さすが静岡県、やっぱり静岡県、と思わせる事件の幕引きが今日発表された。
事件は平成16年度に国庫補助による道路拡幅工事(県道豊田竜洋線:磐田市内)の用地買収に絡んで、県が買収した用地の明け渡しが済んでいないのに、土地・物件補償費の全額を年度末に支払い、国に対して明け渡しが完了したと虚偽の実績報告をしたところ、平成24年度になっても明け渡しが完了していないことが明らかとなり、結局、国から国庫補助金の返還を求められ、国庫補助金69,158,957円と加算金(遅延損害金)52,844,359円の合わせて1億2,200万3,316円を国に払うこととなったというものである。もちろん、すべて県民の税金による負担である。
県は今日、当時の関係職員(部長級職員ら8人)を処分したと発表したが、すべて「文書厳重注意」。職員の処分というよりも、かつての裏金事件を彷彿させる勲章授与による「事件の処分」である。
よって、これをもって今後の同種事件の抑制が期待できないと考えるのは当然の帰結である。
実際、私がこの活動を始めるきっかけとなったのが土木事務所時代の未完了工事を年度末の繰越事務回避のため「完了」という虚偽で処理する事務を目の当たりにしたからだ。
早速問題提起し、その際には改善のためのミーティングも行われたが、わずか1年で異動となり改善の確認は出来ず仕舞いだったが、その後もやはり変わっていなかったということがこの事件からはっきりしたのである。
いわば今回の事件の顛末は、組織のDNAとなっているものを変えることは何年経とうが、儀式的処分を繰り返そうが、内部からは決して出来ないことの証左である。
さらに、県議会が2月定例会で退職者を含めた関係職員に負担を求める付帯決議をしたものの、県は損害の一部については職員らに任意の拠出金を募るとしたものの、加算金については職員に賠償責任は問えないなどと判断したという。
職員に責任がないから税金(県民)が負担すべきという理屈であるが、ここにこそ静岡県らしさがある。すなわち、言葉の建前とは異なる、県民のための行政ではなく役所組織と役人のための行政という根強い意識の染み付きである。
もっとも、任意の拠出金では額もしれたものであろうから補助金の返還額にさえ到底及ばないものであるが、実に情けない判断である。
東電の組織防衛的隠蔽体質が明らかになり、今またJR北海道のユーザー不在のずさんな体質が明らかになったが、いずれも県庁と同じで官僚体質の組織であり、共通する特徴は組織的不祥事は実質責任を問われることがないという「無責任」だ。
ここが変わらないことには、県民不在の行政が繰り返され、その付けが県民負担となる構図は今後も絶対に変わることはない。
事件は平成16年度に国庫補助による道路拡幅工事(県道豊田竜洋線:磐田市内)の用地買収に絡んで、県が買収した用地の明け渡しが済んでいないのに、土地・物件補償費の全額を年度末に支払い、国に対して明け渡しが完了したと虚偽の実績報告をしたところ、平成24年度になっても明け渡しが完了していないことが明らかとなり、結局、国から国庫補助金の返還を求められ、国庫補助金69,158,957円と加算金(遅延損害金)52,844,359円の合わせて1億2,200万3,316円を国に払うこととなったというものである。もちろん、すべて県民の税金による負担である。
県は今日、当時の関係職員(部長級職員ら8人)を処分したと発表したが、すべて「文書厳重注意」。職員の処分というよりも、かつての裏金事件を彷彿させる勲章授与による「事件の処分」である。
よって、これをもって今後の同種事件の抑制が期待できないと考えるのは当然の帰結である。
実際、私がこの活動を始めるきっかけとなったのが土木事務所時代の未完了工事を年度末の繰越事務回避のため「完了」という虚偽で処理する事務を目の当たりにしたからだ。
早速問題提起し、その際には改善のためのミーティングも行われたが、わずか1年で異動となり改善の確認は出来ず仕舞いだったが、その後もやはり変わっていなかったということがこの事件からはっきりしたのである。
いわば今回の事件の顛末は、組織のDNAとなっているものを変えることは何年経とうが、儀式的処分を繰り返そうが、内部からは決して出来ないことの証左である。
さらに、県議会が2月定例会で退職者を含めた関係職員に負担を求める付帯決議をしたものの、県は損害の一部については職員らに任意の拠出金を募るとしたものの、加算金については職員に賠償責任は問えないなどと判断したという。
職員に責任がないから税金(県民)が負担すべきという理屈であるが、ここにこそ静岡県らしさがある。すなわち、言葉の建前とは異なる、県民のための行政ではなく役所組織と役人のための行政という根強い意識の染み付きである。
もっとも、任意の拠出金では額もしれたものであろうから補助金の返還額にさえ到底及ばないものであるが、実に情けない判断である。
東電の組織防衛的隠蔽体質が明らかになり、今またJR北海道のユーザー不在のずさんな体質が明らかになったが、いずれも県庁と同じで官僚体質の組織であり、共通する特徴は組織的不祥事は実質責任を問われることがないという「無責任」だ。
ここが変わらないことには、県民不在の行政が繰り返され、その付けが県民負担となる構図は今後も絶対に変わることはない。