬ後遺症で、外務省の地下に封じ込められていた憤懣、嫉妬、怨念などどろどろしたものが全て吹き出してきたのである。
21日早朝、情報ブローカーから電話がかかってきた。
「支援委員会絡みで東京地検特捜部が動くよ。足寄(鈴木氏の出身地)のオッサンは塀の中に落ちるから、あなたは早くあのオッサンとは縁を切った方がいいよ」という話だった。

22日昼、私は今井正国際情報局長に呼ばれた。私から、「危ないと思う。そろそろ国際情報局から私が離れないと組織に迷惑がかかる」と報告した。
今井局長は、「僕もそう思う。ただし国際情報局に迷惑とかいう話ではなく、あなた個人が狙われ、危ない目に遭うことを僕は心配している。早く人事異動の希望を出した方がよいと思う」と言った。私は、中東の2カ国と中南米の1カ国を希望先として述べた。
午後4時過ぎに今井局長から私と課長が呼び出された。今井氏は、涙を流しながら私に伝えてきた。
「斎木(人事課長)のガードがいつになく堅かった。一足遅かった。官邸からの指示で、外交史料館に異動になる。5時に辞令が交付される。ひどい話だ。理不尽だ」
私は、「官邸の指示ならば仕方がないですね。ただし、これで終わりではないでしょ う」と淡々と答えた。
今井局長は、私が外交史料館に異動になり、私に対するバッシングが強まり、処分された後も私に人間としての温かさをもって接してきた数少ない幹部だった。5月に今井氏はイスラエル大使としてテルアビブに赴任した。
2003年10月8日に私が512日間の拘置所生活から保釈された直後、イスラエル関係者から連絡があった。その中で、「今井大使は、イスラエルの政治エリートからとても信頼されている。佐藤さんの播いた種は確実に育っている」という話を聞いた。私の外交官生命は、東京地検特捜部に逮捕された02年5月14日よりも少し早く終わっていた。私の理解では、それは官邸の指示に基づき私が外交史料館に異動になった2月22日だった。これは同時に外務省の鈴木宗男氏に対する訣別宣言であったし、私が追求してきた形での情報収集、調査・分析機能の強化に外務省が「ノー」という判断を下した日でもある。


小泉政権の誕生により、日本国家は確実に変貌した。私はこれまで、私自身が見聞きしたことを中心にその変貌をたどってきた。この章のまとめとして外交政策、外務省を巡る政官関係に絞って、その意義を簡潔に整理してみたい。

第一は、外交潮流の変化である。
「トリックスター」田中眞紀子女史が外相をつとめた9ヶ月の間に、冷戦後存在した三つの外交潮流は一つに、すなわち「親米主義」に整理された。
田中女史の鈴木宗男氏、東郷氏、私に対する敵愾心から、まず「地政学論」が葬り去られた。それにより「ロシアスクール」が幹部から排除された。次に田中女史の失脚 により、「アジア主義」が後退した。「チャイナスクール」の影響力も限定的になった。
そして、「親米主義」が唯一の路線として残った。9・11同時多発テロ事件後の国際秩序を「ポスト冷戦後」、つまり冷戦、冷戦後とも時代を異にする新しい枠組みで提える傾向があるが、日本は「ポスト冷戦後」の国際政治に限りなく「冷戦の論理」に近い外交理念で対処することになった。

第二は、ポピュリズム現象によるナショナリズムの昂揚だ。
田中女史が国民の潜在意識に働きかけ、国民の大多数が「何かに対して怒っている状 態」が続くようになった。怒りの対象は100パーセント悪く、それを攻撃する世論は100パーセント正しいという二項図式が確立した。ある時は怒りの対象が鈴木宗男氏であり、ある時は「軟弱な」対露外交、対北朝鮮外交である。
このような状況で、日本人の排外主義的ナショナリズムが急速に強まった。私が見るところ、ナショナリズムには二つの特徴がある。第一は、「より過激な主張が正しい」という特徴で、もう一つは「自国・自国民が他国・他民族から受けた痛みはいつまでも覚えているが、他国・他国民に対して与えた痛みは忘れてしまう」という非対称的な認識構造である。ナショナリズムが行きすぎると国益を毀損することになる。私には、現在の日本が危険なナショナリズム・スパイラルに入りつつあるように思える。

第三に、官僚支配の強化である。外務省を巡る政官関係も根本的に変化した。小泉政権による官邸への権力集中は、国会の中央官庁に与える影響力を弱め、結果として外務官僚の力が相対的に強くなった。ただし、鈴木宗男氏のような外交に通暁した政治家と切磋琢磨することがなくなったので、官僚の絶対的力は落ちた。
外務官僚は、田中女史、鈴木氏に対する攻撃の過程で、内部文書のリークなど「禁じ 手」破りに慣れてしまい、組織としての統制力がなくなった。組織内部では疑心暗鬼が強まり、チームとして困難な仕事に取り組む気概が薄くなった。
ある意味で、現在の外務省は、「水槽」の中で熱帯魚(外務官僚)たちが、伸び伸びと暮らすことのできる実に居心地の良い世界である。熱帯魚たちは「水槽」の中でその美しさを競い合う。そこでは、美談もあれば人間ドラマもあり、深刻な抗争もある。しかし、所詮は「水槽」の中の世界に限られた話だ。
現実の国際政治は「水槽」の外側、大きな海で行われている。この海に飛び出していく勇気を果たして熱帯魚たちはもつことができるであろうか。熱帯魚を追い立てる力は、「水槽」の内側からは出てこない。国民の利害を体現する外交を実現するためには、政治家の外務官僚に対する圧力は不可欠と今も私は考えている。

