正木伸城さんは創価学会元理事長・正木正明氏の息子で、創価中学校、創価高校、創価大学と一貫して創価学園に学んだ経歴を持ち、創価学会本部職員として働いた経歴をお持ちです。
組織のあり方に疑問を持ち本部職員を退職した後も創価学会にとどまり、ライターとして活動していらっしゃるそうです。
「週刊新潮」(2022年12月1日号)に、正木伸城さんの手記が載っていました。
以下、「週刊新潮」の記事の引用をもとに解説します。
池田先生にお応えする戦い
学会員は選挙のことを「法戦」と呼ぶ。 法戦の過程で学ぶのは、公明党の実績や党の候補者の情報ばかりだ。地域の会合では法戦の成果が活動報告・エピソードとしてシェアされ、数字として報告される(いわゆるF票=フレンド票の獲得数、投票依頼などをした数がその一例である)。もちろん 幹部は公明党礼賛の話しかしない。熱心な末端活動家も党の支持者ばかりだ。そんな人たちに囲まれながら、仮に「公明党以外の党にもこのようなすばらしさがあるので、別の党を応援したい」と表明するとしたら?そう思ったとしても、口に出して言うのはかなり難しい。
しかも、活動の現場では公明党支持と信仰が結びつけて語られることさえある。一言でいえば「公明党を応援できないあなたには信心がない」と見做される場合があるのだ。熱心な学会員であればあるほど、そう見られることに強い抵抗を感じるのは当然である。そのような学会員たちは納得がいかないまま公明党を応援し、信仰と選挙応援のはざまで葛藤し、苦しむことになる。
たとえば2015年ごろの安保法制の議論の際には、法案成立を目指す自民党に追随していた公明党に異論を唱えた学会員がいたし、学会内でも法案そのものについて意見が分かれた。これは、古くは1999年に自民党と連立を組んだ時 (それまでの公明党は自民党をさんざん攻撃してきたので、連立は学会員にとっても驚きだった)や、2003年の自衛隊イラク派遣などの際にも見られた現象である。
かつて私が所属していたある地域の組織では、学会に入会した新しいメンバーが法戦の段になってついていけなくなり離脱したことがあった。公明党の政策によって、学会が「居づらい場所」になってしまったのだ。
とはいえ多くの学会員は、最後は「池田先生が作られた公明党だから」と自らに言い聞かせて支持を継続する。しかし、個人的には 「本当にそれでいいの?」 と思う。
一方、公明党支持のマインドにがっちりハマっている熱心な学会員は、使命感に燃えて自ら選挙応援を行う。私も以前はそうだったのでわかるのだが、これがとても楽しいのだ。それま 公明党に賛同していなかった学会員以外の友人が、 自分の語りによって態度を変え、公明党を支持してくれた時の喜びはひとしおだし、何より「政治を通じて世界を変えている」という手応えを感じながら(そう信じながら)法戦に身を投 じることができる。その充実感は、なかなか比較できるものがないレベルだ。
また、多くの学会員は池田大作氏のことを「人生の師匠」と心に定め、法戦を「池田先生にお応えする戦い」と位置づける。その法戦で公明党が完勝した時には「師匠にお応えできた!」と歓喜して涙を流す学会員も少なくない。一般には理解されにくいと思うが、この歓喜があるからこそ創価学会の法戦が前に進むのである。つまり言葉を選ばずに言えば、創価学会にとって法戦は“組織を盛り上げる祭典”の機能を持つ。 学会の強さは法戦によって担保されてきたともいえるのだ。
だが、公明党は2005年の衆院選の比例区で898万票を獲得したのをピークに、得票数を減らし続けている。今年7月の参院選の比例票は618万票だ。17年足らずの間に300万票近くを減らした要因に、学会の法戦に対する考え方や戦い方の負の側面が反映 されていることは間違いないだろう。もちろん、会員数そのものが減少していることも影響「大」だと思う。
【解説】
かつて私が所属していたある地域の組織では、学会に入会した新しいメンバーが法戦の段になってついていけなくなり離脱したことがあった。公明党の政策によって、学会が「居づらい場所」になってしまったのだ。
私は、学生部のときに組織に疑問を持ち、非活になったので、「法戦」を実際には経験していません。F取りもしたことがありません。
究極の「チョイ活」(チョイスという意味のチョイ)でした。
ですから、ほんとうの意味で「法戦」の歓喜も苦しみも知りません。
小中学生のころの記憶として、選挙の終わったあと、布団の上で家族の皆と選挙速報を聞いていたことくらいです。
公明党の全員当選に喜んだりしたり、候補者の落選にがっかりしたり。
その法戦で公明党が完勝した時には「師匠にお応えできた!」と歓喜して涙を流す学会員も少なくない。一般には理解されにくいと思うが、この歓喜があるからこそ創価学会の法戦が前に進むのである。つまり言葉を選ばずに言えば、創価学会にとって法戦は“組織を盛り上げる祭典”の機能を持つ。 学会の強さは法戦によって担保されてきたともいえるのだ。
ですから、この記述には共感を覚えます。
アンチ界隈では、創価学会の選挙というと嫌な思い出しか語られないようなところがありますが、実際にどっぷりと創価の選挙に漬かっていたときには、それなりの充実感を持ってやっていた人も多いのではないでしょうか。
しかし、正木氏のように、公明党の政策に異論を持つような意識の高い会員には、政策抜きで公明党を応援することは苦痛となります。
こうして、創価学会の中でも比較的高学歴で、自分の頭で物事を考えられる部分、いいかえると真面目で聡明な貴重な戦力になりうる会員が、非活・脱会に向かう契機になっているのです。
皮肉なことです。
そろそろ、創価学会は選挙との関りを考え直す時期に来ているのかもしれません。
獅子風蓮