おはようございます。
今朝はどんよりとした寒い朝です。
今回は1976年4月、同じような空模様の上野駅での写真を紹介します。

特急『とき』のクハ180-5です。
連結器やジャンパ栓が物々しいスカート廻りは『あさま』時代の
碓氷峠越えの名残りです。
1975年10月に189系にバトンを渡してから半年後の姿ですが・・
何気なく撮っていた車番を見てみると・・

早くも『横軽対策車』の証である『Gマーク』は消されていました。
1969年、横軽通過用として新製されたクハ180-5でしたが、
峠越えをしなくなった途端、”雑”にその証を消されてしまっていたのですねぇ。
しかしながら、このクハ180-5。
『とき』撤退後の1984年にはクハ481-500番代へと改造され、
九州の地で1991年まで活躍を続けた強者でもありました^^
九州時代は休鉄期間中だったため、その姿を見る事は出来ませんでしたが、
豪雪との戦いから開放され、温暖な九州を颯爽と走っている姿をカメラに収めたかったものです。
今朝はどんよりとした寒い朝です。
今回は1976年4月、同じような空模様の上野駅での写真を紹介します。

特急『とき』のクハ180-5です。
連結器やジャンパ栓が物々しいスカート廻りは『あさま』時代の
碓氷峠越えの名残りです。
1975年10月に189系にバトンを渡してから半年後の姿ですが・・
何気なく撮っていた車番を見てみると・・

早くも『横軽対策車』の証である『Gマーク』は消されていました。
1969年、横軽通過用として新製されたクハ180-5でしたが、
峠越えをしなくなった途端、”雑”にその証を消されてしまっていたのですねぇ。
しかしながら、このクハ180-5。
『とき』撤退後の1984年にはクハ481-500番代へと改造され、
九州の地で1991年まで活躍を続けた強者でもありました^^
九州時代は休鉄期間中だったため、その姿を見る事は出来ませんでしたが、
豪雪との戦いから開放され、温暖な九州を颯爽と走っている姿をカメラに収めたかったものです。