 


解説
今井局長は、「僕もそう思う。ただし国際情報局に迷惑とかいう話ではなく、あなた個人が狙われ、危ない目に遭うことを僕は心配している。早く人事異動の希望を出した方がよいと思う」と言った。私は、中東の2カ国と中南米の1カ国を希望先として述べた。

ここは重要です。
佐藤氏は、この時点では「海外に逃げる」ことを考えていたのですね。
残念ながらその希望はかなわず検察に逮捕されるわけですが、逮捕前にはかなり追い詰められた精神状態だったことがうかがわれます。

 

獅子風蓮


佐藤優『国家の罠』その24

2025-02-07 01:14:23 | 佐藤優

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

まずは、この本です。

佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』

ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。

国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第1章 逮捕前夜
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
 □「小泉内閣生みの母」
 □日露関係の経緯
 □外務省、冷戦後の潮流
 □「スクール」と「マフィア」
 □「ロシアスクール」内紛の構図
 □国益にいちばん害を与える外交官とは
 □戦闘開始
 □田中眞紀子はヒトラー、鈴木宗男はスターリン
 □外務省の組織崩壊
 □休戦協定の手土産
 □外務官僚の面従腹背
 □「9・11事件」で再始動
 □眞紀子外相の致命的な失言
 □警告
 □森・プーチン会談の舞台裏で
 □NGO出席問題の真相
 ■モスクワの涙
 □外交官生命の終わり
□第3章 作られた疑惑
□第4章 「国策捜査」開始
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。

 


モスクワの涙

その後、私は以前からの約束があるためモスクワに向かった。モスクワに行く直前にある外国人から連絡があった。1月24日のことである。
「佐藤さん。今、日本から離れない方がよいと思います。これから鈴木宗男さんの周辺でたいへんなことが起きます。佐藤さんが鈴木さんを助けてあげなくてはなりません」
私はこの情報をモスクワ行きの約束を取りやめるほど重要だとは捉えなかった。むしろ最近、鈴木氏と官邸の関係は改善したと見ていた。
2月17日、自民党幹部からモスクワ滞在中の鈴木氏に電話があり、衆議院議院運営委員長に就任して欲しいとの打診があった。議院運営委員長は、議長、副議長に次ぐナンバー3のポストだ。小泉首相の了承なくしてこの人事はありえない。鈴木氏と官邸の関係は十分安定していると私は見ていた。
野上義二事務次官は、田中女史が国会で答弁した野上次官による電話連絡自体を否定。これにより、国会を舞台に大臣と事務次官が全面的に対立するという前代未聞の事態となった。野上次官は特に無理をして鈴木氏を守ったわけではない。事実を事実と言ったのみだ。しかし、世論は、野上次官が嘘をついてまで鈴木氏を守っているとの印象を強めた。
私は、モスクワから毎日一回、鈴木氏に国際電話を入れたが、鈴木氏は「東京は大丈夫だ。あんたはモスクワで思う存分仕事をすればよい」と快活な対応だったので、特に心配もしなかった。
外務大臣と事務次官の国会答弁が食い違うと言うことは、国政で本来あってはならない話だった。どちらかが嘘をついているということだ。しかし、小泉首相は、事実関係を徹底的に詰めることはせずに田中外相、野上次官の両名を更迭し、それと同時に国会混乱の責任をとって鈴木氏は議運委員長を辞任する手続をとった。マスコミはこれを小泉流の「三方一両損」と受けとめたが、実態は少し異なっていた。イニシアティブをとったのは小泉首相ではなく鈴木氏だった。
1月29日夕刻、私はモスクワ・シェレメチェボ国際空港のバーで、見送りに来てくれた気心の知れた書記官と一緒にウオトカを飲んでいた。少し疲れたので、飛行機の中ではゆっくり寝ようと思っていた。私は書記官の携帯電話を借り、東京の親しい政治部記者に電話をした。いつも沈着冷静なその記者が「今はちょっと電話で話ができない。たった今、小泉が眞紀子と野上を更迭した。宗さんも辞表を出した」と早口で言って、電話を切った。
私は鈴木氏に電話をかけた。電話はつながらないものと考えていたが、鈴木氏自身が電話口に出た。私は「こんな形の終わりでいいんですか。嘘をついているのは向こう(田中女史)なんですよ」と言った。
鈴木氏は、「佐藤さん、心配しないでいいよ。これは俺から切ったカードなんだ。『田中をやめさせて下さい。それならば私も引きましょう」と俺から総理に言ったんだ。総理から担保もとっている。田中をやめさせただけでも国益だよ」と淡々と電話口で述べた。
私の眼から涙がこぼれた。私は涙もろい方ではない。それ以上に、同行していた書記官は感情を表さない訓練がよくできている人物で、私は彼女が涙を流した姿をほとんど見たことがないが、彼女ももらい泣きをしていた。書記官が私に「佐藤さん、ほんとうにこれで終わり、大丈夫と思いますか」と問いかけてきた。
私は「大丈夫ではないと思う。これから1ヵ月が勝負だが、もはや僕たちの手を離れた世界の話だ。僕は生き残れないかもしれない。あなたたち若い人は、うまく逃げ切ることだ。僕はもうモスクワには来ることもないかもしれない」と答えた。

