兵庫県の元西播磨県民局長が、斎藤知事にパワハラの疑いがあるなどとする文書を作成して報道機関などに送り、その後県の内部調査で「文書の核心的な部分が事実ではない」などとされ停職3か月の懲戒処分を受け、県議会が再調査を求め百条委員会設置が決まった事件。
その後、渦中の局長が自殺したと報じられ、ついに昨日、兵庫県の斎藤知事が県職員の労働組合から事実上の辞職を求められたという。
一連の事実関係は今後ある程度は明らかになるのであろうが、注目すべき「がん」はこの職員組合だ。
本来、県職員の労働組合が職員のためにある組織であるならば、局長が内部告発をする前に積極的に動くべきであっただろう。それこそが存在意義のはずだ。
世間の注目が集まった時点でこうした動きをやっと取るというのは偽善、偽物である。
だからこそ、局長は職員(労働者)のために存在していない労働組合を差し置いて、パワハラという職員を苦しめる不正事実を報道機関等の外部に告発するに至ったのであろう。
実は、これは兵庫県にとどまらない現実。
静岡県においても職員組合はいわゆる当局に飼い慣らされている。事実、静岡県においてもこれまでにプール金など幾多の不正がマスコミで報じられてきたが、一度として一番情報を得やすい職員組合から告発された事案はない。
私も実際ある県幹部からは組合幹部に一定のポストを与えていれば奴らはおとなしいと聞いていたので途中で組合からは脱退し自身のことは自身で守ることとし無事定年を迎えた。
リスクをとって組合構成員のために活動する組合幹部という姿はもはや過去の遺物、組合貴族と揶揄される世間像こそ真実に近いということはしっかり認識しておくべきだろう。
県職員、公務員組織は、これはその中にい他ことがなければわからないかもしれないが、村意識・仲間意識が非常に強い。この仲間に県民はもちろん知事も含まれない。だから県民だけでなく知事にも情報をコントロール(隠蔽)する。
兵庫県の元西播磨県民局長は県幹部でありいわゆる当局側である。
仲間である職員からの人望があったとのことで、外部への告発に至ったのは職員の叫びにいたたまれなかったからであろう。
惜しむらくは、定年間近なのに在職中告発とか、勤務時間中に告発作業であるとか、脇が甘く相手に付け入る隙を与えてしまったこと、そして何よりも、巻き込むことになった他の職員を事実上の人質に取られたこと。
現実を直視すれば、今のこの国で内部告発(戦い)を正義感だけですべきではない。
存在意義と向かい合って許容できないときにおいて、あくまで自己責任の範囲で完結できるような形で覚悟を持って行って欲しいと思います。