今回は35年前の昨日、1978年6月18日の写真を紹介します。
当日は、友人と二人で上野を早朝発の高崎線客レで高崎へ向かい、
当時の高崎第二機関区を見学後、新前橋電車区も見学し、
吾妻線に乗り込みました。
たしか、まだ旧国が残っていると思っての吾妻線乗車だったと思いますが、
時すでに遅し・・・乗車したのはピカピカの115系1000番代でした。
旧国に乗れなくて意気消沈していたのか、吾妻線での写真は殆どありませんが、
2枚だけ撮影していました。
1枚目は・・・
名称は忘れてしまいましたが、『日本一短いトンネル』です。
2枚目は・・・
崖にへばりついたような、万座鹿沢口駅に停車中の115系です。
なぜ、このようなアングルで撮影しているかといいますと・・・
写真手前に写っている石塊が、草軽電鉄の橋台跡だったからです。
同行した軽便鉄道好きの友人が教えてくれました。
昭和30年代の台風で橋が流されてしまい、そのまま廃止になったとも聞きました。
彼は中学時代からの軽便鉄道ファンという、なかなかシブい趣味の持ち主です^^
草軽電鉄といえば、今でこそ『カルメン故郷へ帰る』に登場する
なんとも魅力的な軽便鉄道だったと知ってはいますが、
当時はまだまだ関心がありませんでした・・・
当時から関心を持っていれば、もう少し周辺を探索したのでは?と思うと、
やはり少々残念に思います。
そんな軽便好きと旧国好きの、35年前の梅雨の晴れ間の一日でした。
当日は、友人と二人で上野を早朝発の高崎線客レで高崎へ向かい、
当時の高崎第二機関区を見学後、新前橋電車区も見学し、
吾妻線に乗り込みました。
たしか、まだ旧国が残っていると思っての吾妻線乗車だったと思いますが、
時すでに遅し・・・乗車したのはピカピカの115系1000番代でした。
旧国に乗れなくて意気消沈していたのか、吾妻線での写真は殆どありませんが、
2枚だけ撮影していました。
1枚目は・・・
名称は忘れてしまいましたが、『日本一短いトンネル』です。
2枚目は・・・
崖にへばりついたような、万座鹿沢口駅に停車中の115系です。
なぜ、このようなアングルで撮影しているかといいますと・・・
写真手前に写っている石塊が、草軽電鉄の橋台跡だったからです。
同行した軽便鉄道好きの友人が教えてくれました。
昭和30年代の台風で橋が流されてしまい、そのまま廃止になったとも聞きました。
彼は中学時代からの軽便鉄道ファンという、なかなかシブい趣味の持ち主です^^
草軽電鉄といえば、今でこそ『カルメン故郷へ帰る』に登場する
なんとも魅力的な軽便鉄道だったと知ってはいますが、
当時はまだまだ関心がありませんでした・・・
当時から関心を持っていれば、もう少し周辺を探索したのでは?と思うと、
やはり少々残念に思います。
そんな軽便好きと旧国好きの、35年前の梅雨の晴れ間の一日でした。