外務省では、大多数の省員が田中更迭を歓迎したが、これと共に鈴木宗男氏の影響力が決定的に強まり、田中時代に鈴木氏、更に私と対峙した人々には激しい圧迫が加えられるとの恐怖が走った。
2月1日、イーゴリ・イワノフ露外相が訪日した。その晩、イワノフ外相、森前首相、鈴木氏との会談が六本木の寿司屋で行われ、私も同席した。夕食会の後、イワノフ外相は小泉首相を表敬した。寿司屋の外ではテレビカメラを含め数十名の記者が待機しているので、私と鈴木氏は、15分程時間をおいて外に出た。幸い記者は去った後だった。
車で外務省に戻ろうとする途中で携帯電話が鳴った。パノフ大使からだ。これからイワノフ外相の部屋に鈴木氏を呼び、明日の外相会談の準備も兼ねてざっくばらんな話をしないかという提案だった。
私は角崎利夫欧州局審議官と外務省の通訳に電話をして、ホテルに来るように頼んだ。イワノフ外相と鈴木氏の間では、タジキスタンにおける日露の戦略的提携とイルクーツク首脳会談までの合意を踏まえて今後の平和条約交渉を加速させることについて意見交換がなされた。
鈴木氏は、平和条約交渉について、北方四島が日本領と確認されない限り平和条約は締結できないという原則だけは絶対に譲らなかった。また、領土問題を迂回して経済関係が発展できるとの立場にも与しなかった。上手な連立方程式を作って、領土も経済も戦略的提携も日本にとって有利な方向に進めるとの野心をもっていることをロシア人の前で隠さなかった。このように北方領土問題にあくまでもこだわったことでロシア人政治エリートは鈴木氏、東郷氏、そして私を信頼したのである。ロシア人とは原理原則を大切にする相手とだけ真剣な取り引きをするのである。
その日は徹夜で会談記録を作り、翌2月2日午前中に十全ビルの鈴木事務所を訪れ、渡した。外にはテレビの中継車が一台停まり、十数名の記者がいたが、幸い私に気付いた者はいなかった。
鈴木氏は「あんたと俺のツーショットをみんな狙っているので、注意しよう」と言った。そして、私が鈴木宗男氏と会うのはこれが最後となった。
その後も、逮捕される5月14日まで、毎日、最低2回は私は鈴木氏に電話を入れるようにしたが、面会は差し控えた。
イーゴリ・イワノフ外相と鈴木氏が外相会談前に会ったということは、一部外務省幹部にとっては衝撃だった。「今後、重要なことは全て裏で鈴木が決めるようになる。これでは外務省はいらなくなる」といった内容の外務省幹部のオフレコ懇談の内容が私の耳にも入った。

