
大阪城のアセビは赤みがかっていたが、我が家の近くの法面に自生しているアセビは定番の真っ白い壺形の小花をつけている。小花は、手のひらに押し当てると、パチッと小気味良い音がしてつぶれる。それが面白くて「パチコ」と呼び子どもの楽しい遊びだった。今では荷物の緩衝シートが「パチコ」である。



磯の上に 生(お)ふるあしびを
手折らめと 見すべき君が
ありといはなくに 大伯皇女(おほくのひめみこ)(巻二・一六六)
「岩のほとりに生えているアセビを手折りたいけれど、それを見せるべきあなたがこの世にいるわけではないのに」と、亡き弟、大津皇子を思い、悲しい気持ちを詠んでいる。
大津皇子は、天智2年(663年)に生まれ、父は天武天皇(大海人皇子)、母は持統天皇(讃良皇女)の姉・大田皇女。
天武10年(681年)頃、山辺皇女(やまべのひめみこ)と結婚。
天武14年(685年)、大津皇子に浄大弐が授けられる。
朱鳥元年(686年)10月2日謀反を企てたかどで逮捕される。
朱鳥元年(686年)10月3日、24歳で死去。
「あしび」は今の「アセビ」のこと。漢字では「馬酔木」と書く。万葉の時代から身近に親しまれてきた。文字通り馬が葉を食べると酔ったようになり、人間も呼吸中枢を麻痺させる有毒植物。奈良公園の鹿も葉が有毒なため寄りつかず、食べないことから「シカクワズ」という別名もある。