「県政オンブズマン静岡(静岡県庁の光と闇)~よりよき未来のために~」管理人のブログ

注)teacupブログから移転の2022年5月以前の投稿には、文字コードの違いから多くの文字化けがあります。

抽象が先か具体が先か

2007-07-31 23:15:26 | 日記
「美しい国」、「戦後レジームからの脱却」、かつて「ぶれない若き愛国政治家」としてのイメージを保持していた安部にとって、この抽象的な言葉は力を持った。
同じキャッチフレーズを麻生が掲げることになっていたらどうか。
言葉の方が青臭い。したたかさを持った政治家には、より落ち着いたフレーズの方が座りが良い。
今回の選挙でこの言葉はどう作用したか。
プラスかマイナスか。
はっきりいってマイナスである。

次々と明らかになった現実は、「美しい国」なる抽象的言葉との乖離を際立たせた。
言葉は認知されたが、良い意味としてではなく、批判の道具として広まったのだ。
この言葉がなかったらどうだろう。
批判はもっぱら個別の現実に限定され全体の否定に連なることは避けられたかもしれない。これは、与党が現実の政策の良い点を個別具体に説明しても切り返せないのとは対照的だ。
自分は「こうだ」「こういうものだ」と縛る言葉は、マッチしている間は有効だが、少しでもアンマッチな現実が露呈するとしっぺ返しをくらう諸刃の剣ということだ。
「自分を選ぶか小沢を選ぶか」といった毅然とした覚悟の言葉もしかりだ。

「富国有徳」、「創知協働」、この抽象的な言葉もまた同じであるが、
裏金、箱物、誇大広報の数々、職員の不祥事・・・、と
現実があまりにかけ離れすぎて批判の際の引き合いにさえ出されない。言葉の死に体といってよい。今ではめったに会えないが、真顔でこの言葉を使う人を見ると北朝鮮で将軍様に忠誠を尽し、マスゲームに参加する兵隊さんを連想する。現実(世界)を見たらといいたい。

東京都知事選に出て負けたとはいえ元宮城県知事の浅野さん。宮城県を情報公開先進県として有名にした。
元長野県知事の田中さん。脱ダムという行動で公共事業改革の県をアピールした。
この両県がどのような抽象的な言葉・基本理念なるものを掲げていたかは知らない。しかし、全国的には前述の成果は周知のものとなって両県の評価を高めたことは事実である。
具体的に何をしたか。抽象的理念はその後だ。地に足のついた政治行政を実践することが先決で、抽象的言葉はその過程で固まってくればよい。
伝統でもないカリスマでもない単なる合法的支配の関係においては鉄則だ。