今回はワイドショー、週刊誌のみならず一般紙も鈴木叩きの論調に傾いた。「鈴木宗男の運転手をする外務省幹部」という見出しで私を扱った記事が「週刊文春」に出たのを契機に、外務省内部、それもロシアスクールの幹部しか知らない内容に種々の嘘を混ぜた情報が各週刊誌、月刊誌に掲載されるようになった。この嵐は止まらないというのが私の見立てだった。外務省幹部の何人かからアプローチがあった。
「君も早く鈴木攻撃を始めろ。そうすれば逃げ切ることができる」という話が大半だった。これに対して、「私は鈴木宗男を外務省員としても、佐藤優個人としても尊敬しています。ですからそのような話には乗れません」と答えた。
その後、外務省内部の調査でも私はこのフレーズを繰り返すことになる。もちろん、私には鈴木氏への想いもある。しかし、それよりも私は、この騒動を私が付き合っている外国人たちがどう受けとめるかということに関心があった。
私を含め、外務省関係者は鈴木宗男氏こそが日露関係のキーパーソンであるとロシア人に紹介してきた。もし、私が鈴木氏を裏切れば、ロシア人は今後、日本人外交官がどのような政治家をキーパーソンと紹介しても、信用しないであろう。私が最後まで鈴木氏と進み、一緒に沈めば、ロシア人は「われわれが信用する日本人外交官が、この政治家は信用できるといえば、それは本気の発言だ。政治の世界に浮き沈みはつきものだ。いつかまた、われわれが信用する日本人外交官がこの政治家は信用できると言って紹介してくれば、その話に乗ってもロシア側が裏切られることはない」と受けとめてくれる。これがロシア人の常識なのだ。
ロシア人はみなタフネゴシエーターで、なかなか約束をしない。しかし、一旦、約束すれば、それを守る。また、「友だち」ということばは何よりも重い。政治体制の厳しい国では、「友情」が生き抜く上で重要な鍵を握っているのである。このことはイスラエルをはじめとして世界中で活躍するユダヤ人についても言えることだった。私が沈むことによって、ロシア人とユダヤ人の日本人に対する信頼が維持されるならば、それで本望だと私は思った。
竹内行夫駐インドネシア大使が事務次官に任命された時点で、私は腹を括った。竹内次官の哲学はただ一つ、外務省という「水槽」を守ることだ。この点で、竹内氏は野上次官の正統な後継者である。本質的にノンポリなのである。川島前次官、丹波外務審議官、東郷局長がもっていたような、政治のダイナミズムを巧みに用いて外交ゲームをしようという腹はない。
もちろん、竹内次官の内在的ロジックでは、外務省という「水槽」が維持、強化されることが、国益なのであろう。ただし、この類の人物は鈴木宗男氏を排除したいと強く考えていても自らリスクを冒すことはない。全ては官邸、それも小泉首相がどう考えるかで動くタイプの官僚と見ていい。
鈴木氏が田中更迭にあたって「鈴木氏からカードを切った」ことが恐らく裏目に出るだろうと私は思った。小泉氏にすれば、それは鈴木氏が閣僚人事にまで手を突っ込んできたことになる。
鈴木氏本人は、嫉妬心が希薄な人物だけに田中女史や小泉氏の嫉妬心に気がついていない点が致命的に思えた。2月1日の参議院予算委員会で小泉総理が「今後、鈴木議員の影響力は格段に少なくなる」と述べたことはレトリックではない。この時点で既に流れは決まっていたのである。そして、これはほんとうの戦争だ。いくところまでいくだろう。しかも、私の持ち時間は限られている。私は背筋が寒くなるのを感じた――。

 

 


解説
小泉首相は、事実関係を徹底的に詰めることはせずに田中外相、野上次官の両名を更迭し、それと同時に国会混乱の責任をとって鈴木氏は議運委員長を辞任する手続をとった。マスコミはこれを小泉流の「三方一両損」と受けとめたが、実態は少し異なっていた。イニシアティブをとったのは小泉首相ではなく鈴木氏だった。
(中略)鈴木氏は、「佐藤さん、心配しないでいいよ。これは俺から切ったカードなんだ。『田中をやめさせて下さい。それならば私も引きましょう」と俺から総理に言ったんだ。総理から担保もとっている。田中をやめさせただけでも国益だよ」と淡々と電話口で述べた。

私は、別のところ(獅子風蓮の夏空ブログ)で、この本『国家の罠』のマンガ版ともいうべきマンガのことを書いています。

マンガ「憂国のラスプーチン」を読む その23(2025-01-28)
ここでは、小泉首相の側から田中真紀子を最初に切ったかのような書き方になっています。
この本『国家の罠』と、ちょっと食い違いますね。
どちらが正しいのでしょうか。

 

獅子風蓮


佐藤優『国家の罠』その23

2025-02-06 01:53:14 | 佐藤優

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

まずは、この本です。

佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』

ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。

国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第1章 逮捕前夜
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
 □「小泉内閣生みの母」
 □日露関係の経緯
 □外務省、冷戦後の潮流
 □「スクール」と「マフィア」
 □「ロシアスクール」内紛の構図
 □国益にいちばん害を与える外交官とは
 □戦闘開始
 □田中眞紀子はヒトラー、鈴木宗男はスターリン
 □外務省の組織崩壊
 □休戦協定の手土産
 □外務官僚の面従腹背
 □「9・11事件」で再始動
 □眞紀子外相の致命的な失言
 □警告
 □森・プーチン会談の舞台裏で
 ■NGO出席問題の真相
 □モスクワの涙
 □外交官生命の終わり
□第3章 作られた疑惑
□第4章 「国策捜査」開始
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。

 


