車両の顔の第44回です。
今回のお顔は・・・
そうです^^
クモハユニ44 801です。
4月4日に日付ネタで登場しましたが、再びの登場です(汗)
どういう訳かクモハユニ44は、この801とばかり出会っていました。
正面の3枚窓が、右へ行くに従い段々と小さくなっていき、窓枠の下側が
階段のようになっているのがユーモラスです(笑)
向かって右側の縦樋だけがクリーム色の部分にまで青15号で塗られていますが、
前年に出会った時は普通の塗り分けだったので、1年の間に縦樋の修理でもされたのでしょう。
801は1935年5月、モハユニ44 002として落成。
新製配置は田町電車区でした。
その後、1950年5月に伊東支区へ転属。
翌1951年3月には富士電車区へ。
この時から身延線での使用が始まりました。
1959年に全面低屋根改造され、独特の風貌となり、車番も44801へと改番。
1969年に所属が沼津機関区へと変わりますが、依然身延線で使用され、
1981年8月に身延線が新性能化される際に、クモユニ143へとバトンを渡し
1982年2月に廃車となりました。
改めて顔を見てみると、リベットの頭が何箇所も無くなっています。
43年間働いてきた証なのでしょう。
人は皺に歴史を刻むといいますが、鋼鉄車はリベットを削られて歴史を刻むようですね。
撮影は1978年3月26日、富士電車区でした。
今回のお顔は・・・
そうです^^
クモハユニ44 801です。
4月4日に日付ネタで登場しましたが、再びの登場です(汗)
どういう訳かクモハユニ44は、この801とばかり出会っていました。
正面の3枚窓が、右へ行くに従い段々と小さくなっていき、窓枠の下側が
階段のようになっているのがユーモラスです(笑)
向かって右側の縦樋だけがクリーム色の部分にまで青15号で塗られていますが、
前年に出会った時は普通の塗り分けだったので、1年の間に縦樋の修理でもされたのでしょう。
801は1935年5月、モハユニ44 002として落成。
新製配置は田町電車区でした。
その後、1950年5月に伊東支区へ転属。
翌1951年3月には富士電車区へ。
この時から身延線での使用が始まりました。
1959年に全面低屋根改造され、独特の風貌となり、車番も44801へと改番。
1969年に所属が沼津機関区へと変わりますが、依然身延線で使用され、
1981年8月に身延線が新性能化される際に、クモユニ143へとバトンを渡し
1982年2月に廃車となりました。
改めて顔を見てみると、リベットの頭が何箇所も無くなっています。
43年間働いてきた証なのでしょう。
人は皺に歴史を刻むといいますが、鋼鉄車はリベットを削られて歴史を刻むようですね。
撮影は1978年3月26日、富士電車区でした。