NGO出席問題の真相

しかし、私がこの事件について調査することはなかった。なぜなら、日本に到着するとアフガニスタン復興支援東京会議へのNGO出席問題を巡って、鈴木氏、田中女史の間で戦端が開かれ、その過程で私にも火の粉が降ってきたので、もはや調査をする余裕などなくなってしまったからである。
2002年1月21日に開催されたアフガニスタン復興支援東京会議に二つのNGOが招待されなかったが、それが鈴木氏の明示的圧力によるものだったという憶測が強まった。1月24日の衆議院予算委員会で、菅直人民主党党首が「鈴木氏が一部NGOを出席させないように指示をしたと言われているが、そのようなことがあったのか」という質問をした。
これに対して、田中女史は、「21日に(野上)事務次官に電話で話をしたら、そうした名前があったことを、私は確認している」と答えた。この時から、鈴木宗男バッシングが本格化し、それが私を巻き込み、私の外交史料館への異動、私や東郷和彦駐オランダ大使、森敏光駐カザフスタン大使、渡邉正人技術協力課長ら鈴木派と目された官僚への処分、そして、私の逮捕へとつながっていく悲喜劇の序章となるのである。
私はNGO出席問題の発端を知る数少ない人間である。私が見るところ、この件に関するいずれの報道も正確ではない。
それは、モスクワでの出来事だった。先に述べたように、1月17日の夜は、プーチン大統領との会談の見通しが立たず、森氏も鈴木氏も神経過敏な状態にあった。鈴木氏のお世話係としては私が、森氏のお世話係としては佐々江賢一郎アジア大洋州局審議官が同行していた。佐々江審議官は、森氏が総理時代に外務省から出向した秘書官だった経緯からこのような人選となった。
17日、大使公邸で行われた夕食会で、丹波大使が「まだ返事が来ないので、プーチン大統領との会談は今回は難しいかもしれません」と言った。森氏の眉間が一瞬引きつったが、森氏は特に感情的な対応をせずに食事を続けた。
夕食会を終え、車に乗り込むところで、森氏は私と佐々江審議官に対し、怒気をはらんだ声で、「これから新聞記者を集めてくれ。事情を説明し、予定を早めて日本に帰る。あの大使はちょっとピントがずれている」と言った。「予定を早めて」と言っても、東京行きの飛行機は、予定便の明日の夕刻までないので、これは丹波大使の発言に対する森氏の強い不快感の表明だった。
私は、森氏に「まだ時間があります。(森)総理は日露関係で最重要人物ですので、軽々な発言をプレス(マスコミ)にされては、国益が傷つきます」と答えた。更に、大使館からホテルまでの車中で、私は鈴木氏に「会見をやめさせなくてはならない」と言った。メトロポール・ホテルに着いたところで、エレベーターの前で森氏が私に耳打ちをし、「もう少し待つよ。今日は会見をしないよ」と囁いた。
ホテルで私が森氏の部屋に入ろうとすると、佐々江審議官にさえぎられた。森氏、鈴木氏、佐々江氏の3人で30分程度、打ち合わせをしたようで、その後、部屋から出てきた鈴木氏に「ちょっと来てくれ」と私は部屋に呼ばれた。
鈴木氏は、「佐藤さん、佐々江も相当なもんだな。『丹波はちょっとおかしいんです。ズレています。もう終わった人間です」と散々丹波の悪口を言って森さんをなだめていた。全く、あっちにはこう言い、こっちにはああ言いだ」と吐き捨てるように言った。
その後、私は、プーチン大統領との会見を取り付けるために、鈴木氏の目の前であちこちに電話した。
現地時間の午後10時前に部屋のドアを叩く者がいる。誰かと思って出てみると佐々江審議官だった。佐々江氏が「ちょっと別件で鈴木大臣に相談があります」と入ってきた。私は「まずい」と思った。
政治家にはスイッチがある。スイッチが入っていない時に、話をもっていっても政治家の頭には入らず、感情的な反発を買うだけだ。特にプーチン大統領との会談の成否は鈴木氏のロシア・チャネルの真価が測られる、少し大げさに言えば、鈴木宗男の政治生命のかかった事案だった。こんなときに別件をもってくるのはまずい。それに鈴木氏はさきほどの佐々江審議官の森氏に対する説明に不快感を抱いている。それでも、結局、佐々江氏は半ば強引に部屋に入った。
佐々江審議官の別件とは、アフガニスタン復興支援東京会議に参加するNGOについて、鈴木氏の了承を求めることだった。佐々江氏は、「もうタイムリミットですので」と前置きした上で、「ピースウィンズ・ジャパン、ジャパンプラットフォームはかつて問題を起こした団体で、特にカネの使途で問題があったので、今回は外します」という外務省の判断を伝えた。
鈴木氏は、「それでいいよ」と答えた。それだけのことである。その時、NGO団体の相互関係について佐々江審議官の説明が鈴木氏の理解と異なるので、深夜であるにもかかわらず外務省の担当課長を電話でたたき起こしたとのエピソードもあったが、鈴木氏の方から、どの団体を入れるなという話は全くなかった。
鈴木氏の問題意識は、アフガニスタンのタリバンはまずNGOを深くアフガニスタン奥地に引きずり込んで、それから民間人を人質にとる計画を立てているという有力情報があるので、外務省が「引け」と言ったときにそれを聞くような信頼関係がある団体を重視すべきだということだった。この考えが妥当かどうか、あるいは事前に鈴木氏の了承を求める必要があったのかについては種々の意見があろう。しかし、鈴木氏が「二つのNGOを参加させるな」と言った事実はない。また、この時点で鈴木氏は大西健丞(けんすけ)ピースウィンズ・ジャパン代表に関する記事を読んでいない。
東京に戻る飛行機の中で、鈴木氏は私に18日付朝日新聞朝刊のひと欄に載った大西 健丞氏のインタビューを示し、「お上の言うことは信用できないなんて言っているけど、こういう人たちがアフガニスタンに行くとトラブルが起きるね」と言った。
成田で積み込まれた18日付各紙朝刊を鈴木氏が読んだのは日本時間で19日のことである。その前に外務省は二つのNGOを招待しないと鈴木氏に伝えたのである。この事実は動かない。従って、鈴木氏が朝日新聞で大西氏についての記事を読んで圧力をかけたということは事実に反する。
鈴木氏からすれば、外務省が自らの判断で、二つのNGOを参加させないという決定をし、その了解を求められたのに、それが鈴木氏の圧力とされたのは何とも腑に落ちないことではあったにちがいない。しかし、鈴木氏は「誰かが俺の名前を勝手に使ったな」という形で外務官僚に詰め腹を切らせるシナリオだけは避けようとした。むしろこの機会に、事実と異なる国会答弁で鈴木氏を追い込もうとした田中女史と全面対決し、決着をつけようとしたのである。
私は「世論の流れは99パーセント、田中の婆さんを支持していますよ。大丈夫ですか」と言った。鈴木氏は、「こっちが完全に事実に根ざしていて、向こうが嘘をついている時は、闘いは思ったよりも有利なんだよ。相当、血は流れるかもしれないけれど、この辺で決着をつけておかなくてはならない」と言った。鈴木氏の見通しは甘かった。

 


解説
私はNGO出席問題の発端を知る数少ない人間である。私が見るところ、この件に関するいずれの報道も正確ではない。
それは、モスクワでの出来事だった。先に述べたように、1月17日の夜は、プーチン大統領との会談の見通しが立たず、森氏も鈴木氏も神経過敏な状態にあった。鈴木氏のお世話係としては私が、森氏のお世話係としては佐々江賢一郎アジア大洋州局審議官が同行していた。(中略)
成田で積み込まれた18日付各紙朝刊を鈴木氏が読んだのは日本時間で19日のことである。その前に外務省は二つのNGOを招待しないと鈴木氏に伝えたのである。この事実は動かない。従って、鈴木氏が朝日新聞で大西氏についての記事を読んで圧力をかけたということは事実に反する。
鈴木氏からすれば、外務省が自らの判断で、二つのNGOを参加させないという決定をし、その了解を求められたのに、それが鈴木氏の圧力とされたのは何とも腑に落ちないことではあったにちがいない。


NGO出席問題の真相が分かりやすく語られています。

 

獅子風蓮


佐藤優『国家の罠』その22

2025-02-05 01:30:51 | 佐藤優

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

まずは、この本です。

佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』

ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。

国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第1章 逮捕前夜
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
 □「小泉内閣生みの母」
 □日露関係の経緯
 □外務省、冷戦後の潮流
 □「スクール」と「マフィア」
 □「ロシアスクール」内紛の構図
 □国益にいちばん害を与える外交官とは
 □戦闘開始
 □田中眞紀子はヒトラー、鈴木宗男はスターリン
 □外務省の組織崩壊
 □休戦協定の手土産
 □外務官僚の面従腹背
 □「9・11事件」で再始動
 □眞紀子外相の致命的な失言
 □警告
 ■森・プーチン会談の舞台裏で
 □NGO出席問題の真相
 □モスクワの涙
 □外交官生命の終わり
□第3章 作られた疑惑
□第4章 「国策捜査」開始
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。

 


森・プーチン会談の舞台裏で

1月17日、私たちはモスクワでプーチン大統領との会見日時の連絡を待っていた。丹波實大使がロシア外務省と掛け合ったが、なかなか返答が来ない。同日夜になっても確実な返事は来なかった。
森前総理とプーチン大統領の会見については、外務省以外のチャネルも用い、会談は成立するとの返答を得ていたのだが、ロシア外務省からは、連絡が来なかった。私は森氏に呼ばれ、「プーチン大統領との会談の見通しが立たないならば、記者会見を行って帰国するので、君の正直な見通しを述べろ」と言われた。鈴木氏は私の眼をじっと見つめた。
私は、「何か異変が起きています。どこかで妨害が入っているのでしょう。それを確かめるチャネルがもう一つあります。あまり借りを作りたくないチャネルなのですが、全ての手を尽くせと言うならば使いましょう」と言った。
鈴木氏は、即時に「あらゆる可能性を試してくれ」と言った。私はある民間の外国人に電話をし、その人物に事情を話すと45分以内に返事をすると言った。30分も経たずに返事が来た。
「イーゴリ・イワノフ外相と電話で話した。プーチンは森総理と会う。心配しないでよい」
その後、ロシア外務省から、大使館に週末、プーチンが別荘で森総理とゆっくり会見するとの返答が来たが、日程上不可能なので、18日中に是非とも会いたいと再折衝した。18日の朝早く、プーチンは森総理と昼食を伴った会見をするが、同席は通訳のみにして欲しいとの連絡があった。丹波大使はロシュコフ外務次官に電話し、「鈴木氏も同席させて欲しい」と強く要請したが、ロシュコフ次官からは「これ以上は逆効果だ」という最終回答が来た。
森氏と鈴木氏が相談した結果、クレムリンまで同じ車で行き、森氏が鈴木氏に挨拶の機会をつくることを試みることになった。私は、ロシア政府のチャネル、民間チャネルの双方を用いて、鈴木氏の同席を認めるように頼んだ。二人とも「できるだけのことをする」と約束した。その内のひとりが「これはロシア側の問題ではない」と述べた。要するに、日本側で誰かが鈴木氏の同席を妨害しているということである。
「大使館では丹波大使以下、鈴木氏の同席実現に向けて全力を尽くしている。大使館が裏表のある行動をとることは考えられない。そうすると東京で妨害をしている者がいるということだ。しかも、ロシア側に影響を与えうる人物だ。誰なんだ。外務官僚にその胆力はない。田中眞紀子外相か。彼女はそのような仕掛けはできないし、田中女史が働きかけてもロシア側は反応しないだろう。そうなると官邸か。誰だ。いったい誰が仕掛けているんだ」と私は考えを巡らせた。しかし、私はこの情報を鈴木氏に伝えなかった。
一行が宿泊するメトロポール・ホテルから、三台の車が出発した。第一号車には、森氏、鈴木氏と通訳、第二号車には、カメラマンと大使館の書記官、第三号車に私と大使館の篠田研次公使が乗り込んだ。篠田氏と私の任務は、クレムリンの現場で折衝し、何としてでも鈴木氏の同席を確保することだった。
クレムリンの正門に着いた。検問で、私と篠田氏の乗った車はクレムリンへの立ち入りを拒否された。私と篠田氏は、クレムリンの裏門に回り、そこから駆け足で、大統領府建物に近付こうとした。この間、十分程度であったが、二、三時間の如く感じられた。モスクワは氷点下だったが、私は汗だくになった。
大統領府建物に向かって走っていくと、クレムリンの警備員に制止された。事情を説明していると、向こう側から鈴木氏が走ってこちらに向かってきた。「いや、入口で髭のおじさんにあなたはダメだと制止されちゃったよ。まあ、森さんがプーチンと会えたんだから、これでよかったんじゃないか」と笑っていたが、眼は笑っていなかった。
ホテルに戻ると私は鈴木氏とサシで話をした。鈴木氏は怒りで震え、「佐藤さん、この経緯がどういうことだったか、東京に帰ってから徹底的に調べてくれ。誰が俺の同席を邪魔したのか。ロシア側なのか日本側なのか、徹底的に調べてくれ」と言った。
私は「わかりました」と答えた。本格的な政争に巻き込まれると感じた。

 


解説
18日の朝早く、プーチンは森総理と昼食を伴った会見をするが、同席は通訳のみにして欲しいとの連絡があった。丹波大使はロシュコフ外務次官に電話し、「鈴木氏も同席させて欲しい」と強く要請したが、ロシュコフ次官からは「これ以上は逆効果だ」という最終回答が来た。(中略)
「大使館では丹波大使以下、鈴木氏の同席実現に向けて全力を尽くしている。大使館が裏表のある行動をとることは考えられない。そうすると東京で妨害をしている者がいるということだ。しかも、ロシア側に影響を与えうる人物だ。誰なんだ。外務官僚にその胆力はない。田中眞紀子外相か。彼女はそのような仕掛けはできないし、田中女史が働きかけてもロシア側は反応しないだろう。そうなると官邸か。誰だ。いったい誰が仕掛けているんだ」と私は考えを巡らせた。

前回、佐藤氏が「小泉総理周辺が外交に与える鈴木宗男先生の急速な影響力拡大に危惧を抱いている。半年後に鈴木氏は政界から葬られているだろう」との深刻な警告を外国の政府関係者から受けたという話がありました。
小泉総理周辺=官邸が、鈴木宗男氏の力を削ぐために横やりを入れたということでしょうか。

 

獅子風蓮


佐藤優『国家の罠』その21

2025-02-04 01:04:32 | 佐藤優

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

まずは、この本です。

佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』

ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。

国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第1章 逮捕前夜
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
 □「小泉内閣生みの母」
 □日露関係の経緯
 □外務省、冷戦後の潮流
 □「スクール」と「マフィア」
 □「ロシアスクール」内紛の構図
 □国益にいちばん害を与える外交官とは
 □戦闘開始
 □田中眞紀子はヒトラー、鈴木宗男はスターリン
 □外務省の組織崩壊
 □休戦協定の手土産
 □外務官僚の面従腹背
 □「9・11事件」で再始動
 □眞紀子外相の致命的な失言
 ■警告
 □森・プーチン会談の舞台裏で
 □NGO出席問題の真相
 □モスクワの涙
 □外交官生命の終わり
□第3章 作られた疑惑
□第4章 「国策捜査」開始
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。

 


警告

2001年11月30日から12月2日、フリステンコ・ロシア副首相が訪日した。フリステンコ氏は、エリツィン時代からの閣僚で、プーチン大統領側近グループとはいまひとつソリが合わないので、解任されるのではないかという憶測も強かったのだが、鈴木氏はフリステンコ氏を大切にし、日露関係を発展させる上でフリステンコ副首相は最適の人物であるというシグナルをクレムリンに流し続けた。
フリステンコ氏はクレムリンのサバイバルゲームを勝ち抜き、プーチン大統領の信任を得るようになった。年齢が近いこともあるせいか、フリステンコ氏は私をとても可愛がってくれ、東京でもモスクワでも外交儀礼上は考えられないことであるが、私とサシで会ってくれた。訪日期間中、フリステンコ副首相は、毎晩、鈴木氏と懇談した。その懇談には、丹波實駐露大使、角崎利夫外務省欧州局審議官、パノフ駐日大使、ロシュコフ露外務次官などの主要プレーヤーも同席した。
その席で、フリステンコ副首相が大きな声で次のように言った。ロシア語には、丁寧語と身内の間で使う、荒っぽい表現があるが、非公式な席でフリステンコ副首相、パノフ大使、ロシュコフ外務次官といった人たちは私に荒っぽい表現を使う。私も荒っぽい表現を使う。
「サトウ、元気をだせ。人生ではいろいろなことがある。いったい何でそんな悲しそうにしているんだ」
「僕は別に悲しそうになんかしていない」そこで、パノフ大使が茶化して言う。
「田中眞紀子外相にいじめられているんだ。佐藤さんがいじめられて弱くなると、日本の交渉力が弱くなるんで、ロシアとしては都合がよいのだけれども、これは由々しき事態なんだ」
ロシュコフ次官が言う。
「佐藤さんはたいへんな愛国者だ。僕たちも愛国者だから、タフネゴシエーターでも愛国者を尊敬するんだよ。田中外相だって、もう少し経てば佐藤さんの価値をきちんと評価するよ。昔のように頻繁にモスクワに来いよ。いつだってサシで会うぜ」
フリステンコ副首相が私の方を向いて聞く。
「俺もサシで会うぜ。何とか言えよ。何で元気がないんだ」
ロシア高官達の気遣いはとてもありがたかった。こういうときに生真面目な返答をしてはだめだ。ユーモアで切り返す必要がある。
「僕は元気だ。世の中の政治家は、とてもよい政治家とよい政治家に分けることができる。橋本龍太郎、森喜朗はとてもよい政治家で、僕はとても尊敬している。フリステンコもとてもよい政治家で、僕はとても尊敬している。鈴木宗男もとてもよい政治家で、僕はとても尊敬している。それに較べて田中眞紀子はよい政治家だ。だから何も問題はない。よい外相に巡り会い、人生にはいろいろなことがあると思っているだけだ」
ロシア人はみんな大笑いした。「嫌い」という言葉を一言も使わないで、私の気持ちを率直に伝えることができた。
この時の会談記録が、後に鈴木宗男事務所から押収され、このときの会談内容についても私は取り調べを受けた。検察は何としても私と鈴木氏の間に犯罪を作り出そうとし、猟犬の如く嗅ぎ回ったのである。しかし、東京地検特捜部は犯罪を作り出すことができなかった。
私はモスクワ出張を再開した。ロシア人の友人たちはとても喜んで、心の仕事を助けてくれた。
翌2002年1月、鈴木氏は再度タジキスタンを訪問し、帰路、モスクワで森喜朗前総理と合流し、1月18日にクレムリンでプーチン大統領と会談する予定ができた。ここでちょっとした異変が起きる。
今から考えると、この時に、その後、国策捜査の対象として鈴木宗男氏、そして私が狙われる伏線が潜んでいたのだが、そのことに私は気付かなかった。正確に言うと、いくつかのシグナルが入っていたのだが、その情報の評価を私は誤ったのである。
深刻な警告は02年初め、ロシアではない別の外国政府関係者から寄せられた。
「小泉総理周辺が外交に与える鈴木宗男先生の急速な影響力拡大に危惧を抱いている。半年後に鈴木氏は政界から葬られているだろう」
それから暫くして、ある外交団の幹部が、山崎派参議院議員の実名をあげ、「この人が、鈴木宗男排除を小泉総理は決めたので、鈴木を窓口とする国は早くチャネルを変更したらよいとの話を流している」との情報が入った。
日本人情報ブローカーからも少しタイムラグを置いて、同内容の情報が入るようになった。情報の筋が一貫しているので、どこかに司令塔のある情報であることは間違いなかった。

 


解説
深刻な警告は02年初め、ロシアではない別の外国政府関係者から寄せられた。
「小泉総理周辺が外交に与える鈴木宗男先生の急速な影響力拡大に危惧を抱いている。半年後に鈴木氏は政界から葬られているだろう」
それから暫くして、ある外交団の幹部が、山崎派参議院議員の実名をあげ、「この人が、鈴木宗男排除を小泉総理は決めたので、鈴木を窓口とする国は早くチャネルを変更したらよいとの話を流している」との情報が入った。

こうして有能な外交力をもった政治家が失脚させられていくのですね。

 

獅子風蓮